一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第118便

2015・12・1

 

2015年のクリスマスと、2016年の新しい年、お喜び申し上げます。

 

ニュースを聞くのが恐ろしくなるほど、次から次へと大きな悲しい事件が続いている作今ですが、皆様の上に、きのうも今日も、永遠に変ることがない神様のお守りと日々、新しいご祝福がありますようにお祈りいたします。

 

今年は4月から6月に、日本へ行き、多くの方とお会いする事が出来ました。多くの友人知人を天に送り、寂しい思いもいたしましたが、一方、多くの幼い者たちの逞しい成長も見る事が出来、自分の今、生かされている「つかの間」の人生を思わせられる事もありました。日常の一つ一つが神様から与えられる尊いものである事を思い感謝しております。特に日曜日の朝、離れてはいても、息子夫婦も、娘夫婦も、孫たち(マイケルはバイブルキャンプ場、デービッドはテーラー大学四年)も、それぞれのところで神様に守られ元気にそのみ前にぬかずいていることを思うと、もったいないような祝福で胸が一杯になります。

 

この3月で、アメリカに移住してきて満15年になります。主人が去ってから6年です。こちらに来てから書き続けてきた「アトランタ便」も、117便まで、最低3月に一度は守って書いてきましたが、8月初めに足を痛めてから6月を最後に止まってしまっております。ご心配くださっている方に申し訳なく思っておりますが、これからはがんばらないで気ままにさせていただこうと思っております。

 

足は以前から帰国中に度々問題を起こしておりまして、最初の年は、軽井沢の病院に駆け込み、腰椎に大きな?注射をされ、木の枝を杖にして旅行を続けました。途中で立ち寄りました弟のところで男性用の頑丈な杖をもらってきたものです。あの時は主人と一緒でしたから車の助手席に座っているだけですみましたが、次の時は厚木で転び、約束がありましたので、新幹線で岐阜まで行って病院に駆け込みました。右足の後靭帯が切れかかっていたそうですが、九州の病院で一度、水を抜いてもらい、何とかそのまま、回る事が出来ました。3回目は、東京の京王ホテルの中で転び、近くの整形外科に飛び込みましたが、「骨に異常は無い、大丈夫」と言っていただき、痛み止めをはったり、バンドをしたりした上で、今度はかわいらしい折りたたみの杖を買って関西を回り、そのまま帰国して来ました。

今回は少し状況が違うのですが、でも、これまでの3回の経験が大変役に立つことになりました。

痛める前の週に、内科の検診でクリニックへ行きましたときに、少し両足に違和感があると言いました所、「血流の問題かも知れないので、様子を見て検査をし、必要なら簡単な手術も出来ます」と恐ろしいことを言われ、帰宅後は注意して足を高くし、出来るだけ安静にしていたのですが、その日、ちょっと濡れていた階段で足が滑ってしまいました。転びもしませんで、ほんのちょっと右足が踏み込んだところより前に滑ってだけでした。でも、痛みは激しくやはり「後靭帯がやられた」と思いました。ちょうど息子が出張で出かけ飛行場に着いた頃で、ひとりでした。日本でなら救急車(こちらの911)を呼んだだろうと思うのですが、言葉の問題とお金の問題(救急車を呼べば7万円)があり、落ち着いて祈った結果、そのまま、冷やして、痛み止めを飲むことにしました。前の3回の場合を振り返って思い出してみると、いわゆる、外科的な治療は何もされたことはなく、結局は、安静に固定し、時間の問題だったのです。病院へ連れて行ってもらうことは出来ましたが、幾つかの検査にまわされ、結局、よくなるのは時間の問題に思えました。お金の問題と言えば、恒義さんが検査入院で一晩泊められただけで100万円だったと聞いていますし、私が、熱中症?で救急車入院した時も、幾つかの検査を受けましたが、2泊の入院で300万円の請求を受けました。最近も、盲腸で手術を受けて3日入院した方が500万円の請求で困っておられます。私の300万円は、年金生活者であるとメディケードと言う特例が認められて、無事解決したのですが、今回の足の場合には認められることは無いでしょう。本当に、医療費のことではアメリカは恐ろしいところです。日本での様に、直ぐに病院に駆け込むことはできないのです。何も治療はしなくても、幾つもの検査にまわされるだけで、恐ろしいような結果になります。勿論今までに保健に入ることは様々な方法で調べてみたのですが、お話にならないほど高い保険料で、しかも、それで、全部が効力を発揮するわけでは無いのですから、結果として、日本の保健だけ持っていることになっているわけです。

 

