アトランタ発第11便
2001.9.20
神はわれらの避け所、また力。
苦しむとき、そこにある助け。
それゆえ、われらは恐れない。
たとい、地は変わり山々が海のまなかに移ろうとも。
たとい、その水が立ち騒ぎ、あわだっても、
その水かさが増して山々が揺れ動いても。
詩篇46篇1〜3節
大変な十日間が過ぎました。大きな哀しみの中で、教会での祈祷会が行なわれています。日曜日の礼拝もいつもより大変多くの方が集まっています。何が起こるか分からない世の中、天地のすべてが、消えうせても変る事のない神様の存在こそ、私たちがいつも心に置くべき避け所であることを思い出させられています。
あの日、少し腰が痛くて学校について行くのをやめて家にいた私は、勤めに出たばかりの頼子からニュースを知らされました。あーちゃん(武田の二番目の娘[あゆみ]で、ニューヨークで証券の仕事をしています)が心配だから、武田家に電話したけど誰も出ない、というのでした。実は、日本からおいでになった同窓の先輩、若狭先生ご夫妻とご一緒にサウスカロライナ州に伝道旅行に出かけていたのです。それから、頼子が教会員の誰かが携帯電話の番号を知っているだろうと調べ、ドライブ中の牧実と連絡がとれ、あゆみが勤めていたのは、あのビルでないことだけは分かりましたが、どうしているやらと心配しました。忠信もしょっちゅう飛行機で出かけているからと続けて電話をしてみたら、今日は学校にいたよ、という頼子の言葉でとりあえず、安心し、あとはテレビにかじりついていました。夕方近くになって、あゆみとも、やっと連絡が取れて、アパートに無事帰ったという事がわかり胸をなでおろしました。
ダディの学校は、事故発生の直後に授業を打ち切り(殆どの学校でも)全員帰宅することになりました。ダディのクラスは、11人ですが、台湾二人、韓国二人、サウジアラビ一人、コロンビア一人、ベネズエラ二人、ギニア一人、タイ一人と日本人一人 というクラスです。いろいろな国の人がおり、何がおこっているか分からないので、夜になったら、各自の情況を学校に知らせ、明日、登校が可能かどうかも伝えるように、という事でした。結局、翌日休んだのはサウジアラビアとギニアからの二人だけで、その後、全員また勉強に戻っています。
私たちの生活には、特に変ったことも無く、テレビ・ジャパンで流されるNHKのニュースで情況を知らされていました。14日に高橋和子さんが遊びに来られることになって楽しみにしていたのですが、前日に電話があり、日本からは新聞も来なくなっているし、ニュースが分からないというので、すぐにニュースを録画してあげることにしました。テレビ・ジャパンが契約されているところは少ないのです。
全面的に断絶された日数は僅かでしたが、戦争にでもなれば、こういう事になるのではないかと実感したことでした。そういう場合でも、コンピューターによるメールは確保されるものであることにも、あらためて気づいたことでした。
ところで、前に書きましたように、9月1日から3日まで、ノークロス・バプテスト日本語教会の修養会に行ってきました。3日は月曜日でしたが、こちらではレイバーズ・デイという勤労者の祝日でした。場所は、我が家から1時間半くらいのところにあるバプテスト教団の施設でした。それは、ある実業家が、事業を祝福してくださったら、神様に収入の十分の一ではなく、十分の九を献げることを約束し、クリスチャンのための休養・修養の施設を作り、単立で運営してきました。その方は、ご自分の死後も、これが続けて活用されるようにと考え、バプテスト教団に譲渡されたものだそうです。その後増築され、集会のできる大きな幾つもの部屋や、ホテルのように、立派なバス・トイレ付きの部屋がたくさんあり、みんな、家族でゆっくりできるようになっていました。食事はビュッフェ・スタイルで、400人以上も入れるような食堂です。軽井沢の恵みシャレー(規模は小さいですが)を思い出しました。
講師は、オハイオ州コロンバスの杉田先生でした。私たちははじめてお目にかかりましたが、良いお交わりを頂きました。いつか、オハイオにも行ってみたいと思っています。
日曜日の午後は、希望者だけ、ヘレンというお伽の国みたいなところへ、チュービングに行くという「ツアー」がありました。自動車のチューブみたいな浮き輪に乗っての川くだりです。少し、寒いくらいでしたし、ダディには宿題もあったので私たちは行きませんでした。圭三さんと頼子は、テニスで楽しむはずでしたが、雨でできませんでした。
