一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第101便
2012 1 20
2012年、最初のアトランタ便です。2001年3月31、愛川の里子さんの家を出たときは雪で真っ白だったことが思い出されます。今、丸10年を過ぎ、まもなく11年も終わろうとしています。昨年末にアトランタ便も100号を迎えました。月日の流れを思わされておりましたが、クリスマス翌日、思いがけないeメールが届いたのです。昭和46年(1971年ですから43年前)私たちの家に神様が送ってくださったと思っていたかわいい女子高生がおりました。ふとしたことから出ていかれて、その後が分からなくなっていました。私たちはその2年後、厚木に引越し、アメリカに移るまで愛川町で過ごしました。その女の子は私たちが引っ越してから、ずいぶん探してくれた様ですが、亀有から厚木がどうしても繋がらなかった様です。それがインターネットのおかげで、とうとう「一麦教会、渡辺郁子さん」で、こちらに来てから書き出したホームページにたどり着いて、その日のeメールになったと言う事でした。何と43年です。あの笑顔のかわいい子が58歳の「孫」を持つおばあちゃまになっているとは! しばし呆然となりました。なによりも、しっかりと、まっすぐに生き、幸せそうな家庭を持っているとの事に、本当にほっとしました。
次々に分かって来た家族の状況、そして、昨日はついに、たくさんの贈り物と一緒に、子供たちの結婚式のDVDも送ってくれましたので、一日中夢のような思いでテレビの前に座って「過去と現実」のつき合わせをしました。主人がいたらどんなに喜んだことかと思わされましたが、何にも代えられない程嬉しい神様からのプレゼントでした。
昨年は、「もう一人の娘」と思っていたグレースを天国に送り、さびしく思っていましたが、また楽しいお交わりがはじめられる事、本当に感謝しています。
100号をお送りしてからの年末年始、今年は割りに忙しい感じで過ごしました。勉強会のクリスマス会は12月2日、教会の近くの陽子ファーガソンさんのお宅でさせていただきました。ご主人のご協力もあり、いつもいろいろとお世話になっています。集まりやすい所だったせいもあって、新しい方もお出でくださり10名になりました。最近、ペンシルベニアから引っ越して来られた玲子さんも、見事な「鶯もち」を作って参加してくださいましたし、みなそれぞれ力作を持ち寄って下さったので、豪華なパーティーになりました。私が用意したメインの「寄せ鍋」も大好評で喜んでいただきました。その評判からばかりではありませんが、別の「読書会」仲間を中心にしたパーティーも松井家を会場にして次の週に開きました。こちらにはお仕事をしている方もありますので、土曜日に圭三さんの留守中にさせてもらうことにしました。
その間の10日がノークロス教会のクリスマス会だったのですが、スケジュールが過密になりすぎて今年は参加を諦めました。松井家には二日前から行って準備したのですが、もちろん、その予定の中には「ジェジュ」(韓国式健康ランド)でのお楽しみを含めての計画です。集まったメンバーの中には私のクラス関係ではなく、公認会計士として働いている頼子の後輩?にあたる二人、槍河内典子ちゃんと新しくアラバマの大学を卒業してアトランタに就職してきたばかりの新谷まりえちゃんも入っていました。二人は公認会計士になる希望を持って勉強中なのです。パーティーの最初は「海苔巻きのまき方講習会」。そして、勉強会からのおすそ分けみたいな勉強タイム。「神様が世界を創造した」という創世記の記事がこの30年の科学の進歩によって大きく証明される段階に入ってきたことを学びました。すばらしいご馳走で満腹してからの後半は、自然に二つのグループになって若い3人は「難しいと言われる公認会計士CPAの試験のことや、仕事の内容」片方では「実際生活の中での信仰問題、家族の問題など」に話が進み、それぞれ貴重な時間を持つことができました。
