アトランタ発第19便
2002・6・25
こちらはすっかり夏になり、サルスベリ、マグノリア(泰山木)、ネムの花がいたるところで咲き競っています。日本は梅雨の最中だと思いますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
この間、二ヶ所でお庭にアジサイが咲いているところを通りかかり、アメリカでも見られた事に感激しました。今頃は愛川町の庭もさぞきれいなことだろうと思い浮かべています。私の小さい畑にはトマトとキウリがなり始めました。去年失敗したナスも今年は良い苗がイッパイ出来て10本ほどに花が咲いています。苗をいろんな方にお分けして喜ばれていますが、こちらにある聖学院の小学校の先生も2本持っていかれて子供たちと一緒に世話をされています。
日本から送って貰った大島の為朝ゆりにも合計16個(4本で)の蕾が付いていて、毎日楽しみに眺めています。
6月の話に入る前に、5月19日に、ニューホープ・クリスチャン・チャーチ(松井家が属している教会)で、開設130年の記念礼拝があったことをお話しましょう。日本にキリスト教(プロテスタント)が入ったのがそのくらい前ですから、古い教会ということになりますが、アメリカの場合、何しろ国ができてからの歴史が250年です。それだけにアメリカ人は「古い」ことを大切にするところがあるように思います。その日はペンテコステ(聖霊降臨節)でもあって、礼拝色は火の色、赤です。そして、「様々の国言葉」が語られた聖書の記事にならって、英語、韓国語、そして日本語のショートメッセージがありました。日本語は勿論ダディの役割です。こちらに来て初めてガウンに赤のストールをを着けて壇上に並んで座りました。この教会のシーソー牧師のほかに、青年のための牧師、子供のための牧師も並びました。130年を現わすために、いろいろな衣装をつけ、旗やベルを持った子供たち、婦人たち、若者、老人、クワイヤー(韓国とハイチの教会のも)などの行列が続き、お国柄を示すような韓国語・スペイン語の歌もうたわれました。神様の恵みの下に「世界は一つ」がテーマーでした。子供のための牧師というのは、以前、教会の庭で結婚式を挙げた女性です。8才くらいの女の子を連れての再婚で、みんなに涙の祝福を受けていましたが、今は良い家族になっています。
5月のもう一つのことは、27日(月)がメモリアルデーとしてお休みだった事でしょうか。もともとは、南北戦争の犠牲者を覚えるものとして始まったのですが、今ではすべての戦争で亡くなった方々を記念する日です。その方々の犠牲によって、今の生活があるという事を覚える日で、前日は教会の礼拝も、アメリカ賛歌ではじまり、感謝の祈りがささげられました。ある区域では、道路沿いに1メートルくらいの間隔で小さな白い十字架に国旗が添えて立てられ、その一つ一つに名前と、どの戦いで亡くなったかが書いてありました。第二次大戦、ベトナム戦争、朝鮮戦争、が主でしたが第一次大戦というのもありました。日本の場合、宗教弾圧や靖国問題でこじれているのが残念です。意味を覚えながらも、何の規制もない休日でした。
ダディの学校生活の方は、今学期の先生が、苦手のようで苦戦していますが、時々校外へお昼を食べに出る時、面白い経験をしています。ケンタッキーフライドチキン(KFC)ではシニアは、飲み物が無料になるので、4ドルあまりのセットが3ドル20セントになるとか、マックででは、顔なじみになったお店の人が、飲み物(お代わり自由)は小にすると安いとか、コーヒーはシニア割引があるとかいろいろ教えてくれるのだそうです。今では何も言わなくても「いつものやつ」が出るようになったようです。
6月に入って、私にとってのハイライトは、こちらへ来て始めての抜歯です。被せてあった金属冠が取れてしまったので、とりあえずつけてもらおうと思って出かけたのですが、中の歯はもうダメになっているから抜いた方が良いとの事。日本クリニック歯科の田中先生は、以前頼子が勤めていた頃からおられ、松井家には何回か食事に来られた女医さんです。という訳で初診料はなしにして下さり、後の抜歯も10パーセント引きにして下さいました。はじめにレントゲンを取って説明を受け、あらためて抜歯の予約をするのですが、一時間前に抗生物質をのむように、しかも、その薬は内科の方で貰うようにとの事。内科の方では、一回(4錠)のむだけの為に100錠入りのビンを買う事になりました。保険はどうなるのかな、と思いましたが、面白い事になっているものです。抜いた後は痛みもなく、ホットしています。とても優しい先生で、歯医者恐怖症の私には、それが何より嬉しいことでした。
