第三便
2001・5・4
五月のさわやかな季節になりました。暑かったり、寒かったりと、落ち着かなかったお天気も、どうやら、安定したようです。それにしても、この四月の何と早く過ぎたことでしょう。
今日までに八回、病院で診察や検査を受ける予約をして受診し、その間に、電話のやり取りがありました。日曜日の礼拝と,病院通いが四月の主な生活でした。でも、感謝なことに、それらはすべて順調に、私たちにも判るくらい神様の恵みを感じながら受けることができました。
二十六日は、心臓のカテーテル検査の日でした。先生の説明のほかに、自分もその検査を受けたことがあるという方々からの情報も耳に入り、ダディも、それなりに心の準備をしていたようですが、前日の夕方,仕事から帰ってきた圭三さんが、庭の芝を買いに行きますけど、気分転換に乗っていきませんか、とドライブに誘い出してくれました。それは、とてもタイミング良く、本当にすてきなお誘いでした。
いよいよ当日、ダディは、食事抜きでしたが、私と頼子は、お昼もどうなるか判らないので朝御飯を食べ、帰りも夜になるつもりで準備をして出かけました。
十一時半、まず、受付でお金をどのように払うかという確認をとられ、その後、準備と回復の部屋に通されました。そこは、特別,静粛を守るゾーンになっていました。大きなドアーが、ボタン(実際は壁に取りつけてある十センチくらいの丸い板)を押して開ける仕組みになっていました。そこでは、血圧をはかる人、点滴をする人という具合いに、各分担の作業をする人が、いかにもプロらしく、慣れた手つきで、自分の仕事をしていきました。
検査は二時からの予定でしたので、しばらく待ちましたが、ドクターの準備ができたというので十五分前に別の部屋に連れていかれました。家族は回復室で待つことになっているようでしたが
頼子は、通訳のため入って欲しいと言われていましたので、私だけが残りました。
先生は、はっきりおっしゃらなかったのですが、説明文を読んだり、経験者の話によると、血管の中に管を通して心臓の様子を見るカテーテル検査の後は、四時間から六時間、傷の上に重いものをおいてじっとしていなければならないはずでした。食事も夜になるものと思っていたのですが、二時半に検査を終わって、連れてきてくれた看護婦さんの話によると、血管を縫いましたから、一時間したら、ちょっと動いてみて、おうちに帰れます、とのこと。そして、すぐに食事が運ばれてきました。ターキーのサンドイッチと、アップルジュース、ペパーミントのゼリー、そして大きなストローつきのカップに入ったお水。
ダディは,アップルジュースを一気にのみ、サンドイッチも平らげました。その後で、私たちもカフェテリアに行ってみましたが、ほとんど、売り切れていました。サラダバーで残り物を集めて食事を済ませ、部屋に戻ってみると、もう、帰る準備が始まっていました。血圧を計っているのですが、寝た状態ではかり、腰掛けた姿勢で計り、立って計ると言う具合でした。
とにかく、五時には家に帰りつき、ちゃんと夕飯の支度もできたのでした。
今日一日だけは、階段を登り下りしないように、重い物を持たないこと、このあと五日間は、泳いだり、水に入らないように。シャワーのあと、バンドエイドを取り替えるように、と言うのが注意事項でした。実際、三日目にはかなり気分も良くなったようでした。
検査の後おいでになったチェン先生のお話では、血管には、何も問題はなかった。狭心症や心筋梗塞の心配はないとこと。しかし、弁の漏れはかなりひどいので、できるだけ早く手術をするほうがよい。外科の先生を紹介しますから予約をしてください、との事。
次の水曜日、今度はセント・ジョセフ病院の心臓専門のドクターセンターにマーフィー先生を訪ねました。病院の中はとても広く、複雑で迷ってしまいそうでした。しかも、アトランタの地形のせいでしょうか、駐車場の三階がドクターセンターの一階になっていたりするので大変です。
たどり着いた先生の部屋はすばらしい家具と、飾られている沢山の絵が、ホテルのロビーのような雰囲気を.漂わせていました。やがて、通された診察台のある部屋で、お話を聞きましたが、やはり、出来るだけ早く手術をした方が良い、とのことでした。一番大きい動脈の弁を取り替えるそうです。年齢を考えると豚か牛の弁が一番良いと思う、と.言われました。人工の弁を入れた場合、一生、薬を続けなければならないけれど、これを使えば、その必要もないそうです。
ダディは、豚の心にならないように祈らなくちゃと、言いますし、豚一頭分の代金が請求されると脅かされたりしています。もし、そうなら、肉も貰わなければなりませんね。
入院は、五,六日で、後は自宅で静かに静養し回復には六週間かかると考えるように、退院後の1週間は、誰かが何時も一緒にいるように、体重をチェックして急に増えたら、すぐドクターに連絡する必要があることなど、お聞きしました。すべておまかせすることにしました。
