アトランタ発第二便

2001419

民よ、如何なる時にも神によりたのめ、そのみ前に汝らの心を注ぎ出せ。 神は我らの避け所なり。

( 詩篇     62 8)

  日本のみなさま、いかがおすごしですか。今頃は、あんずの花、桃の花が満開なのでしょうね。

 こちらに着いて、はじめの一週間は初夏のような気温でしたが、この三日ほどは寒くてびっくりしました。でも、今度の週末は  サマーウィークエンドになると予報されています。  わが家のダディが着いてすぐにダウンしましたので、こちらでの最初の仕事は病院通いということになりました。最初のお薬ではじめの息苦しさなどはすぐに良くなったのですが、いろいろの原因とも思われる心臓の欠陥が指摘され、検査が続いています。    病院はハイウェイを三十分ほど行ったところにあります。大きなノースサイド病院と、セント・ジョーンズ病院、もう一つ大きな子供病院を中心に、それらの病院の先生方がご自分の診療室であるオフィスを、回りに持っていらっしゃいます。必要があれば入院させて治療をなさいます。    ダディがお世話になっている日本クリニックの、紀平(きひら)先生は名古屋大学病院にいらした中年の先生です。看護婦さんも、受付の事務員さんも日本人です。

 私は、この病院通いで、初めて小切手を書くという経験をしました。小切手には、金額を書き込まなければなりませんが、普通の数字で書く以外に、漢数字ならぬ英語数字(1ではなくone)書く欄があります。  あらためて数字のスペルを確認した次第です。

 紀平先生の診療は、まずレントゲンによって明らかになった肺の水を抜くことから始まりましたが、次に、ノースサイド病院へ行って心臓のエコーを取るように言われました。

 その結果、四つある弁のすべてが漏れていることが判りました。特に、大動脈弁はひどく「シリアス」だという事でした。ここで、先生は、心臓の専門医の診断も聞くようにと手配してくださいましたので、今日、十九日、ノースサイド病院のドクター・チェンを訪ねました。

 初診なので、四枚もの紙に書かれている質問に答えなければなりませんでした。前回行ったエコーの部屋では、頼子が一緒にいたにも関わらず、「電話通訳」なるものが、使用されたそうですが、今回は、それもありませんでしたので、一つ一つ、頼子に確認して書いていきました。思わず、吹き出してしまった質問もありました。

その1 あなたは枕を一つ以上使っていますか    

(ちなみに、私は三つ使いますが)

その2 あなたの頭は正常に働いていますか。

(忠雄の答えは  ・・・多分)

 皆さんだったら、何と答えられますか。

 また、気づいたことと言えば、診療台が腰掛けを兼ねているようになっていること、その上にはトイレの便座シートのように紙が敷いてあって一人毎に変えられていること、台は、背中が倒れたり、足台が上げられたりするようになっていました。先生の白衣の上着の両サイドには、十五センチくらいの縦の切目があって、上着の上からズボンの横のポケットが使えるようになっていたことなどです。

 チェン先生のお話によると、心臓の弁を取り替える手術は、必ず何時かはしなければならないけれど、その時期をきめることは難しい事なので、つまり、どのくらい急を要するものか、あるいは、どのくらい待つことができるものか、を知るために、もう一つの検査が必要だとのことでした。それで、二十六日にその心臓カテーテルという検査を受ける予約をして帰ってきました。我々は、中に入っていって、血管と心臓をみる、と言われて子供の絵本にそんな話があったことを思い出しました。

 それにしても、病院から、時にはドクターから検査の結果について、あるいは、その後の状態についての様子を聞くために、検査前の注意事項の確認のためにと度々電話がかかるのにはびっくりしました。