13日(木曜日)は、ダディの誕生日で74歳になりました。圭三さんがダディの希望に応えて「豊美」と言う中華料理の店へ連れて行ってくれましたが、ダディと圭三さんはここの「なまこ」料理を楽しみにしています。キムチを挟んで食べる揚げパンも美味しいです。圭三さんと頼子は、この店が開店の頃からよくきていたそうで、いつも歓迎してくれますが、誕生日ということで、特にいろいろサービスしてくれました。
そう言えば、今月は思いがけずに、保険会社から2500ドル(約30万円)を受取りました。訳を聞いて驚いたのですが、新車を買って10日目にダディが事故を起こしたことを前に書きましたが、あの時のものだそうです。当時76ドル(1万円たらず)の自己負担だけで、直っていますし、もう終わったことなので不審に思いましたが、これは、事故によって「車の価値が下がった」事についても、保険会社は保証すべきだ、と、訴えていた人があって、その判決が出た事による支払いでした。新車だったので、控除されるところもなく購入価格の10パーセントが送られてきたのです。私達には神様からのプレゼントでした。
14日には忠信一家が到着しました。今回は、アトランタで開かれていた図書館司書のカンファレンスにリンが出席したいということが一つの目的でした。いろいろ新しい情報を学び、専門職ですから、一緒に学んだ大学の仲間にも会えたようです。朝6時頃,会場まで忠信が送って行き、帰りは電話がかかってきたら地下鉄の駅まで迎えに行くということにしました。
孫たちは、テニスとプールと、読書、ゲーム(チェス、テレビゲーム)とよく遊びました。18日は忠信たちの結婚14年の記念日でしたので、夕方から二人で出かけることを頼子が提案し、子供達は留守番でした。大好きな餃子で夕食をすませましたが、会社から帰ってきた圭三さんが最後の晩だからと、9時頃からテニスに連れて行ってくれました。この日は二回目のテニスに行くことが出来たわけで子供達は大喜びでした。
忠信がいる間に、私達の永住ビザの申請に関する書類の準備もしなければなりませんでした。スポンサーである忠信の方で準備するものと、当人である私たちが準備するものがあるのですが、全部をそろえるのはなかなか大変です。何回も関係省庁の指示を仰ぎながら、待つ時間がかかります。忠信の方の関係で、引越しを終わってから出す方が良い事が分かりました。私達の方の書類にも必要事項を書きこみましたが、これは、4セットも同じものをタイプしなければならないので、持って帰って作ってくれるそうです。こちらでは、もう一度、領事館に行って、謄本から出生証明を書いて貰う事、写真を用意する事があります。イミグレーションで要求される写真は、サイズだけでなく、いろいろ細かい決まりがあるそうなので、そういう写真を扱ったことがある写真屋を探す事から始めなければなりません。「右の耳が見える」事も写真の条件なのですが、どうしてなのか分かりません。学校もあるので領事館に行けるのは7月になります。忠信が聞いた事務所では、申請書を受理されたら「学生ビザ」の必要がなくなるから、学校へは行かなくても良い、と言われたそうですが、これはすぐには信じられないことなのです。ずっと前はそうだったのですが、その後厳しくなって「申請中」の人は、国外で待つ事となり、多くの人が困りながらも出国しました。その時は、それに違反が認められたら2,3年入国が禁止されるというほど厳しかったのです。でも、アメリカの移民関係の規則は良く変るので、また変っているのかもしれません。そうであればとても嬉しいのですが確認する事になりました。夏休みと合わせて8月の後半2週間、学校に行かなくてよい事になりますので、忠信が飛行機で来て、ここから車でステートカレッジの新しい家までドライブしてくれる事になりそうです。15時間くらいかかるので、途中、ダディも交代で運転し、帰りは、ゆっくり帰ってこようと思います。途中、どこで泊るか、これから調べようと思います。
大学を変る事に関連して、ホームページをどうするか、目下考慮中ですが、この便が、ここでは最後になります。新しいページ(URL)が決まったらまたお知らせいたします。
ダディは先月から、月一度川田家で開かれているAJCF(アトランタ・ジャパニーズ・クリスチャン・フェロシップ)で、キリスト教と関係あるように言われる異端、統一協会・モルモン教・ものみの塔(エホバの証人)等について教えはじめています。この集まりは、日本語主体の集まりですが、アメリカ人や韓国人もいますので、英語の同時通訳があります。若い方々がたくさん集まっています。前回は、我が家での集まりと重なり、私たちは別々に役目を果たしましたが、今度は、前もって日をずらして、私も出席するつもりでいます。こちらの集会も楽しく続けています。
30日には、圭三さんのお母さん、敏子さんが到着。3日から7日まではフロリダのパナマシティーで釣キャンプです。今年は新婚旅行で来られる青木夫妻を加え22人になりました。
霊肉共に、大漁を期待しています。良い夏をお過ごし下さい。郁子