次の日は久しぶりにノークロスの教会の礼拝に出席しました。酒巻先生たちにご挨拶の後は、前からのお約束でお友達のSさんと中国の「ホットポット」(鍋物)を食べに行きました。みんな家が遠いのでなかなかゆっくり個人的にお話する時を持つことが困難です。ついつい「浅い表面的なお付き合い」になりやすいので、こういう機会を作っては「本音の語り合えるようなお付き合い」を深めたいといつも思っています。
このクリスマス前のすばらしい週、思いがけなく三人の方が亡くなったニュースが入り、それぞれ対応に心を使いました。父の生前からお世話になっていた友人、荒井怜子さんが大事な息子さんを天に送りました。怜子さんは何十年も前に一人のお子さんを亡くしておられます。しかも、今度亡くされたえりや君は特別に期待していたお子さんだと感じていました。天国で再会の希望はあるとは言え、そのお悲しみを思うと言葉もありません。神様のお慰めを祈るばかりでした。続いて21日のお昼のメールでは、以前、一時期、私たちの教会におられた方が、躁うつ病の結果だと思いますが自殺されたと言うニュースが入りました。いろんな悩みがおありだったことだと思いますが、お力になれなかった事を残念に思いながら、とにかく一日も早くご主人に手紙をお届けしたいとあれこれ考え、結局インターネットと妹すみ子に助けてもらいました。
その日の夕方にはインディアナに住んでいるリンの叔父さん(お母さんの妹の夫)が84歳でなくなったのでクリスマスが葬儀になりそうだと言うニュースです。忠信は一家で行くかどうか、と言っていましたが、結局、葬儀が26日になったので、リンが一人で片道12時間のドライブをすると出かけていきました。その前、24日にはマイケルの高校時代の音楽の先生の教会で、その先生やマイケルたち卒業生も加わってのバンドが奉仕する「クリスマスのキャンドル ライト サービス」がありましたので、みんなで参加しました。最初のクリスマス、野原に響いた天使の歌声を思いながら、クリスマスにラッパの音を聞くのは本当に楽しいものです。良い先生に恵まれた事も感謝しました。
25日がちょうど日曜日にあたった今年は、アメリカの多くの教会で「土曜日に礼拝をすませて、日曜日は礼拝なし」と言う事になり、驚かされました。そう言う訳で25日の朝は、私だけが出かけるので、その前に「全員集合」で、ツリーの下に積まれていたプレゼントを開く、楽しい時間を持ちました。
教会でのクリスマスは、牧実たちにとって、この教会での最後(後任牧師のビザ待ち中です)のクリスマスになると思われ、いつもとちょっと違う感じで礼拝がもたれました。私はその火曜日にもう一つの小さいクリスマス会食を楽しみ、29日から年末行事で松井家に向かいました。今年はなぜか「栗きんとん」に入れる「栗の甘露煮」が見つからず、頼子と二人で六,七軒の店を回りましたが、遂にあきらめて、ただの「きんとん」にしました。おせちは簡単なものでメインは「おでん」。(後は皆さんの持ち寄り)あまり時間もかからないものばかりで、のんびり楽しみながら準備が出来ました。31日には6時頃から新年になった2時半まで、忠信夫婦をはじめ、友人家族など15人で楽しく越年しました。マイケルはフットボールの応援で、バンドのバスでフロリダへ行き、デービッドは教会のキャンプで不参加でした。そして、元旦は元気に教会に集まり、祝福のうちに新しい年を踏み出すことができました。新年も3日、4日と個人的なお交わりで「ランチ タイム」が続き4日は、松井家に泊まり、翌5日の朝から、頼子たちが「77歳の誕生日祝い」に、招いてくれた「バハマ諸島へのクルーズ」に出発しました。フロリダまで車で行くことにしましたので、他にお二人、一人暮らしの年配のお友達(83歳と78歳)をお誘いし一緒に行きました。行きにはセント オーガスチンで一泊見物、帰りはオーランドに住んでいる、ゆかり(牧実の長女)ちゃんの家に2泊させてもらってNASAのスペース センターを一日、次の日はホーリー ランドで一日楽しんで来ました。バハマの美しい海の色、魚たちの群れ、ホーリーランドで見た天使たちの舞う天国の門の風景が目に残っています。
今日は今年最初の勉強会でした。神様のお助けの中で今年もがんばりたいと思っています。みなさま、どうぞよろしくお願いいたします。
郁子