アトランタ発第23便

2002・12・2

前便との間が少し開いてしまいました。何やかやと忙しかった11月の締めくくり、サンクスギビングの「つり旅行」から昨晩帰って来たところです。松井家では、この休暇には例年フロリダへ行くのですが、私達も二回目になりました。フロリダと言うと、マイアミやオーランドなど常夏のフロリダ半島を思い浮かべられるでしょう。しかし私たちの行ったのは、北部のメキシコ湾沿岸ですから常夏とはいきません。去年は寒いと感じませんでしたが、今年は大変な冷え込みで真冬並の格好になりました。厚いコートの上にさらにフードつきのウィンドウブレーカーを重ね、毛糸の帽子に襟巻きをしてフードをかぶり、手袋をはめるという具合です。

普通フロリダは寒くないから紅葉はないと聞かされていましたが、今回はフロリダでも紅葉した木を見ました。紅葉と言えば、もちろん、アトランタでは二週間くらい、本当にきれいな紅葉を見ることができました。春の花盛りにも負けないほどの華やかさで、ことばで言い表すことが難しいくらいです。紅葉といっても、色々で、薄いピンクに濃いピンク、明るい赤、深い赤、紫に近い濃い赤、そして黄色の方も薄い黄色、濃い黄色、オレンジがかった黄色、完全にオレンジといえる木もありました。それらが重なって夕陽があたると、炎が燃え上がっているようでした。金色に輝いて見える木もありました。紅葉の仕組みなども聞かされていますが、理屈や理論はともかく、ただただ、その美しさに圧倒され、神さまの創造の業を讃美したことでした。いわゆる「紅葉の名所」と言われるところへは、家族みんな忙しくて出かけられなかったのですが、家の周り、生活圏内で充分楽しむことができました。日本も同じだったようですね。今年は秋が無くていきなり冬の寒さがやって来たと言われますが、動物たちも大変なのかもしれません。来年の春のためにと、「菜の花」の種を播いたのですが、播いたところがあらされるのに困りました。犯人はリスたちです。どうやら拾ってきたドングリを隠す作業をしているらしく時にはある筈もない木の実が埋まっていたりします。さらに困ったことには、大きな良い栗を手に入れたので三つばかり植えてみました。ところが、やはりと言うか当然と言うべきか三日目にはなくなっていたのです。一方、芽を出した春菊は落ち葉に埋まってひょろひょろです。毎日取り除けてやることもできず、どうやって落ち葉に埋まらないようにできるか、狭い畑なのに結構、頭を悩ませています。

話は戻りますが、3泊4日のつり旅行には、奥様がご病気で台湾に帰り、チョット寂しそうな陳さん(日本育ちの台湾人)をご一緒にお誘いしました。貿易のお仕事も今はとても大変なようです。釣果としては、ヒラメ1尾、小さいイカ3ばいのほかに、大型のさばのようなブルーフィッシュが9匹上がりましたが、ヒラメは陳さんが釣りあげ、喜んでおられました。ヒラメ、イカはお刺身ですが、ブルーフィッシュという「新顔」の食べ方をいろいろテストしてみました。お刺身はアジと同じようでしたが、フライは抜群の味でした。二日目は穏やかで水も澄んでいたため、ピアの上から魚の姿が良く見えました。石鯛が目の前を悠々と泳いで行くのですが、「見える魚は釣れない」のだそうです。面白いことに、見せかけの「えさ」につられて大きなブルーフィッシュが何匹も集まって来て、リールを巻くと重なり合うように追いかけて来る様子が見え、とても愉快でした。ダディも大きいのを2匹釣りました。ヒラメにも挑戦していましたが、あちらの方が一枚上手だったと見えて3回も餌をとられ、ついに圭三さんまでも同じところにいるらしい魚に挑戦しましたが、やはり餌をとられ今回はあきらめました。最後の日には、帰途につく前に、現地の大きな教会に出席して、感謝の礼拝をささげました。

私達にとって特別な感謝は、この週の火曜日(26日)に、八月終わり頃に申請した永住権のさきがけとしてワーキングビザ(通称)を与えられたことでした。普通の方は永住権を取るために数年かかったり、中には十年待った人もあったりしています。市民権を持つ子供からの申請は早いと言われますが、私達は最短と言えるかもしれません。実は、その日に聖学院のサンクスギビング礼拝でお話することになっていましたので困ったのですが、INS(移民局)の指定時間が8時になっていて、午後までかかるかも知れないというので、聖学院の方はお断りして、本とお茶とお弁当を持って6時半に出かけました。INSはダウンタウンにありますので、ラッシュで渋滞の心配があり、車は途中の駅に置いて電車で行きました。まだ薄暗いというのに、7車線のハイウエーは車がいっぱいでした。こちらの人は朝早くから働くものと感心しました。役所に着くともう長い行列です。入り口で安全チェックを受けて、指定された部屋で書類を出して待っていました。15分くらいで呼ばれ、カードにサインをし、指紋を押して次の部屋で写真をとり、待つこと5分。私達より先に来て待っている方がたくさんおられましたのに、私達が一番早く終わってしまったのです。外に出て時計を見ると8時半でした。何故そうなるのか解りませんが、時間が早く終わったことを感謝しつつ、もう一つ別な手続きの事務所に回り、それも終えてお昼には帰ることができました。 聖学院のお話の方は恒義さんが引き受けてくれました。でも、今度は14日にクリスマスのお話を頼まれています。

