一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第115便

2014.11・24

祝クリスマス   2015年新春

 

早いもので年末年始のご挨拶の季節になりました。

 

ここ迄書いたところで、長野に大きな地震があったと言うニュースが入りました。

白馬村のペンションで同窓の方々と楽しいロバの会を持ったことを思い出します。2000年でした。スキーのジャンプ台の近くでした。珍しい泥の温泉も有った様に覚えています。

 

丁度息子一家が日本に滞在中でしたので、小学校の1年と3年だった孫も連れての参加でした。三年生だったマイケルがこの春大学を卒業したのですから、「時の流れ」を感じてしまいます。あの辺りがどんな被害をうけたのか、案じています。お見舞いを申し上げ、お慰めを祈らせていただきます。

 

それにしても、災害の多い年でした。多くの方が悲しい思いをしておられることでしょう。

 

地球規模でも、身の回りでも、悲しいニュースが多く、「闇」を感じさせられます。ただ、このシーズン、世の光としてお生まれ下さった主イエス様に目を向けると、少しも変らない希望に心が慰められます。個人的には、年を重ねてこの世の旅路の終わりが近づくにつれて、永遠の輝きが増してくるように感じられます。

10月30日には、生涯のお付き合いをさせていただいたフェーデル先生をお見送りいたしました。ご一緒に働いたのは僅か青春の2年足らずでしたが、その後も長い間、親しいお付き合いが続き、ことに晩年になられてから奥様を先に送られてからは、共通の数々の思い出を語り合う事が出来る数少ない友人として、また、同じ思いで天国に呼ばれる日を待つ信仰を持っている者として、「今日か明日か」と言う状態の中でも、電話で楽しくおしゃべりの時間を持つ事ができました。葬儀の後、子供さんたち全員の連名で心のこもったお礼状を頂いてやっと先生の去られたことが実感となりました。

 

さて、今年は新幹線開通50周年とか、あの懐かしい「夢の超特急」の歌がしばしば聞かれて当時のことを思う事が度々でした。子供たちが生まれたのが昭和34年35年でしたから、「夢の超特急新幹線」は開通前からの格好のおもちゃでした。やがて、開通してからも、実物を見ながら頭の「夢の」が取れないで、もう夢では無いのだから「夢の」は要らないのよ、と何回か教えたのを思い出しました。

皆様にとってこの年はどんな年だったでしょうか。

 

私のこの一年を振り返ってみると、特に大きな事はなく、穏やかな静かな一年だった気がします。健康も支えられたことを感謝しています。

 

一番大きな変化は、教会生活でしょうか。昨年11月から今年の1月にかけて日本に帰っておりましたが、こちらに戻ってから、忠信たちと一緒にアメリカ人のヒルサイド教会に連れて行ってもらう生活に切り替えました。日本人教会へは毎月、第一日曜日に行かせていただくことにしました。そのほか、月に一回は頼子の方へいきますので、その時は、頼子たちのアメリカ人の教会クロスポイントに行きます。どちらも英語の問題がありますから、うまくなじめるかと多少の不安はありましたが、今では心待ちにするような親しみを感じられる様になりました。クロスポイントは音楽が今風で最初はびっくりしましたが、お話は素晴らしいです。普段行っているヒルサイドの教会は、孫たちの高校の側にあって、お世話になった教会です。人数はそれほど多い教会ではありませんが、午前中に2回の礼拝があります。8時25分からの早い方の礼拝に出ていますが、ここでは毎週、聖餐式もあります。

 

今年、主任牧師が代わられたのですが、ラジオ、テレビなどにも出ておられた先生だそうです。スタッフとしては18人の名前が上げられていますが、通常、私たちの礼拝には他に2人の副牧師がおられます。いつも日曜日の朝には、今日の礼拝で、私に必要なお話が分かりますように、とお祈りをして出かけますが、全部は分からなくても、ちゃんとメッセージを頂いて帰る事ができ、感謝しています。数人の方々が必ず玄関で迎えてくれますが、時には主任牧師の先生が歓迎のハグをして暖かく迎えてくださいます。もう一つの楽しみは、素晴らしい賛美歌です。主に奏楽をされるのは年配の男の方です。オルガンとピアノ(講壇の両側に置いてある)の間を自由に移動されるところが面白いと思いますが、その選曲と音色が素晴らしく、とても楽しみにしています。選曲と言うのは、私が若い頃、盛んに歌われていた「リバイバル聖歌」からの曲が多いからです。私たちは、戦後日本に送られてきた宣教師たちが、従来の「賛美歌」ではなく、「リバイバル聖歌」と言う歌集を使って伝道を進めていかれた中で育ちました。その後、私が卒業して伝道生活を始める頃に、それらの中から選ばれたものが集められた「聖歌」が出来、リバイバル聖歌は殆ど使われなくなりました。それが長年忘れていた歌、しかも、歌詞などを暗記するほど歌ったものが飛び出してくるのです。音を聞いた時に、思わず日本語の歌詞が出てきて、時には、ひとり日本語で歌う事もあります。毎回、そんな歌に出会う事が出来、気分も若返る気がいたします。

 

また、音楽牧師のような方(とても良い声)がいて、幾つものグループがあります。大きいクワイヤーは勿論、小さい幾つかのコーラスグループ、(混声、女声、男声)ハンドベルグループ、などがあり、その他、個人での演奏や独唱もあります。これから、クリスマスを迎えますがどんなプログラムが計画されるのか楽しみにしています。

 

