アトランタ発第25便

2003・2・7

早いもので一月はあっという間に過ぎました。今年は寒さがひどいせいか、あちらでもこちらでも、風邪をひいたり体調を崩したりしておられることを聞いています。皆様いかがですか。

私は一日だけ頭痛がして休みましたが、後は不思議なほど体調も良く、周りの方に申し訳ないほどでした。こちらでは、体の大きいアメリカの人を基準にしたお薬の量なので、薬が強すぎて調子を悪くする日本人の話をよく聞きます。本当に、小さい方はアメリカの大きい方の3分の1くらいなのに、同じ量の薬ではこたえるはずだと思います。それもあって病院へ行かない方もあり、いろいろな民間療法が話題になります。頼子が、のどが痛いというので、ふと以前に聞いたことがあった、「お茶でうがい」をすすめてみましたら、幸い一日でよくなりました。近くに住んでいる「ちやさん」という青森県野辺地出身の方の話によると、目がしょぼつく時もお茶で洗うと良いそうです。そして、薬屋ではなく“ヴィタミン専門”の店があちこちに見られます。ヴィタミンCといえば、前便でミカンのことを書きましたが、あれは、スペインから来たものでした。今年になって、大きな市場で「さつま」というミカンを見つけました。これは和歌山のミカンを思わせるようなミカンで、味は少し甘みが少ないものの、果汁たっぷりで美味しいものです。しかし、これも日本からではないようです。

一月は、私のカレンダーを見ると、記念日の多い月でした。5日は圭三さんのお母さん敏子さんと、私にとって軽井沢のお母さんのような文子さんが、共に82歳の誕生日を迎え、8日は私の誕生日でした。その後は、10日が忠雄の母、11日が私の母、そして16日が忠雄の父の召された記念日でした。特に私の母が「今日天国に行きます。道を間違えないで後から来なさい」と言い残して召されてから、今年はちょうど50年になりました。兄弟たちとメールで50年を振り返って感無量でした。ちなみに、2月16日は、牧実の誕生日と私たちの父の召された記念日で、毎年「生と死」を考えさせられる時になっています。父は召されて今年で47年目になります。記念といえば、誕生日の翌朝、日本のサマリア出版からの電話で、私の書いた「子育て論」が、月末には印刷を終わる、という知らせがありました。取り敢えず50冊が送られて来るというので楽しみにしているところです。すばらしい誕生日のプレゼントになりました。

暖かいアトランタですが、先々週4日ほど大変寒い日が続きました。ほとんどの学校は休みになって、平常通りだったのは、私たちの住むカウンティーだけだったそうです。あちこちで水道管が破裂したと聞きました。一昨晩は以前ここにいた桂子さんから電話があって「今、日本から帰って来たら、水道管が破裂して家中水びたしになっている」と連絡がありました。桂子さんは、いつもクリフおじさん(亡くなった友子さんのご主人)の世話をしてくれていますが、とりあえず今日はそちらに泊まるということでした。しかし、後の始末の大変さは、頼子たちもこの家で経験済みのことです。今はまた暖かな日に戻っているのですが、あの時の寒さで、私の「菜の花」が大分やられてしまいましたが、邪魔にしていた落ち葉の中に守られているものもあるかもしれないので、もう少しそのままにしておこうと思っています。しかし一方で、新しくガレージの中のプランターで種まきをしました。もう揃って芽を出しています。

昨年11月にワーキングビザを貰った時から、今後の事について考えていました。料理教室をして欲しいという話があり、また、自分でも日本語教室のような事もしてみたいなど、意義のあることで少しはお小遣も入るような事ができないかと考えたのですが、結論としては、神様の召しを受けてここまで来た者として、残りの時間も献げることに決めました。伝道的な働きが徐々に増えてくることと思います。基本的な生活は支えられているのですから、お金を使わないように心掛けて、つましく過ごす決心をしたわけです。あらためてTコリント9:14「福音を宣べ伝える者が、福音の働きから生活のささえを得るように定めておられます」を読み、神様が私達の経済生活も責任を持ってくださることを信じお委ねしました。一月はその通りに与えていただいて感謝しています。