さて、ワーキングビザが出たことで、私達もアメリカで仕事をしても良い身分になりました。今までは報酬をいただく仕事はできなかったのです。ボランティア的仕事だけでなくいくらかでも、収入を得られるのはありがたいことです。やりたい事はいろいろあり、やって欲しいと言われていることもいろいろあるのですが、私達にとって最もふさわしい、適当な働きは何か、神様に祈りつつお導きを見極めたいと思っています。

ところで、サンクスギビングと言えば七面鳥ですが、この週に外食をするとターキー料理ばかり食べさせられる事になると聞いていましたが、本当にどんなレストランに入ってもターキー一色という感じでした。このターキーの肉はあっさりしていてダイエットに良いということで、私は美味しいと思うのですが、日本人教会で聞いたところ、多くの人があまり好きではないと言っていました。でも、これはふだんから売っている肉です。少し前に鶏のひき肉を使いたくて探しましたが、ターキーのひき肉しか見つからないで、「ターキーだってトリだものね」と自分を納得させて使った事がありました。ひき肉ばかりか、ハムやソーセージにもターキーのものがたくさん出ています。味は本当のところあまり、変わらないように思います。

ウェストミンスター教会は一週早く17日の礼拝後、ターキーディナーのお昼が出て、ノークロスの教会では24日にターキーディナーが用意されました。私達は両方をいただく幸いなめぐり合わせになりました。さらに一週前の10日の日は午後、青年たちが年末にカリフォルニアで開かれるカンファレンスに出席する人を援助する資金集めのバザーをウェストミンスター教会で開いたところへ、ノークロス教会の人たちも駆けつけ、24日のノークロスのターキーディナーにはウェストミンスターの何人かも駆けつけるという良い交わりの姿が見られました。バザーでは青年たちが教会員の協力で、うどん・お汁粉・たこ焼きなどを作ってがんばっていました。600ドルあまりも収益を上げたそうですが、他にも、「便利屋」のように仕事を請け負って資金集めをしています。このイクイッパーカンファレンスにはアトランタからも20人くらいの若者が出席を予定しています。全体で400人ほどになる大きな集まりです。毎年、すばらしい実りをあげています。クリスマスには、昨年の実の一人がウェストミンスター教会で武田牧師から洗礼を受けることになっています。いろんなことで躓いていた若者たちが、はっきりと生きる目標を見出して新しい希望を持って日本へ帰っていきました。私達は少しでも、そういう若い方々を励ます立場におかれていることを心から感謝しております。

11月の楽しかったもう一つの事は、以前伺った日がちょうど忠雄の60歳の誕生日にあたることを知られて、6月でしたのに、サンクスギビングのご馳走を作って迎えてくださった柳子オスカーソン家を訪問したことです。その時の水辺の家を売って、ペンサコーラ(フロリダ州西部)に老後に相応しい大きさの家を建てて引っ越しをされていました。7日から2泊させていただきました。8日には近くのお友だちが集まってバイブルクラスをしておられるのをお手伝いさせていただきました。アトランタから6時間でしたが、インターネットが出してくれる地図と道案内を頼りに問題なく到着。たまっているおしゃべりも楽しく、良いお交わりを持たせて頂きました。9日は、近くの軍の基地で「航空ショー」があるので見て行くようにお勧めを頂きましたが、帰宅時間が遅くなると思い、失礼して真っ直ぐ帰ってきました。

今週の金曜日の家庭集会がクリスマス行事の皮切りになります。どうやら20人あまりの集会になりそうです。二つの日本人教会のクリスマスの後、29日はアメリカの教会でダディが礼拝説教をします。忠信一家も子供たちの学校が休みになり次第、来る予定になっています。アメリカの正月休みは元旦だけですから、2日には仕事も学校も始まります。それを考えて大晦日に「お正月」をしようか、などと話に出ています。夕方の5時は、日本では元旦の朝7時ですから、日本に合わせてということになりますね。まだ相談中です。

どうぞ、良いお年をお迎えください。

郁 子

 

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