一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第13便
2001・11・30
いよいよ、12月が目前になりました。ホームページに載せるのは12月になってしまうのですが、11月のうちに書こうと思って慌てています。
皆様、いかがお過ごしでしょうか。日本は、もう、かなり寒いのかも知れませんね。こちらも、この二・三日の雨で木の葉が殆ど落ちてしまいました。朝のウォーキングは落ち葉の雨の中、という日もあったのですが、今朝あたりは、裸の木に鳥の巣が目立つようになっていました。アトランタは、緑の多いところですが、特に目に付くのは、上にも横にも広がっている「大きな木」と、ひたすら上に伸びる一本の幹が目立つ「高い木」です。この住宅地は高い木の密集していた森の中に作られたようで、家々の間には、そういう高い木が林として残っています。ある朝、落ち葉に見とれて出来た一句です。
電柱の 二倍を超える 高い木より 落ち葉の旅路 くるくるヒラヒラ
この「地上に着くまで」の時間を感じ取っていただけるでしょうか。とっても、贅沢な気分になりました。私にとって、朝のウォーキングの時間は、自然を楽しむと共に、心にある方々の名前をあげて神様の祝福を求める素晴らしい祈りの時間になっています。
さて、新しい事としては、今月から、日本語を教え始めた事です。生徒は、ポルトガル系アメリカ人(ニューヨーカー)で日本の会社パナソニックに勤めているアンソニーと言う青年です。オウム事件の頃、三年間ほど日本に住んだことがあるそうで、私の相手としてはちょうど良いくらい日本語が分かります。「はじめての人で、大丈夫かな」と言う声もありましたが、なかなかまじめで、一生懸命勉強する人のようです。水曜日の夜、8時から9時半頃までですが、日本の言葉だけでなく、日常生活上の習慣、文化も楽しく教えています。今は休暇で、ニューヨークに一人住んでいるお母さんのところに帰っています。次回(5日)には、ニューヨークの様子も聞けると楽しみにしています。
この前の第12便に、「花すしの講習会」をすると書きましたが、その集まりに来ていた一人のご婦人が、もっといっぱい聖書を勉強したい、と申し込まれましたので、木曜日に個人的な学びのクラスを始めました。実は家庭問題で深刻に悩んでおられろ方ですが、どんなこじれた関係も、真剣に神様を知り、神様に従おうとするなら必ず「やり直しが出来る」という信仰による希望を、繰り返し語りながら、あらためて私たち罪びとが「神様との和解」を得るためにおいでくださった主イエスさまを喜ぶ思いが深くされました。
今月の一番大きな事としてあげなければならないのは、サンクスギビング・デイのことでしょう。この日ばかりは、どんなお店も完全にお休みになってしまいますし、この時期にレストランに入れば「七面鳥料理」しか食べられないと、アメリカ生活の先輩たちが口々に教えてくれました。我が家には、日本から、圭三さんのお母さんの敏子さんと、私の妹のすみ子が来ることになっていました。直前になって敏子さんは都合で(一緒に住んでいる圭三さんの弟さんが足の指を折って動けなくなったため)来られなくなり、すみ子一人がたくさんのお土産と、こちらで依頼した買い物を詰めた荷物を持ってやってきました。
10日間という日程でしたが、フロリダ州のパナマシティーに釣りを楽しみに行きました。日本人教会からも、釣りを楽しむツアー(15人とか)が行きましたので、向こうの釣り場では、恒義さん・牧実、高橋和子さんとも、一緒になりました。恒義さんは、大きなものを何本か釣り上げていましたが、私たちの方は大漁とまではいきませんでした。でも、すみ子は大きなヒラメ、ダディはサワラやアジ、圭三さんはイカ、私と頼子はアジやイワシをそれぞれ釣り、五人では食べきれないほどのご馳走でした。一日目は、海は穏やかに澄んでいて大きな魚や、小さな魚の大群などがたくさん見えました。50センチ程の座布団を思わせるようなエイが2・30匹群れをなして泳ぐ様子は壮観そのものでした。真っ白な砂浜、抜けるような青空、丸みを感じさせる水平線、そして、日の入りの美しさは本当に感動的でした。二日目以後の海は荒れていましたが、毎日釣りを楽しみました。
サンクスギビングで思い出すのは、13年前、忠信の結婚式で渡米した時のことです。ダディの60歳の誕生日(6月13日)に、フロリダ州フォトウォルトンのオスカーソンさんのお宅に泊めていただきました。奥さんの柳子さんが「サンスケベのご馳走をご用意しましたよ」とおっしゃって、伝統的な七面鳥料理のターキーディナーを出してくださったのですが、私たちは「サンスケベ」の言葉が分からず、目を白黒させてしまいました。後から「サンクスギビング」を正しく発音すると、そう聴こえてしまうのだという事を教えて貰って大笑いしたことでした。