月に一回のペースで勉強会も続けています。コカコーラの西本幸子さんが以前から祈っていてくださったのですが、いろいろな状況が整って、今は毎回素晴らしいお宅を開いていただいてそこで学ばせていただいています。日本のコカコーラの生みの親とも言えるご主人が設計された家で、今は幸子さんがご主人の思い出と共に大切に住んでおられます。多くの珍しい記念品がおかれています。勉強の内容は、あまり、教会では時間を取って学べないような地味なところをゆっくり味わいながら、楽しく学んでいます。新しいメンバーも少し増えました。

 

一方、今年一月に不安を覚えながらスタートさせたブログでの働きですが、モタモタしながらも、ここ迄来る事が出来たことを感謝しています。外出が減った分、コンピューターの前の時間や読書の時間が増えたと思います。

 

今年の秋は紅葉見物に2回も連れ出してもらいました。一回目は10182時間ほどドライブの後、ブルーリッジと言う山の中の小さい町?から一時間ちょっと観光列車の旅を楽しむコースでした。テネシー州の境までの景色は、林の中を何処までも行くような、素敵なものでした。帰りにはブルーリッジの大きな市場に寄り、りんご祭りではありませんでしたが、山積みにして売っていたりんごの大きな袋を三つも買って帰りました。「ふじ」と「むつ」と、「あおりんご」。少し前から「菊」と言う品種が出て来ましたが、ここでは見つける事ができませんでした。「ふじ」はこちらでも、とても、人気があるようです。忠信たちがペンシルベニアに住んでいた時に、何回か訪問しましたが、途中にりんごの町があり、町の中のあちらこちらの交差点に直系一メートルもある様な大きなりんごが置いてあったのを思い出しました。丁度先日テレビの旅ニュースで、青森に、最初に植えられたりんごの木が今でも3本大切にされていると見せてもらいました。アメリカはりんごの故郷なのです。

 

ブルーリッジにはオリーブ油とバルサミコの専門店がある事を頼子から聞いていたので、探して行ってみましたら、いろいろな味やかおりの違うものを試食出来る様になっていて、その違いと奥の深い味わいに関心しました。また行って見たいところです。

 

この時の紅葉は少し早かったようでしたので、2週間後にもう一度、紅葉ドライブに出かけました。私が時々、歩くのに困難になる事がある、と分かり、二度目のときは忠信が車椅子を用意してくれましたので、安心して、みんなと同じペースで結構山の中まで連れて行ってもらいました。幾つものナショナル・フォレストに分け入り、がたがた道も楽しみました。林の中で開かれていたアートのフェスティバルと言う作品の展示即売会の会場では車椅子を押してもらって一時間近く楽しみました。更に進んでテネシーの山のそばまで行きましたら、思いがけない峡谷に出て、その美しさに息を呑む思いをしました。

 

もう今はすべての葉が落ちて冬の景色になっています。先日そんな林の中から鹿がとびだし、気がついた私がびっくりしてブレーキをかけましたら、何とその鹿は私の目の前を横切って林に消えました。後から教えてもらったのですが、鹿は愚かな動物で、自分の意思を変えないのだそうです。反対に離れる事が考えられない様で、横断しようとしていたところに私がさしかかったため、そのまま、並行して走るはめになったのでしょう。それにしても、ブレーキを踏まなければぶつかったところだったと、ぞっとしたことでした。

 

明日は朝早くに運転免許証の更新に連れて行ってもらいます。実はこの29日で永住権がきれるので、免許証も、そこで切られているのです。永住権の申請は6ヶ月前から受付が開始されますので、5月に出して呼び出しを待っていたのですが、全体に、遅れているようです。永住権のグリーンカードの方には、申請をした時に、有効期限を延長する事が印で押されているのですが、免許証の方は切れてしまいます。免許証なしでは一日も過ごせないアメリカの生活です。ここのところ、みんなひと月以上遅れていて、免許証が使えなくなっています。臨時に延長の手続きをしなければならなくなって、文句を言いながら20ドルを払って短期間だけの切り替えを受けているわけです。私も何とか年を越さないで全てが無事に終わるように願っています。

 

今週はサンクスギビングのお休みで、旅行をしている人が沢山おられます。オーランドから恒義さんと牧実も久しぶりに来ていて、今日は一緒にお昼を食べ、しばらくホテルでおしゃべりをしてくる事ができました。体調を崩していた牧実も大分回復した様でホットしました。頼子と圭三さんは日本へ行っています。忠信たちも、水曜日から3日ほど、インディアナのリンのお母さんを訪問し、デービッドとも合流する予定です。私はこの期間、教会からフロリダへの釣り旅行があるので、行ってみようかと思ったのですが、やはり、みんなと一緒の行動に不安を感じ、それはあきらめて留守番をする事にしました。犬と二人は寂しいですが、それを聞いて、遠くから恵美子さんが遊びに来たいと申し出てくださり、また、やはり、ひとりでどうしようかと考えていらしたひとみさんが、お昼を一緒に食べましょうと言って下さり感謝しています。

 

サンクスギビングが終わると、いよいよクリスマス、そしてお正月です。新しい年が明けると直ぐに80才になります。来年は日本へ行きたいと思っていますが、もう広く回る計画を立てるのは無理になりました。どこかの温泉にひっそりのんびり行こうかな、などと考えています。コンピューターでいろいろな情報を探すのも楽しいことです。

 

皆様、どうぞ、楽しい年末年始をお過ごしください。ご祝福をお祈り申し上げます。

 

郁子

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