一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第106便

                                                                                                           2012   121

  Merry   Christmas & 新年おめでとうございます

サンクスギビングのお休みと言うことで、11月22日から26日までフロリダのパナマシティーに行ってきました。松井家の恒例行事ですが、今年は少々変わっていました。このお休みは、アメリカ社会では7月の独立記念日と二つの、大きなお休みです。学校、会社がお休みなのは勿論、ごみの収集、郵便局、教会の事務所まで、そして、日本なら、「稼ぎ時」と思われるレストランまで(ほんの少しを除き)完全に閉じられてしまいます。家族が集まったり、旅行にいったりします。もともとは1621年、イギリスからアメリカにわたってきたピルグリムたちが、、アメリカでのはじめての収穫を感謝し、厳しい冬を越す知恵を授けてくれたネイティブアメリカンたちを招いて祝宴を催した事に由来した行事です。我が家(忠信家)でも、インディアナからリンのお母さんとデービッドが、そして、ジョージア大学のアセンズからマイケルが帰ってきましたが、私は、例年とおり、頼子たちとフロリダへの釣り旅行に参加しましたので、すれ違いになりました。この休みには、教会からも、有志のグループが釣り旅行を計画するのですが、今年は、いろいろな事情で、まとまらなかったため、私の周りの方々も、圭三さんにお願いし、こちらに同行させてもらうことになり、急遽、2ベッドルームの契約を3ベッドルームに変更し、車2台、7名で出かけました。何しろ7名の荷物、釣り道具一式、の他に4泊5日の食事道具とすべての材料も積んでいくので大変な荷物です。1台は「律子さんの車」でと言う事になったのですが、長距離運転はこわい、とのことで、そちらは頼子が運転しました。6時間ほどかかります。釣りは殆ど始めての方ばかりで、食べる人の方が多いので、ちょっと、不安もありましたが、どうしてどうして久しぶりの大漁でした。殆どはじめての律子さんも5~15センチと言う小アジをたくさん釣って、病み付きになりそうだとのこと。圭三さんが一日目、二日目と少し小さ目の「ひらめ」を2匹ずつ、3日目には大きいひらめを1匹あげてくれました。おまけに、かつおを食べない、こちらの人から、60センチもあるようなのを1本いただきました。アトランタから持って行った(現地では手に入らないため)つまにする大根もわさびもちゃんと出番がありました。かつおは周りを焼いてたたきです。ひらめは、お刺身だけでなく、中華風の姿蒸しも出来ました。小アジは南蛮漬けとから揚げにして、食べ切れなかったものを、幸子さんがお孫さんたちに見せたいからと持ち帰られました。小さいものまで数えると150匹くらいはあったと思います。律子さん、幸子さん、加代子さん、エミさんみんな、ご主人を亡くされた「むかし乙女」の方々です。「言葉に出来ないほど楽しかった」と言って喜んでくださいましたが、圭三さんによると、以前24人で行った時よりも、賑やかだったそうです。「みんな長生きするよ」と、保証をされたそうですが、ポツンと一人暮らしをしている方々が、「家族みたい」と楽しんで下さったことを聞いて本当に良かったと感謝しています。

 間の日曜日には、アメリカのバプテスト教会の礼拝に出席しました。大変力強いメッセージで私が感動を受けたのですが、是非、詳しく、説明してほしいと頼まれましたので、午後からは、もう一度日本語で、同じところのお話を学びました。アメリカはキリスト教の国として立っていますが、実際は、公立学校から宗教色は消え、教会数もどんどん減っているそうです。そんなお話も聞いて、27日帰ってきましたら、アトランタでの「足元」とも言うべき、ノークロスのバプテスト教会も破産寸前の状況だと聞かされてびっくりしました。

そこに入っている「バプテスト日本語教会」も大変そうだとは思っていたのですが、この近くで消えそうな4つの教会の中の一つだとのこと。私がお世話になっているウッドストックにあるバプテスト教会は会員数が1万人を超したということですが、ノークロスの2年前に立て替えた立派な建物を、銀行に取られるわけにはいかない、と言うことで、救援にのりだすことになり、総会が開かれたそうです。いろいろな意見があるようですが、なんとか、乗り越えてほしいところです。ウエストミンスター教会では長井先生を迎えて、初めてのクリスマスになります。武田たちにとっては、最後になります。すべてのプログラムが祝されるように祈っています。

 105便でちょっとふれましたが、10月の最後の週末「ミニ観光と伝道応援ツアー」と言う計画を立てました。一人のキャンセルがありましたが、予定通り大西洋に面した空軍の基地ビュフォートの群を訪問する事が出来ました。運転手の真知子さん、幸子さん、エミさんと私、4人になりましたので、真知子さんの車で(私のより小さい)先ずはサバンナを目指して出発。サバンナでは、アメリカの独立戦争云々の記念碑やら、奴隷市場、当時の世界を彷彿とさせるような町並みを見物し、有名な水際に並ぶシーフードのお店で、念願だった、「生のかき」に歓声を上げました。でも、初めての道なので、早めにビュフォートのホテルに入り、翌日に備えました。ハリケーン、サンディーが近くを通っていましたが、ふしぎなほど、穏やかで、翌日は、先ず竜子さんのお宅に向かい、「きのこなべ」をつくり、ご主人もご一緒にランチをと言う計画だったのですが、ご主人は朝早くに出かけてしまわれていました。日本の女性一行からお逃げになったのではないかと心配しましたが、竜子さんに、「そうではない」と言っていただきホットしました。となれば、気にすることもなく、日本語で、話はつきません。集会は2時半から。お借りしている教会で何かの行事があるらしく、ばたばたしていましたが予定通り、リーダーの恵美子さんのギターによる讃美歌で集会が始まりました。この集会のあと、海辺にあるレストランに移動して、会食の計画でしたが、その方だけに駆けつける方もあり「集会第2部」と言う感じでした。総勢7名、良く食べ、良くしゃべり、みんなが病気の佳奈さんを労わりながら、励まし、支えている姿を見せてもらいました。食後は美しい夕焼けの中で、写真撮影。良いお交わりが出来ました。

 いよいよ12月に入りました。日本は、もう早くも寒波の襲来のようですね。今年初めての経験がもう一つありました。ウッドストックのアメリカ人の教会は大きいだけでなく、とても、活動的で、地域の人々に対する奉仕も盛んな教会なのですが、十月のおわりに、慰問品の「ブランケット」つくりのお手伝いを求められました。材料は揃ったのだけど、つくる「手」が足りない、とのこと。「口」では困るけど、「手」なら、と言うことで、日本人8人で参加しました。結果としては、こちらが作り方を覚えられただけでなく、「日本人パワー」の発揮が出来ました。「早い、きれいな仕上げ」で驚かれたようです。

 はからずも、「被災地にも送ろう!」の声があがり、菊池郁子さんの送って下さった本をきっかけに、気仙沼に20枚の手作りブランケットを送る事が出来ました。その場ですぐに、いくらかの献金が集まり、早速、売り出しをしている生地の店を捜し、買出し、作業日の打ち合わせと、どんどん話が進められ、一方、船便のなくなった今、一番安く送るためにどうすれば良いか、良い方法ははないかと調査がはじまり、重量と体積、両面から、みんなの知恵を絞って、方針が決められました。規定のサイズの箱に詰めるため、空気を抜いて整えることになりましたが、その袋がどこに売っているか、何と言う名前で売られているか(スペースバッグでした)アメリカならではの問題も有りました。私のグループの一人ひとりにとって素敵な経験をさせていただくことになって感謝しています。皆様どうぞ、良いお年をお迎えください。  

郁子

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