一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第121便
2017・1・3
2017年 新春のお喜び申し上げます。
元旦、二日、三日と濃い雨雲に包まれているようなお天気の中で新年を迎えています。
2ヵ月半の日本旅行から12月13日に帰ってきましたが、一週間後、21日から27日まで娘のところに行き、そこから4日ほどフロリダに連れて行ってもらいました。お魚釣りは2日しか出来なかったのですが、釣果は見事なほどのゼロだと思い、私は先にピアを引き揚げようと、送ってくれる娘と歩き始めたところ、後ろから「何かかかったよ」と圭三さんの声。
あわてて戻って見ていると上がってきたのは大きなひらめでした。回りの方々も「何も釣れない日」でしたので、集まってきて、大きな網(タモ?)で救い上げてくれました。50センチほどでした。
日本から帰って来て直ぐの日曜日18日が、日本人教会のクリスマス礼拝と祝会が行われる日でした。ちょうどクリスマスに合わせて帰ってきた様になりました。頼子たちの教会ではクリスマス当日、25日の礼拝はなく、各自が家庭で礼拝が出来る様にネットでの配信がなされていましたし、忠信たちの教会でも、いつも行っている9時半からの礼拝はなくて、11時の礼拝が合同礼拝にされていました。
私がお部屋を借りていた大きな教会でも、こういう日はいつも来ている方々は土曜日に礼拝を済ませ、日曜日には、その時だけ教会に来られる方々に席を空けてあげることになっていました。ちょっと日本とは「教会事情」が違うようですね。元旦礼拝では、うれしい事に、この大きな教会でクリスマスに洗礼を受けたと言う日本人の若いご婦人がいらしていてご挨拶する事が出来ました。
10年あまりもアメリカ人の会社で働いていらしたそうですが最近失業なさったとか。今お仕事を探していらっしゃいます。頼子も今の会社がもっと大きい会社に買収されて今残務整理に当たっています。若い方々と会うと、結構そんな方が多く、経済はどうなっているのかな、とその方面に音痴な私ですが気になります。トランプさんが大統領になったらどう変るのか、全く分かりません。
でも、とにかく回りの方々が安定したお仕事に就けるようにお祈りしています。
ところで、日本での2ヵ月半、簡単な旅行記はブログ(hibinokate189)の方に旅行記1〜7として書きましたが、途中で2回風邪を引いて病院で診察を受け、お薬を頂きましたが、そのためにキャンセルと言う事は一度もなく、予定通りに巡回する事が出来ました。着いてすぐに親しい方の召された連絡が入ったり、かなり遠いところを訪問した日に「停電による交通機関麻痺」に出合ったり、そうかと思えば、博多の駅前の陥没事件がありましたが、それが僅か1週間で開通。その開通の日、その場所で現場を見る事が出来たり、いろいろ記憶に刻まれるようなこともありました。3週間のレールパスを二つ、つまり6週間を無駄なく使って動き回る事が出来たわけで、あらためて神様のお守りを感謝しています。
行った先でも、帰ってからも、お会いする方々が口々に「お元気ですね」とおっしゃられて、返事に戸惑っています。日本では、滞在中お薬を出していただいているお医者様にまで「元気ですね」と言われました。確かに足の具合はお灸を貼ったところ良くなりましたし、心臓がおかしくならない様に、非常用の薬を手放さないでマイペースを守っているかぎり問題は表れてきません。
私は元気なのでしょうか?自分でもよく分かりません。多くの薬に支えられ、いろいろなチェックを命じられて忙しく、それらの検査の数値に脅かされ続けているのですが、でも、今回、こうやって「動ける」「動けた」私は、神様が支えて下さっている「元気者」なのだと認めなければ申し訳ないような気持ちになっています。つまり、若い頃、バレーボールを追いかけていた頃の、何も問題のない「元気」とは違いますが、「神様のお力に支えられて動ける今」は「元気」と言っても良いのでは無いかと考え直していると言う事です。。
また、時々「いろんなところに行かれて楽しかったでしょう。美味しいものをいっぱい食べて来たでしょう」、と観光旅行をして来た様に言われる時にも、その意味を考えて返事に困る事があります。確かに旅はとってもとっても楽しかったのですが、ちょっと言われている意味を考えると???困る事があります。観光の名所といわれるところにも、時々案内していただいて行くことはあるのですが、それは殆ど目的に入っていません。といっても、長い間に結構見て歩いていますので話は合わせる事が出来るのですが。
美味しいものと言うのも、私には、日本の水、ご飯、野菜、果物、どれもこれも美味しく、その上こちらではお目にかかれない美味しく懐かしい食材、調理、による「日本の食事」があるのですから、すべて「美味しい」のです。でも、それは特別な「おごちそう」と言う意味ではありません。毎日食べたら飽きてしまうような大ご馳走ではないのです。
朝早い新幹線に乗るときは、あの美味しいコンビニのおにぎりです。私の好きなのは、「辛子めんたいこ」と「ツナマヨ」です。「おにぎり二つとお茶」、そして行った先で会う方々が心をこめて準備してくださる家庭料理、時には地元の名物。そして私にとっては、懐かしい方々と「一緒に食べる」事が何よりうれしく美味しいものに思えるのです。帰ってきてから今も、その味わいのすばらしかったことを懐かしく思い出しています。
今、私は息子の家で、庭仕事(芝刈りはしません)畑と花壇を楽しみ、家族の「満腹顔」を楽しみに夕食つくりをしています。聖書の言葉を少しでも多くの方にお伝えしたいと思ってブログのページを書くことにもしていますが、これはなかなか勉強が追いつかないで毎日更新とはいっていない状況です。(hibinokate189)まだ冬の休眠状態の庭を眺めながら今年はどんなものを植えようかと考えながら春を待っているわけです。
聖書の中に「何時までも残るものは信仰と希望と愛です」と言う言葉がありますが、最近はこの「希望」の大切さを強く感じています。将来のことを考える希望です。といっても、年をかさねてこの年になると、あまり先の事が考えられません。「2020年のオリンピック」が見られるかどうか、考えられないのです。何年先の約束は出来なくなっています。
でも、私たちは小さい希望を持って毎日、生きています。明日の事は分からないとしても、そこは神様にお任せして、明日の楽しみ、明日の仕事、明日の喜びを望み見て、「今日を精一杯楽しく、希望に満ちた日」として過ごして行きたいと願っています。
今年が皆様にとって幸せな素晴らしい年になります様にお祈りいたします。
郁子
追記 今年初めて庭のビワに花が咲きました。5月が楽しみです。