アトランタ発第9便
2001.7.20
まず、暑い暑い日本にいらっしゃる皆様に、暑中お見舞いを申し上げます。皆様のご健康が守られますように心からお祈り申し上げています。
この「アトランタからの便り」を読んだいろいろな方から、お便りや、電話、メールをいただいて喜んでいます。新しいお付き合いも始まり、日本にいたときより、気持ちの通じ合う会話も増えたような気さえいたします。「一緒にそこにいるように思える」と言ってくださる方もあって、日本を離れることを、「遠くなり簡単にお会いできなくなる事」であり、「さびしい事」の様に感じていましたが、むしろ近くなったのかも知れないと思いなおしています。こういう、展開が見えてきたことを、神様に感謝しています。
今日は、七月二十日,海の日そして、いよいよ夏休みですね。こちらの夏休みは、もうだいぶ前から始まっていますが、やはり、どこのお店に行っても、子どもたちをたくさん見かけます。日本と違うところは、子どもたちだけのグループは見られない事でしょうか。
どこへ行くにも、車でなければ行かれないので、家族と一緒に行動することになるのだと思います。子ども五・六人と母親らしき大人二人、というグループを見つけ、組み合わせを想像するのは楽しいことです。また、二十四時間開いているお店に、夜九時過ぎに行っても、お父さんと子どもたちという姿をよく見かけます。やっぱり、夏休みだなあ、と感じています。
私たちは、前に書いたように7月4日から8日までアラバマのガルフショアに行き、その後誘われて、16日から、少し北東のサウスキャロライナ州のコロンビアを皮切りに、マリンズ、チャールストン、オーガスタへの、伝道旅行に行き、昨夜(19日)帰って来たところです。
アラバマ州のガルフショアに出かけたのが独立記念日でしたので、いたるところにアメリカ国旗がたくさん立てられていました。(国旗は20ドルくらいで、スーパーで売っていますが、その昔、日本でも、雑貨やさんで、日の丸の旗が、黄色と黒に塗り分けられた旗竿や、上につける金色のボールと一緒に売られていたことを思い出しました。)
夕方、海辺の宿にチェックインを済ませ、荷物を下ろしてから、まず、開会の礼拝をもちました。ダディーがメッセージを取り次ぎました。それから少し離れたレストランで夕食を頂きました。食事が終わったのは、やっと暗くなる9時頃でしたが、ちょうど独立記念日の花火が始まり、そのまま、花火見物が出来ました。去年の8月、孫のマイケルやディビッドたちと厚木の川原で「鮎まつり」の花火を見たときの事を思い出しました。他の人たちも、口々に日本の花火の思い出をしゃべりだしたことでした。ここまで書いていましたら、昨夜、明石市で、花火見物の人たちが将棋倒しになる大事故があったニュースが聞こえてきました。昨年の「混雑」を思い出してぞっとしました。
ところで、宿での次の日からの生活は、朝、一時間ほどの礼拝の後、釣はもちろん泳ぐ人もあり、もっぱら海を楽しむ毎日でした。8才の男の子を連れた重見牧師一家と陳さん、古賀さん(奥さんも)というビジネスマン、そして、日本からのお客様が一人参加していました。
釣れた魚は、日本の中鯵のような大きさのもの(4.5種類)何と57匹、30センチくらいのと少し小さめの、ヒラメが2匹、と大漁でした。予定通り、最後の夕食は、ヒラメの刺身に、後は、煮付け、バター焼き、塩焼きなどで、舌鼓を打ちました。あまりの大漁で三日目には、もう小さいのは要らないからと、私まで大きいヒラメを狙いましたが、やはり、それは、無理でした。それどころか、私は、ご愛嬌で25センチくらいのコバンザメを三回も釣って悲鳴を上げてしまいました。ヒラメをあげたのは全部圭三さんでした。期待した鯵の群れが見られず、残念でしたが、広い広い海の中に神様がお造り下さったたくさんの魚たちがいることをあらためて実感したことでした。天気もよく、しっかりクリームを塗ったのに、足にはサンダルの跡が、未だに消えないほどよく日焼けしましたが、風は心地よく吹いて、あまり暑さを感じることもありませんでした。とても楽しいキャンプでした。
帰ってみると、キウリやトマトがいっぱい、収穫されるのを待っていました。キウリは、こちらのお店で種を買ったのですが、韓国語の説明が読めないため、地這えのものか棒が必要なのか分からないで困りましたが、さかんにつるを伸ばし、手を探しているようなので、1メートル余りある、針金で作った朝顔の行灯仕立てみたいなものを立ててやりました。それはそれでよかったのですが、出来たキウリは、日本では余り見かけない、ピクルスのビンに入っているような直径5センチもある太いキウリで、長さが25センチにもなる巨大なものでした。さすがアメリカと感心しています。毎日、よく取れるので、炒め物や煮物にも使っています。トマトもアメリカの苗を植えたのですが、枝で赤くなるまで熟したものは美味しいです。香りの点で少し物足りない気もしますけれど、それでも毎日収穫が楽しみです。一足先に鳥にやられることが多いので早起きしたいと思うのですが、なかなか鳥には勝てません。マア、仲良く半分づつ食べています。