一月の新しい事としては、ここから1時間余り南に行った所にあるピーチトリーシティ−での家庭集会に招かれて行きました。若者たちの集まり(AJCF)を通して、お知り合いになった小林孝子さんのお家でした。この近くの日本の会社(パナソニックなど)の一部が撤退することになって、日本人の家族が続々帰国しています。小林さんも3月に帰国が決まっているのですが、その前にご自分が日本へ帰った後も続けられるように、基盤を作りたいという願いで始められました。ここには日本の会社が3,4社あり、16人の奥様方が小さい子供さんはお連れになって集まりました。学生はあまりいないのではないかと思います。アメリカでは、ビザの関係で奥様たちの生活は日本とは大分違っています。日本では、子供を学校に送るとか、お稽古事に送るということはそんなにありませんし、最近はお仕事を持っておられる方も多いようです。こちらの奥様方は、子供の送迎が大きな仕事になっている一方、ほとんどの方のビザが、ご主人の仕事関係の「家族ビザ」であるため、働くことは許可されないのです。ですからお稽古やテニスなどが盛んですし、集まりをすれば集まりやすいともいえる状態です。

AJCFの方も、昨年の10月から、日本に本部のあるJCFN(海外で日本青年に伝道することと、クリスチャンになって帰国する青年が日本の教会に定着するように支援するのが目的の組織)のアトランタ支部として承認され、ますます盛んになっています。3日には始めて支部理事会が開かれました。本部の理事でもあるマイクさん(軍のチャプレンとして日本にいた)と武田恒義牧師、ボートライト牧師、そして私達が理事(といっても、実態はサポーター)です。企画運営は、青年の地域リーダーと3人のリーダー補佐が中心になってするのですが、このリーダーたちと、間違いが起こらないように見守る責任と手助けをする理事が、話し合うのが理事会です。私達二人は、牧会の責任を持っておらず、時間的余裕もありますので、AJCFの集まりにはほとんど顔を出し、交わりに入っています。リーダーたちから、積極的にもっと学んで備えたいと指導を求められ、できるだけ協力するつもりでいます。

2月1日には、忠信がアトランタでの学会の後に一泊していきました。圭三さんが、お寿司やさんに連れて行ってくれました。西海岸の方では全く日本と同じような食生活ができるそうですが、アトランタでも、まあまあのものは食べられます。まぐろ、中とろ、いくら、うに、うなぎ、みる貝、いか、サーモン、たい、ひらめ、えび、などがあります。私にとって少し寂しいのは、大好きな穴子がないことです。面白いのは「突き出し」に、レタス山盛りのグリーンサラダが出ることです。アメリカ人のお客への配慮だと思われます。ずいぶん変な気がしましたが、だいぶ慣れました。そして「お吸い物」ではなく「味噌汁」がついてきます。韓国人経営のお店では味噌汁用に丸い大匙がついてきます。お椀を手に持って食べるのは日本だけの習慣だそうです。お茶も経営者によってはウーロン茶であったりします。慣れるといえば、「主食がパン」ということに抵抗があった私ですが、このごろはハンバーガーにすっかり慣れて、大口を開けて食べています。変わるものだなと自分でも驚いています。

その晩、4月に予定している西部のカリフォルニヤ・ワシントン・オレゴンの三州への旅行計画について話し合い、飛行機の手配をしてもらいました。今回は私のマイレージと忠信のマイレージを使って二人分の航空券を買いました。大分先なのですが、マイレージで取れるチケットは、なにかと制約があるというので急いだのですが、すべて希望通りの便を取ることができてほっとしました。後は4月を楽しみに準備していきたいと思っています。

ところで毎日の連続テレビ小説「まんてん」を楽しく見ているのですが、折もおり、今度のスペースシャトル「コロンビア」の事故は大変なショックでした。夢から現実にいきなり引き戻された感じです。なんだか安全についてはもう疑わないようになっていたようです。これからの事故の原因解明が大切だと思います。ふと、聖書の中の「バベルの塔」のことを思い出しました。何かの警告と受取るべきかもしれません。こちらでは、落ちてきた破片などに触らないように繰り返し放送されていましたのに、拾って届けたり、持ち帰ったり、中にはインターネットで売りに出した人まで出たとか、破片の毒性によって湿疹などの症状が出た人もあるそうです。かなり大きなものが落ちたようで、下の人に被害が出なかったのかも気になります。遺体の一部も見つかったそうで、本当に痛ましい思いです。

戦争の心配の方も、どうやら避けられない事になりそうですね。いろいろな情報があって、いろいろな意見、批判もありますが、多くの国の人が回りにいるアメリカでは、それによって悲しい思いをする人がたくさん出るように思われます。アメリカ人の中にも戦争反対を叫んでいる人がたくさんいます。何が正しいのか簡単に意見を言うだけではすまない情勢です。私達は毎日平和的解決と、上に立つ人々が正しく判断、行動できる様に祈るばかりです。

どうぞ、皆様お元気で。                           

郁子

 

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