 ダディも、はじめは電話のベルにドキンとしたりして、受話器を取るのにためらいがあったようですが、今では、立派に(・・?)電話番を勤めています。

 話はさかのぼりますが、十日の日に、突然リン(忠信の妻)から「妹のダイアナが、アトランタで借りた車を返しにいかなければならないので、私とひろのも一緒にいきますが、ちょっと昼寝をするために寄ってもいいでしょうか」という電話がありました。ダイアナはインディアナに住んでいますが、フロリダへ行った帰りに、アトランタまで來て車が故障してしまい、仕方なくここからレンタカーで帰ったというのです。丁度、春休みで、リンは子供たちと、二月から今月の終りまでホームステイをしている、筑波大学の、大学院生のひろのお姉さんを連れて、インディアナのグランマのところに遊びに行っていました。そこで、姉妹そろって、子供たちをグランマに預けてアトランタ往復の計画を思い立ったようです。忠信は学会でシアトルに行っていましたが、片道十時間のトンボ返りを心配して、良く休まなかったら、出発させないでほしいと電話をかけてきました。翌日、車を返し、二時頃現れた三人は、良く眠り、良く食べ、良く喋って嵐のように帰っていきました。思いがけなく、リンに会えて、とても感謝でした。

 丁度その日、ダディの調子が良かったので、車やに出かけ、もう決めてあったので日産のクエスト(2001年)を買いました。圭三さんが粘りに粘って随分まけさせてくれました。

 前に二人、中に二人、後ろに三人の七人乗りです。話がまとまると改まって立ち上がり、握手。

 別の部屋で契約が済むと、紙に「五月十一日まで」と書いたものをナンバープレートに張ってキーを渡されました。まあ、そのままダディが運転して帰ってきましたが、あまりに簡単なので驚くばかりでした。後ろの席には、両側から乗ることができ、ビデオがついています。子供連れの長い旅行には役立つことでしょう。

 左ハンドルが違うだけでなく、方向指示器、ライト、ワイパーなどがその左側にあります。切り替えギヤーはハンドルの向こう側についています。

 十三日には、忠信がシアトルからの帰りに立ち寄り、イースターの早天礼拝には、そろって出席することができました。

 ダディの病気で遅れているコンピューターの購入についても、いろいろ相談することができました。日本語が、自由に使えるためには、いろいろな面からのチェックが必要なようです。数ヶ所に見積もりを頼んで、じっくり研究して買うつもりです。

 十八日には、待望のテレビの工事やさんがやってきました。四時間もかかって、日本語の放送が入るようになりました。NHKの総合、教育、BSの番組や民放の古いドラマなどがいろいろ混ざって流れています。間では、アメリカ向けの英語のコマーシャルが入っています。今のところ、番組表がないので、全く選ぶことができませんが、そのうちに何とかなるでしょう。

 車が来てから,十日目、ダディの体調が落ち着いてきてから、近くの店、クローガー(食品店)Kマート,(何でも屋)、ウォールマート(日曜大工)などへ一日、一店づつ行ってみました。それぞれ、十分かからないほど近くにあります。レストランも沢山あって、ここはとても便利なところです。疲れるからというので、ホンのちょっとの外出です。

 私も、朝早い時間に家の回りくらいから、運転の練習を始めようかと思っていましたら、今朝、早速にダディが事故を起こし、車はレッカーで持っていかれてしまいました。幸い、双方に怪我はなく、車の損害だけでした。左から来た車が、こちらの後ろの角に当たってバンパーがはずれてしまいました。そろそろラッシュの時間で、車も多く、頼子に続いて左折しようとした時の、左から来る車の確認不足による、こちらの一方的なミスでした。小さく見えている車のスピードの判断ミスもあります。とにかく、頼子も一緒でしたし、家の近くで、まだ圭三さんも出勤前でしたので、すぐに来てもらい、駆け付けた二台のパトカーさんと一緒に処理をしてくれました。今度は裁判所に呼び出される経験をすることになるでしょう。痛い事故でしたが、これからを考えると良い教訓なのかも知れません。

 はじめに書いた聖書のことばのように、如何なる時にも、しっかり神様を信頼していきたいと思っています。

 今、入ったニュースですが、学校の方は、医者の証明があれば、次の学期からにしてもビザの問題はない,との事。又、一つ問題が消えました。感謝です。

 皆様の上に神様のご祝福がありますように。

郁子

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