アトランタ発第10便

2001.8.22 

 私たちにとって、新しい幕開けのお便りが出来ることを、神様に感謝いたします。

皆様のあたたかい、御見守りを感じながらここまでやって参りました。そうです。来週から、いよいよ、ダディの学生生活が始まることになり、私も胸躍らせています。

前便で、武田のロズウェルの日本人教会まで、出かけていくつもりだと、書きましたが、820日から学校へ行くことを決めましたので、その日を皮切りにして、毎日、道路を覚えたり、必要な店やお家を探したりと動き回りました。10時には家を出て、3時ごろには帰るという一日のスケジュールです。朝のうちに、簡単な片付けと、時には洗濯を済ませ、夕食の献立を決めて不足があれば、買い物メモを持って出かけ、帰りにそれを買ってくるわけです。いろんな方に「アメリカの生活に慣れましたか」と尋ねられるのですが、どうやら自分で動けるようになったので「慣れた」とお答えしてもいいかな?と思っています。

日本の水不足がニュースになっていましたが、こちらでも水が足りないといわれていました。しかし、先週まで毎日のように夕立があり、短い時間でしたが感謝でした。圭三さんが、食事の感謝に合わせて雨の感謝をよくなさいますが、本当に、同感です。ところで、その夕立ですが、ものすごい雷がつきものです。ゴロゴロ、ガラガラどころではなくドシンドシンと家も揺れるようなものすごさです。落雷に備えて、コンピューターなどの電源を切ります。息を潜めるような思いで過ごします。でも、終わってしまえば、うその様にさわやかな良いお天気になるのですから不思議です。

町では、8月になったばかりのころから「バック・トゥ・スクール」の看板を掲げて新学期用品のセールが盛んに行なわれています。ジョージア州の学校の夏休みは先週で終わったようです。教会でのことですが、お祈りのお願いや、報告の時間の中で、一人の方が「素晴らしいこと」と言って「子どもたちが、学校に帰ったこと」とおっしゃったため、思わずみんなが吹き出しました。親にとって夏休みが大変なのは日本もアメリカも同じだな、と思ったことでした。メリーランド州の学校は9月からなので、忠信一家が、夏休みの締めくくり、というわけで17日から今朝まで遊びに来ていました。17日は、忠信たちが、夕方到着する前に、私達は二つの用事をかたづけました。一つは私の診察のために日本クリニックへ行くことでした。やはりインシュリンの注射を始めることになり、そのバランスを見るために二週間ごとに通っています。まだ、安定しないので薬を少しずつ変えて様子を見ています。次は9月のはじめですが、今のところ、血糖値も落ち着いているので、今度は良いかもしれません。もう一つの用事はダディが入院していたセント・ジョセフの病院で「治癒したので学校に行っても良い」というドクターの手紙を貰うことです。ついでに病棟を訪ねました。幸い、お世話になった婦長さんがいらっしゃって、訪問したことを大変喜んでくださいました。戻って来てくださる患者さんはめったにありませんよ、とのことで、元気そうな様子を見るのが本当に嬉しいと握手して、何回も何回もサンキューを言って下さいました。その後、リハビリで回ったナースセンターの周りをまわり、私や頼子たちが夜を過ごした待合室を見たり、ダディは知らなかった食堂、カフェテリアに寄ってコーヒーを飲んだりして、やっと、完全に病院とお別れという気分になれたようです。これも、一つの大きな区切りの儀式みたいな事でした。

18日の土曜日は、子どもたちを忠信とダディに任せて女性軍は大売出しをしているモールへ出かけました。デパートで半額くらいになっている物を、更に20%引いて貰える券を、頼子が持っていますので、リンも大いに楽しんだようでした。日曜日は、いつものように英語の礼拝に出たあと、牧実のところへ行きたいと思っていたのですが、二、三日前にバプテストの日本人教会をしていらっしゃるボートライト先生からお電話を頂き、9月はじめの修養会で大人の教会学校の分級を、二人で一つずつ担当して欲しいと依頼され、打ち合わせも兼ねて、そちらの方の礼拝に出ることになりました。修養会は91日から3日(レーバーデイという休日です)までです。どうぞお祈りください。この教会には、四,五十人の日本人が集まっています。宣教師であった先生の、日本人を愛する愛と、日本語での説教がたましいに届くように、神様のお助けをせつに祈らされます。

今月の10日から行なわれた武田たちのファミリーキャンプの時には、まだ自由に動けなかったことでもあり、11日に圭三さんと頼子が行く時に乗せていってもらい、部分参加しました。キャンプ場は家から1時間半くらい離れたところにありますが、朝早くドライブしている道端に、月見草の群生しているところがありました。私にとって、月見草といえば、軽井沢です。今はもう有りませんが、私たち家族が引っ越した50年前には、朝早く夜行列車で着くと月見草が咲き乱れて迎えてくれたものでした。次々といろんなことを考えているうちに、キャンプ場に着きました。あたりには、牧場がいっぱいあって、のどかなよいところでした。近くにこのキャンプ場の名前の由来となっている塔があるというので見に行きました。「ロックイーグル」という「石ころを集めて画いたわし」を塔の上から眺めたのですが、インディアンたちが4百年も前に儀式用に作ったものだそうです。