9月から、私は、一ヶ月一回のクラスを二つ引き受けました。一つはバプテスト日本語教会のメンバーに頼まれての「家庭集会」です。10日に最初の集会があったのですが、うちの近くの方が、車に乗せていって下さることになっていました。この集まりは、場所を定めず、持ち回りですが、今月は一時間くらいかかる高級住宅地にある千富子さんという方のお家でした。ところが、森の中ともいえるような所で、迎えにきてくださった方も初めて行くのに、大切な番地と電話番号、そして地図も忘れてきてしまったというのです。しかも、ご主人の名前、つまり苗字がわからないのです。忘れてきた地図の記憶を辿って、何度も行ったり来たりしました。どうやら近くだと思う、という所まで行きましたが、その後がどうしても分かりません。簡単にドアをノックするのはピストルがあるから怖いと言いながらも、一軒の家で名前を言って尋ねても分かりません。携帯電話も使ってできる限り連絡をとろうとしましたが、メンバーはみんな、もう家を出てしまっていて、つかまりません。その方も、「講師を乗せて迷ってしまってどうしよう」と言ってあせっているのですが、本当にお手上げ状態でした。そこで、誰かが探しに出てくるかも知れないと、何はともあれ、祈って待つことにしました。しかし、やはりじっとしていられないからと、また動き出し、一軒の家でもう一回聞いて見ましょう、とブザーを押したところ、何と千富子さんご本人が顔を出されたではありませんか。もう、ここまでで、集会をしなくても良いと思えるほど恵まれ、嬉しく、奇跡的な到着でした。もちろん、すばらしい豪邸での、私にとって第一回目の集会はとても楽しく、美味しいご馳走いっぱいの祝福溢れるものになりました。テラスからは木々の向こうに、宝くじで当たった人に与えられたという大きな家が見えていました。
もう一つの集会は、ウエストミンスター日本人教会員の友子さんの家でです。勉強あり、おしゃべりタイムあり、美味しい時間ありの交わり会ですが、第一回目が、18日の月曜日にありました。仕事を持っている人たちが出たいからというので、夕方早く始めて7時半にはお開きにしましょう、と決めたつもりでしたが、やはり、9時になってしまい、私たちの「保護者」頼子に、夜間の運転はやめるようにと言われ、次回については週末の夜、こちらにきてもらう形に変えることを考えています。今回のおしゃべりタイムのテーマは、自然に、11日の事件のことになりました。ご主人はアメリカ人という奥さんが多いので、どういう声が出てくるか興味深く聞いていましたが、「21世紀のパールハーバーだ」と言われて、いやな気分を味わっているという人がほとんどでした。アメリカ人にとって、今回の事件は、あの、真珠湾攻撃の悪夢を思い出させているようです。頼子も会社の友達が、そう言ったので「そのことは言わないで、」と反撃したと言っていましたが、職場だけでなく、家庭の中でも、そういう会話が交わされているようです。でも、昨日の朝は、ライス補佐官が、「あれとは大変違っている」と明言していましたし、昨晩のブッシュ大統領の議会演説では、日本への配慮からか、1941年の日曜日という婉曲な言い回しでした。やがて収まると思います。むしろ、今回のことに関係ないイスラム教の人たちや、アラブ系の人々に対する、偏見や差別の問題が大きくならないように案じられます。メンバーのご主人たちは軍人さんが多いので、予備役の召集にも関心が寄せられています。年配の人は、もう、呼び出されることは無いでしょうが、ギリギリの方もおられました。ある方の会社からは、もう三人が出て行ったということでした。テロに立ち向かう姿勢と勇気は良いと思いますが、「報復」という考え方には、疑問を感じています。そして、このテロとの「戦争」は容易なことではないでしょうし、本当の解決に至るとは思えません。戦争が始まれば、そして、長引けば、新たな悲しみが生まれるでしょう。上に立っている方々の難しい立場と責任を思うと、言葉がありませんが、間違わないように、知恵が与えられるように、祈らなければならないと思っています。あちこちで寄付金が集められていますが、救援に活躍する消防士たちが履いているような大きなブーツを持ってまわっていますが、30分あまりで2万ドルも集まったそうです。この近くでも、子どもたちが親と一緒に家々を回っていました。もちろん教会でも、いろいろと考えられています。
ところで、ダディの学校生活はみんなに「タダオ」と呼ばれ(きっと「タドゥ」になっていると思いますが)、順調に進んでいます。前に書いたような顔ぶれなので、クラスの間にも、スペイン語、韓国語が飛び出すことが多く、とうとう、英語以外の言葉を使ったら、罰金、という決まりができたそうです。でも日本語は話す相手がおりませんので心配することはありません。私は時々、会話のクラスと用事があるときだけ行っています。学校のカフェテリアは外の店よりかなり安く、そこで食べると、クラスメートたちがあちこちから 一緒に食べようと、席をあけて、声をかけてくれるそうです。「みんなに愛されて良かったね、」と遊びに来た和子さんに言われましたが、本当に感謝だと思います。
一日だけ風邪で休みましたが、体調も良好です。先日三ヶ月ぶりに心臓内科のチェン先生の診察を受けましたが、何の問題もなく、この次は、六ヵ月後(来年のことで、鬼が笑いそうです)に来るようにということでした。
そろそろ紅葉も始まりました。お風邪をお召しになりませんように。
神様の御祝福をお祈りします。
郁子