すみ子が帰る前の日には、恒義さんの運転でダウンタウンの見物と買い物を、三姉妹で楽しむことが出来ました。あれこれ心配してくれる妹に、「味の贅沢を言わなければ、日本の物も、大概は手に入る」という事を知って貰うために大きな市場にも連れて行きました。私が最初に来た二十三年前にはなかったものが、今では、ほとんど買えるようになっています。なし、柿、栗、みかん、果物も豊富です。市場で買い物をする時、今の日本では殆どのものがパックにされていますが、こちらではそのまま山積みにされていますので、インゲンでも、オクラでも、ピーナツでも、一つ一つ良いものだけを選んで、袋に入れます。でも、私はキャベツやレタスの外側の葉を思いっきり捨てる時には、お店の人に怒られそうで何となく罪悪感に駆られてしまいます。そう言えば前回書いた筍のことですが、チャイナタウンで「ウィンターバンブー」という缶詰を見つけました。そんなものがあることをはじめて知った次第です。
サンクスギビングから年末にかけてだと思いますが、「救世軍の社会鍋」みたいな募金が行なわれています。立っている人は真赤なエプロンをしており、三角の吊台に真赤なブリキのふたつきのバケツが下げてあります。そして、チリンチリンと小さい鐘を鳴らし続けています。救世軍とは違う様なのですが、まだ私にはよく分かりません。
不景気の最中と言われますが、ここから十分くらいのところに、新しいアウトレットがオープンしました。全天候型と言うのでしょうか、その広い広いスペースが全部屋内にあって、雨の日でも心配ないので、私たちのウォーキングもそこへ行くことが多くなりました。中には、ボーリング場やスケボーの場所、骨とう品の蚤の市、岩登りを体験させるところなどもあります。いまは「サンタの家」が設けられていて、子どもばかりでなく、大人たちもサンタと一緒の写真に収まっています。昼も夜もクリスマスらしさが見られます。近くの家の庭には、芝生の上四畳半くらいに、松葉が敷かれ四本の柱が立ち,片屋根の馬小屋が作られています。中には、クリスマスの絵さながらの大きな聖家族の人形たちが飾られていますし、ある家の生垣には、赤いリボンがたくさんつけられたりして、みんな思い思いに「クリスマスを喜んでいる」気持ちを表しています。私たちも、玄関にクリスマスのリースをつけ、郵便ポストに飾りをつけました。室内で自分たちが楽しむ飾りをするだけでなく、外に向かってその喜びをあらわすのも、良いものだなあ、と感じています。家の中も見回したところ,せっかくの暖炉が、使われないで隠されているのに気づき、大掃除をしました。そう言えば、スーパーの店先に暖炉用の薪の束が並んでおりました。でも、けむりアレルギーの関係でここでは火を使わないと言うので、赤いセロハンで燃える炎を作りました。なかなか良く出来ました。
すみ子の帰る前の晩、頼子が、今年も始まったばかりの、「光の町」をやっているレークレニアと言う公園に連れて行ってくれました。楽しい光の動物たちや、風景が続いた後、光の遊園地にたどり着き、私たちは、子どものように、マシュマロを焼いて食べ、メリーゴーランドの馬に乗って遊びました。
最後に、今月学んだ痛い学習も書いておきましょう。第12号にスクールゾーンのことをチョッと書きましたが、そのスクールゾーンで、ダディが白バイ(白くはない)につかまりました。スクールゾーンの始まる所にそのゾーンの制限速度(25マイルから35マイル)を書いた標識があり、そこにオレンジ色のライトが点滅している時だけ適用されます。それに気づかず25マイル(40キロ)のところを43マイル(60キロ)で走ってしまったのです。チケットを頂いてしまいました。そこに書いてある期間に、電話で問い合わせて、罰金を払うという解決法を教えて貰ったのに、それに遅れてしまいました。気がついた時には、逮捕されるか、免許取り消しもあり得るという瀬戸際でしたが、幸い、圭三さんがコート(裁判所)に駆けつけくれ、209ドル(二万五千円)の罰金を払って無事すみましたが、本当にひやひやの半日を過ごしました。スピード違反でも、特別厳しいスクールゾーンであったこと、コート・オーダーと言う法律の命令に関しては厳しく扱われるのに、「日付を無視した」ことが大きな問題だったとの事です。少し話しは違いますが、たまたま学校でも、「してはいけないこと」の話しの中で、例として、スピード違反などで警察車両に止められたとき、「警察官の指示がなければ、絶対に車から降りてはいけない。降りると、反抗すると見られ銃を向けられる」という事が出たそうです。ハンドルに両手をかけて待っていなければならないとの事です。運転そのものについては、すっかりこちらの規則にも慣れて、むしろ、日本より運転しやすいように出来ている信号に感心したりしています。大きな違いは、「信号」が道路際に立っているのではなく、それぞれのレーン専用に、目の前にぶら下がっていることでしょう。
では、今日はこの辺で。また次号まで、皆様どうぞお元気で、よい年末をお過ごしください。神様のお守りと御祝福を祈りつつ。
郁 子