暑くなってきて、芝の伸びも盛んになり、圭三さんは、芝刈りに追われています。きれいにしておくためには毎週刈る必要があるそうです。でも、とてもそんなことは出来ないので、時々芝の「花盛り」を目にすることになります。表の道路に面した庭の一部に、ピンクと赤の石竹や、キンギョソウ、サルビアなどを植えたのですが、今は松葉ボタンがきれいに咲いています。ポストのまわりに植えた、ムラサキの花の咲くハーブは、とても良い香りがします。花アブがたくさん寄ってきて蜜を吸っています。近づくと、けん制するように、こちらめがけて飛んできて、いかにも怒っている様子を示すので面白いです。思わず「私が植えてあげたのよ」と、こちらも主張したくなってしまいます。この蜂はミツバチハッチのようで、とてもかわいいです。かわいいと言えば、この住宅街に入る角近くの家の庭に、小さいウサギの子を見つけ、最近、我が家の話題になっています。私は、白いのと黒いのを、二回、見ただけですが、圭三さんと頼子が一昨日の夜、7,8羽が集まって、集会(?) をしているのを見たそうです。垣根も何もないのに道路には出てこないので、不思議に思っていますが、野生のはあんなにカラフルな筈もなく、とにかく、そこを通るときには、ブレーキを踏んで楽しむことになっています。
16日からの伝道旅行は、武田の恒義さんたちが毎月巡回しているものですが、今回は、日本から来ている同窓生の日高道子さんや、こちらで、活動している「聖書をよむ会」の高橋和子さんも同行する予定になっていて、私たちにも体調が良ければ、というお誘いを受けての旅行でした。アラバマまで、千マイルくらいのドライブをして来た後でしたが、特に問題もありませんでしたので、参加させて貰いました。こちらも、同じくらいの距離の旅行になりました。ダディーは五回の集会でお話をさせていただきましたが、説教するたびに、力強くなった、と言われ、喜んでいただくことも出来ました。コロンビアでは、集会室が狭いくらい、大勢の方が集まっていましたし、マリンズは、本当にアメリカの田舎という地方に数人の日本人が集まっている感じを強く持ちました。チャールストンでは、良子エリスさんご夫妻の長年のご奉仕を本当に素晴らしいと思いましたし、最後のオーガスタ(ゴルフで有名なオーガスタはジョージア州で、州境を挟んで隣同士)では、東洋人のために重荷を感じて、ご自宅を開放して日本人の集まりを支えていてくださるアメリカ人のご夫妻の存在を知り、有りがたい事と感謝しました。いろんな方々とお会いして、これからの働きのためにも教えられる所が多かったと思います。同窓生で48年余りの付き合い(道子さんとは、一年生の時,同室、和子さんとは二年生の時一軒家のC寮で一緒でした)という事もあり、バカみたいな騒がしさでしたが、最後には息のあった(声?)賛美のご奉仕もいたしました。疲れを感じる事も無く、元気で帰ってくることが出来ました。
昨夜(二十一日)は、お向かいのおうち(ご主人はカナダ生まれの日系三世、奥さんはアメリカ人)に、日本から英語のわからないお客さんが来ているので、一緒に夕食をしたいと、お招きを受け、おすしを持ってうかがいました。遠い親戚だということで、熊本から二人の高校生が来ていました。ご夫妻が仕事で忙しいという火曜日と水曜日の二日、私たちが少しお手伝いすることになりました。
運転の方も徐々に範囲が広がり、このあたりは自由に動いています。モールまで行って「運動」をし、いろいろなところでランチを食べる練習もしています。今度、行って見たいのが、日本にもある、アイホップ(インターナショナル・ハウス・オブ・パンケーキ)です。
明日は、はじめて、武田家まで、ドライブしていくつもりです。いつもの礼拝の後、あちらの十一時の礼拝に間に合えば、と思っています。昨日、ロスからもう一人の同窓生仲間、キャロがアトランタに着きました。「アトランタは嵐のため」と、出発も着陸も待たされて大変な旅で、何とロスから十二時間かかったそうです。「日本までの方が早く着くよ」とは、キャロの言葉です。我が家のあたりはいたって静かでしたので、ビックリしました。どうやら局地的に荒れたようで、和子さんのアパート(家よりも飛行場に近い)の近くには雷が落ちて、大きな穴が二つもあいたと聞きました。この上も、かなり飛行機が通るのですが、とても、高いところを飛んでいるせいか、うるさいとは感じません。むしろ、子どもたちが小さかった頃、「ブーンがきた」といって喜んでいた時と同じような思いで空を仰いでいます。
では、また次まで。お元気で。
郁子