ところで、子どもたちは僅かのあいだに、またまた大きくなったようで、元気いっぱいでした。今回はアトランタでブレーブスの試合を観る計画もあったので、いつものラケットのほかにグローブもご持参でした。こちらにいる間は、毎日午前中はテニスをしていました。野球の方は、21日の夜、みんなで行ったのですが、私も十年ぶり、しかも新しい球場での観戦は最高でした。忠信は熱烈なブレーブス・ファンで、マイケルは生後十日目にはもう、ブレーブスのユニフォームを着せられていたものです。試合は延長戦にもつれ込み、結局、負けてしまったのですが、熱気溢れる応援席の中で、テレビ観戦とはまた違った、とても楽しい時間でした。「水、コーラ。水、コーラ」と踊るようにして売りまくっているおじさん、テレビに映りたくて、応援のボードを用意してきていて、あれこれ目立つように努力しているグループがいたりでした。応援もにぎやかで、太鼓に合わせて「レッツ・ゴー・ブレーブス」を叫び、別の合図でこぶしを突き出してオーと叫び、バックスクリーンの画面に「ノイズ」と出ると、目盛りがいっぱいに振り切れるように、みんなが大声を出しました。全員立ち上がって、ピッチャーの投球を応援する場面もありましたし、ジャッジが少しブレーブスに辛らかったようで、二・三回ものすごいブーイングも目にし、耳にすることができました。十時過ぎにやっと終り、帰りました。

少し前のことですが、忠信たちもいるうちにという事で、頼子の誕生日(23日)を早めて、みんなの好きな中華レストランに行きました。ダディと圭三さんは、二人になると「なまこ」を食べる相棒ができるので喜んで食べています。今回は、マイケルとデービッドがちゃんと好きなものを選んで注文し、成長振りを示しました。ダディは店の人と、ひと言二言の中国語での会話ができることを楽しんでいます。私が不思議に思うのは、日本で食べられるメニューがなかったり、まったく違う味だったりすることです。こちらで美味しいと思うものも、日本ではありませんでした。本当の中華料理はどちらに近いのだろうかと、話したりしていますが、どちらも美味しいので、これは文句ではありません。

アトランタは今、あちこちで大きな建築が盛んに行なわれていて、この辺特有の赤土が、鮮やかな色を見せています。中には、個人の家やアパートも建てられていますが、そういうのはやはり木造の骨組みが見えて、日本と同じように感じます。最近,木のない庭や狭い庭も好まれるそうで、理解に苦しむところですが、何しろ庭の手入れは大変だということです。手入れをしなければ注意されるし、あまりとっぴなことをすると訴えられることもあるそうです。フロリダで、フラミンゴのボードを芝生の中に立てた人が裁判に負けた、という事を聞きました。又、芝刈りの時に出るごみだけは、別に取りに来て貰うのですが一回25ドルも払わなければならないのですから大変です。  

もう一つ、最近の話題としては、景気の助けになっているかどうか分かりませんが、ブッシュさんの減税政策で、一人三百ドルの税金が戻されることになりました。手元に届くのは、国民をはじめ正規の滞在者がみんな持っているソーシャルセキュリティーナンバーの末尾の数字による順番だそうで、早い人はすでに手にし、その三分の一は、消費に回っていると言われています。

 最後にダディの学校の事を書きましょう。20日、8時半に登録をしに行きました。六、七十人の孫みたいに若い人たちが溢れていました。受付へ行って声をかけると、9時になったら別の建物に連れて行くから待っているように、との事で椅子をだしてくれました。やがて九時になって三百メートルくらい離れた建物に移動し、その玄関前に一列に並ぶことになりました。私たちがやっと列の終り近くに着いた時、前に立っていた係りの人に大きな声で「ミスターワタナベ」と呼ばれ、先頭にどうぞ、と立たされ、「だいぶ歩かなければなりませんでしたけど大丈夫ですか、疲れていませんか」と心配してくださいました。そのまま最初に手続きを済ませ、学費(教科書代・健康保険料を含む)8週間分1495ドルを支払って登録は終わりました。「ロビーのソファーに座っていてください、車で送ります」と言われたので、しばらく待っていましたら、若い男の人がやってきて、構内用のゴルフカートのような車に乗せて、もとのところまで運んでくださいました。 次は11時半に学生部長との面接でしたが、これも、私たちに気づいた係の人が、何人かの人に「ご年配の方がいるので順番を先にしてあげて下さい」と断った上、すぐに呼び入れてくださいました。しかも「お目にかかれて嬉しいです。サー」と敬称をつけてご挨拶くださり、私にまで「お待たせしてすみませんでした」と丁寧なご挨拶です。室内でも学生部長と思われる方が、丁寧に話をすませ、終わると立ち上がって深々とお辞儀をして送り出して下さいました。私たちはただビックリして、これは年齢のせいか、大きな手術後という事でのいたわりなのかと戸惑ったのですが、やはり、年長者への態度だったと思われます。今まで、日本でいうシルバー、こちらでシニアの割引はうけたことがあって喜んでいましたが、こんな風に心からの尊敬を受けたことが有りませんでしたので、本当にびっくりすると同時に、若い人たちの前でそれを示された学校側の方々に、教育者として素晴らしい姿を見せていただき、たいへん嬉しく思いました。これからの学校生活が楽しみです。

翌日には、クラスわけのテストを受け、一日お休みがあって、オリエンテーションがありました。学校の駐車場使用のステッカーをもらい、手続きがすべて終わりました。来週月曜日から授業が始まります。当分の間、私も一緒に登校し、図書館で時間を過ごす事にしています。それも楽しみです。

台風が久しぶりに上陸したようですが、いかがでしたか?これで水不足はひとまず回避されましたね。

それでは、まだまだ残暑が厳しい毎日のようですがどうぞお元気で。

郁子

 

 

 

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