二十年前にエモリー大学病院で、頼子が頸椎の手術を受けたときのことを思い出して、先生の手術日についてお尋ねしますと、私はほとんど毎日手術をしていますとのこと。後は、係りの人と事務的に日程を決めることになったのですが、そこで、私たちの保険が問題になりました。日本の国民健康保険は後から請求することになるので、当面は、保険がないという事になります。病院の支払いに関する事務所で承諾を受ける必要がありました。結局、この入院手術に要する二万五千ドルの半分を術前検査の日までに前納することで受け付けて貰いました。
とにかく、改めて手術の日が決められました。十七日に術前検査を受けに行き、その時さらに詳しいことが決められるそうですが、手術は.二十一日の月曜日だそうです。来週かしらと思っていましたので、少し余裕があることになりました。
次の日は、楽しいことが三つも重なりうれしい日になりました。
まず午後、武田の恒義さんと牧実が婦人会の苺がりのかえりに、可愛らしいバケツに一杯のいちごを持って寄ってくれたのです。五時には他のお約束があるとのことでしたが、一時間半ほど話に花を咲かせました。日本にいる兄弟のこと、子供の頃の話、中学時代、高校時代の友人たちの話などもとびだし、楽しいひとときでした。手術の前後についても相談することができました。
二つ目のこと、それは頼子たちの教会のシーソー牧師と夕食をすることになっていたのです。
圭三さんの考えで、近くの日本料理のお店、四季、に先生を御招待したのです。でも、これは、アメリカで言う日本料理で、日本では見たこともない鉄板焼の一つのショーです。ベトナム人のコックさんが賑やかにお手並みを見せてくれましたので、先生ご夫妻も大喜びでした。しかも、その食事の最中に、女のお孫さんが生まれたニュースが入り、喜びも倍になったようでした。
さて、三つ目の事と言えば、おじいちゃんの手術の前に、と言うわけで忠信一家が真夜中に到着したのです。その日は三年生のマイケルが州のテストを受けなければならなかったので、ボルチモアの家を出るのが午後になってしまったため、深夜に到着となったのです。
普通十二時間と言われますし、だいぶ近くに来てから、あと四時間、と電話もあったので待っていましたが、工事しているところが沢山あって結局一時半に着きました。きっと子供たちは眠っているだろうと考えていましたが、それどころではありません。元気一杯で飛込んできました。
圭三おじさんに、ラケット持ってきたか、と声をかけられると、待ってましたとばかりに、今から、と出かける調子で答えるのでびっくりしてしまいました。
マイケルが受けた州のテストと言うのは、学校がどのくらい目標を達成しているかを見るために一、三、五年生が受けるテストだそうです。
さて次の朝、やはり、デービッドは早起きでした。しばらくはおとなしくしていましたが、やがて鶏になってコケーコッコ、コケーコッコ、と手を羽にして部屋中を飛び歩いていました。と言うわけで、賑やかな週末を過ごしました。
二人のテニスの腕もだいぶ上がってきました。一日目は忠信が相手をし、二日目は圭三さんや頼子も相手をしてくれて大満足の様子でした。あとはジージと日本のアニメのビデオを見たり、頼子と折紙をしたり、楽しんでいました。
日曜日には、八時四十五分からの礼拝に出席して、帰りにドーナツやさんによって朝食をすることにしていますが、その時、マイケルがすばらしい絵を見せてくれました。「糖尿病の島」の絵です。まわりはインシュリンの海で、島には、血管の橋がかかっていたり、膵臓の岬があるのです。ケロッとした顔で見せてくれましたが、一日も早くよい研究の進むように願わされました。
一行は、月曜日の朝、九時に出発し、夜九時頃無事についたと電話がありました。
こちらには、その日,ロスアンゼルスのキャロから電話がありました。ご主人が白内障の、手術を受けているのを待っている時間だとのことでした。高橋和子さんも、度々心配してお電話をかけてくれます。
今朝(九日)は、シアトルの的場明美さんも励ましの電話をくださいました。日本の教会の方々からもお祈りのメールをいただいたりしています。
頼子の今学期の最後のテストもおわり、神様がお決めくださった二十一日は、いろいろな準備も整う最善の日なのだと思っています。忠信も、二十日に来て二十三日までついていてくれるそうです。その後、一度帰ってまた来てくれるそうで、ありがたいと思っています。
注文してあった日本語で使えるコンピューターも、月曜日には届くことになっていますから、入院前にすこし調子を見、退院後忠信が来てくれている一週間の間にいろいろと教えて貰うことができることになりました。そのころには、車も帰ってきているでしょうから、私の運転も始めることになると思います。
それでは、皆様、お元気で。
郁子