こういう事情があるので、3回の経験が助けになり、迷うこともなく、「神様にゆだねて病院には行かない」結論を出す事が出来ました。血流の問題があるとすれば、来年日本へ行ったときに診ていただこうと思っています。ただ、思っていたよりも結構長くなって、もうこのままかと気弱になることもあるのですが、この年まで駆け回る事が出来たことを感謝し、御心のままにとのんびりさせていただいています。ひと時は痛み止めを飲まないと寝られないほどでしたが、今はそんな事もなく、ゆっくりマイペースなら困らない程度に歩く事が出来ます。この春日本で、「杖かわり」といわれるコロコロと引っ張る車を買って来ましたので大変助かっています。この「杖代わり」といわれるコロコロはアメリカの方にもうらやましがられる事があります。何処で買えますか、と聞かれると、お気の毒になります。

こうして障碍者の仲間に入ってみると、こちらの社会の別の面が見えてきたように思います。つまり、障碍者には日本より優しい配慮がなされているのでは無いかと言う事です。教会は勿論ですが、スーパーのようなところでも、建物の一番近くて良い場所には、障碍者用の駐車場が用意されています。(そこに違法駐車をすればたいていのところの罰金は5万円と書かれています。)

車を降りてゆっくりゆっくり歩いていても、他の車はみんなずっと手前で止まって待ってくれます。お店の入り口には買い物かごが付いた電動の車椅子がおいてありますし、ちょっと手を伸ばそうとすると直ぐに誰かが助けてくれます。音楽会も卒業式もためらわないで参加出来るように思えます。

 

私も初めの2週間は運転も控え、外出もしませんでしたが、その後は普通の生活をしています。お店の電動椅子のカートも上手に運転出来る様になりました。

家での家事も今まで通りに続ける事が出来、これは、リハビリにもなっているのでは無いかと思っています。月に一度の勉強会も、楽しく続けさせていただいています。お勉強の後は、それぞれお時間の許される限りゆっくりとお交わりが出来ます。いろいろと持ち寄るお料理をいただいて、新しいレシピを伺うのも楽しいことです。

 

紅葉が美しくなり始めてからは、ドライブも楽しみました。この夏は忠信の出張がおおく、リンと二人の日が多かったのですが、秋の最初のドライブは礼拝の後、あまりに素晴らしい秋晴れのお天気でしたので、山の方へ連れて行ってもらい、ハローウィンの飾りをつけた田舎の町並を楽しみました。次の週は、紅葉もまっさかりとなり、出張から帰った忠信がジョージア州で一番高い山の展望台へ連れて行ってくれました。車椅子も積み込んで行き、小さな歴史館にもなっている展望台の中はそれに乗って動いてもらいました。360度の山並みが見られて、信州の景色を思い出すほどでした。帰りは、ドイツのメルヘンのような、ヘレンの町に寄り、オクトーバーフェストの一日を味わう事が出来、本当に楽しい一日でした。この日は全山紅葉で、「きれい、きれい」の連発でした。こちらの紅葉は黄色から赤に変るオレンジが中心で、山が燃える様なオレンジの濃淡に染まります。

日本の紅葉とは少し違います。京都は70%がもみじで、赤くなると聞いています。ところが、11月に入って、感謝祭の時期にオーランドから武田夫婦が来ることになりました。それで、21日の土曜日は、恒義さんはゴルフですので、牧実と一緒に過ごす約束をしていたのですが、頼子が時間をとって付き合ってくれることになりました。そして連れて行ってくれたのが、3,4年前に出来た「ギブソン・ガーデン」と言うお庭でした。

その中に、アメリカで一番だと名乗っている日本庭園があります。もう遅いかもしれないと言いながら行きましたが、少し暖かい谷間のようなところにあるせいか「もみじの紅葉真っ盛り」だったのです。一瞬、日本にいるような錯覚を覚えるほどでした。頼子が用意してきてくれたお茶とお饅頭で池を見ながらおやつを頂き、思いがけない「日本の紅葉」まで見る事が出来ました。

 

サンクスギビングの週は、忠信一家はインディアナのリンのお母さんの家に出かけることになっていましたが私は、圭三さん、頼子と一緒に、フロリダのパナマシティーへ釣り旅行に連れて行ってもらいました。メキシコ湾を前にした宿は20階で、3泊でしたが良いお天気にも恵まれ、今度は海の眺めに堪能です。釣果は私と頼子はゼロ、でも、圭三さんが大きなひらめと石鯛、中くらいのえぼだいとくえみたいな魚を釣ってくれましたので、ご馳走もたべられました。サンクスギビングの休みは本当に「勤労感謝」と言う事でしょうか、見事にお店がお休みなのは驚くばかりです。あちらで礼拝を守り、帰ってきましたら、もうどこもかしこもクリスマス一色になっています。

日本は暖かい冬だそうですが、どうぞお元気で、良い年末年始をお迎えください。               

郁子 

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