アトランタ発第7便
2001・6.18
第6便を発送したすぐ後の15日の夕方、第5便に書いたヨシコさんが亡くなった知らせが入り、大きなショックを受けました。ヨシコ・オレンジさんとは、三年前に牧実のところの婦人会でお会いした事があったのですが、個人的にお話ししたのは、第4便に書いた母の日の夕食会に友子さんと一緒においでくださった時がはじめてでした。ダディの手術のときは何でもお手伝いしますから、と言ってくださったので、手術後三日目と、四日目に、英語を助けるために付き添って下さるようにお願いし、大変助けていただきました。病室の付き添いで、時間もありましたので、いろいろとお話しを伺いました。6年前に亡くなったご主人のこと、ノースサイド病院で働いている息子さんのこと、そして、信仰生活のこと。そして私も、天国の音楽が聞こえる、と言って召された母のこと、自動車にはねられ、お先に天国に行きます、皆さんによろしく、と言って召された父のこと、孤児になってしまった私たち5人のきょうだいの支えとなって下さった神様のことなど。時々、看護婦さんがきたりして、話しが中断しましたけれど、聖書を開いてボーンアゲイン(新生)の意味の説明などもしましたが、熱心に聞いていらっしゃいました。
こちらに来て最初の新しいお友達として、これからを楽しみにしていたところでした。
ヨシコさんは、おなかの中に脂肪の塊ができる、という変な病気で今までに5回も手術を受け、今度は6回目でした。とても、元気でしたので、誰も、また無事に終わることを疑わず、ご本人も、もう少ししたら、ダディの全快祝いをしましょうと、言っておられたほどなのに、詳しい事はわかりませんが、手術後数時間で亡くなったということです。死は、何時訪れるかわからないことをあらためて教えられています。二、三日前からとても、神経質になっているらしいと聞き、何度も電話を架けようとした(自分では動けないので)のですが、前の晩にもつながらなかったのが、とても残念でした。
頼子が、三月に友子さんと、ヨシコさん二人にバースデーケーキを焼いてあげたことを喜んで、涙ぐんでいらしたそうですが、今回も,牧師先生の看病をさせていただけたのは、とっても嬉しい、よいお話しもたくさん聞けたと、私たちにも、友子さんにも、最後まで言っていらっしゃいました。今となっては、少しでも、喜んでいただけたことを、良かったと思うばかりです。
こちらでの、葬儀のやり方で、昨日、4時から7時がビューイングと言ってお棺の蓋が開かれていてお顔を見られる、というので行って来ました。穏やかな、眠っているようなお顔で、天国での再会を期待したことでした。今日、墓地で、埋葬の式が行われます。私たちは、遠くて行く方法も無いので出席は諦めました。友子さんの所に良い写真がありましたので借りました。HPのアルバムを見てください。右がヨシコさん、左が友子さんです。
私に与えられているお友達、皆様一人一人のために、神様に感謝しています。
郁子