アトランタ発第30便
2003・9・10
落ち葉の季節になったかなと思っているうちに、さわやかな風が吹き、リスたちの動きも忙しそうになり、‘やっぱりもう秋なんだ’と感じています。29便を出してから二ヶ月になってしまいました。7月の末からコンピューターの具合が悪くなり、アメリカ人の知り合いに見てもらいましたら、ハードウェアの故障だと言われました。ところが、購入した会社に連絡がつくまでに一ヶ月以上かかり、その挙句とても高い見積もり金額を提示されました。日本人教会のコンピューターを管理しておられる川上さんにお願いしますと、快く引き受けてくださり、新しい本体に、従来のハードディスクとソフトウェアを移し変えていただく事ができ、蓄積した資料を一つも失わずに済みました。会社のお仕事でもお忙しい方ですのに、貴重なプライベートの時間を使って、全く新しい物を作る以上の御苦労をお掛けしてしまい、感謝の言葉もありません。それにしても、ついこの間我が家に入ってきたコンピューターですのに、スッカリ私たちの生活の一部になっていたことに気付いてビックリしています。この間に頼子が新しく買ったノート・パソコンで、メールだけはなんとか使えるようになったのですが、それ以外の作業ができず、気になりながら「アトランタ発」の間隔が開いてしまいました。
前便に夏の初めの「つり旅行」の話を書きましたが、それから帰ってしばらくの間、日中は暑く、夕方になると激しい雷を伴う夕立の日が続きました。とても雨の多い夏でした。7月の何日でしたか、今日はマリエッタ(高橋和子さんの住んでいる地区)で雪が降るんだって、と聞かされて「エーッ?」と思ったのですが、これはクリスマス・イン・ジュライ(7月のクリスマス)という催しの中での事でした。8月8日〜10日は、ウェストミンスター教会のファミリー・キャンプでした。今年はロンドンの盛永進先生が講師で、私たちもはじめて全期間参加しました。100名ほどがあちこちから集まり良いお話を伺いました。参加者の中に水泳の先生、スキューバーダイビングの先生が居られ、自由時間に希望者を指導して下さいましたので、ここで泳げるようになった方、もぐれるようになった方もいて大喜びしていました。
次の週は、私が自動車をお借りしている中村ちやさんの頼みで、ダディの主治医のいるノースサイド病院へ行きました。お友だちのトミ子さんが腸捻転で手術したというのです。トミ子さんの方では、ノークロスの教会で私に会っていると言われるのですが、お顔を思い浮かべることができませんでした。でも、伺ってみてやっと顔と名前が一つになりました。実はこういう方がたくさんいるのです。その時、ちやさんの家に泊まっていたお友達を紹介されましたがフロリダ州のタンパから来ているという洋子さんでした。何と「ようこさん」と紹介された人がこれで6,7人目になります。その苗字が「石塚さん」と日本名なのはお一人だけ、あとは、リーさん、ファーガソンさん、ホージーさんは簡単なほうでTalliek,とかCarrozzoというように発音できない苗字の人もいます。苗字は分からないままという人もあるので時々困ることがあります。ノースサイドの病院でもトミ子さんの病室を探すのに苗字が分からなくて困りました。トミ子さんの苗字はブリッキンシップさんでした。
ところで、ちやさんは一人住まいで運転もしないので、同じ青森出身の富美子さんが病院通いなどの手伝いをしています。その富美子さんが体調を崩しているというので私たちがお手伝いすることになったのです。翌日からシカゴの息子さんの所へ行くので飛行場まで送ってほしいと頼まれました。何度も行っている飛行場ですが、ダディが自分で運転して行くのは初めてでした。洋子さんは、ちやさんの家の留守番をすることになったので、近くでもあり、何回か楽しいお交わりの時を持ちました。タンパはフロリダ半島の中ほどのメキシコ湾沿いにあり、アトランタから車で8時間くらいの所です。プロ野球のキャンプなどで名前をお聞きになった方もあると思います。洋子さんは大きなレストランで働いていた時、テニスの松岡修造や原辰則監督(巨人のキャンプ地ではないはずですが)も見かけたということでした。面白かったのは、原監督を囲んで数人の方が来た時のこと、その内の一人が「すき焼き」を注文されたのだそうです。アメリカ人は通常生卵を食べません。このレストランでは、特別に日本人ですき焼きを食べる方には「危険は自分持ち」承諾のサインをさせた上で出していたそうです。ところがサインと聞いて、その方は驚いて「私なんか・・・」と言う意味で「サインならあちら(原監督)に・・・」と言われました。日本の野球を知らず原監督も知らなかった洋子さんは、なんとかすき焼きを食べる人のサインをもらわなければならないので、「あの人のサインはいらない」と言ったそうで、「サイン」の意味が分かってから大笑いだったとか。
暑い日が続く中で、道路のゴミ拾いをしている集団を見かけました。これは、運転免許試験のため覚えた法令にあった罰の一つであることを思い出しました。「車の窓からのポイ捨て」は罰金300ドルと、ゴミ拾いがプラスされるのです。もう一つ、新しく聞いたのは、こちらでは16歳から運転できますが、自動車賠償保険の保険料が若いほど高いことは知っていました。それだけでなく、学校の成績が良いと安く、悪ければ高いのだそうです。
ところで、我が家の車は調子よく走っていますが、8月25日初めてパンクをしました。幸い広い路肩のある所でした。早速頼子に携帯で電話をしましたが、ちょうどお昼時でしたから圭三さんには連絡がつかないだろうというので、自分たちで交換することにしました。何しろこの車では初めての事なので、ダディはマニュアルを開いてジャッキや工具のある場所を見つけました。それを取り出している時、赤い車が後ろに止まり、若い男性(30代?)が、「お手伝いしましょう」と、声をかけてくれました。ある女の人は「パンクしたらはじめに取り出すのは護身用のピストルだ」と言ったとか、私たちがよく行く日本食品の店「トマト」の駐車場でお金を取られたとか、怖い話を聞かされたばかりでしたので、一瞬不安を感じましたが、その方は汚れるのもお構いなく車の下にもぐり、スペアタイヤを確認し、ダディから工具を受取り、作業にかかりました。ところが、パンクしたタイヤを外しかけたところで、このタイヤには、盗難防止のためにロックする特殊なナットがつけられているので、鍵になる工具がないとはずせないというのです。タイヤにカギというのは聞いたこともなかったので、ビックリしたのですが、ふと車のダッシュボードを開けて見たところ、茶色の封筒があり、中にあった銀色のものがカギだったのです。「これはとても大事なものですよ」と教えられました。タイヤを無事にはずすことができましたが、今度はスペアのタイヤの空気が抜けていたのです。彼も一瞬どうしようかと思ったようですが、「店を探して空気を入れてくるから」と私たちが心配しないように何回も説明してから、自分の赤い車でどこかへ行ってしまいました。10分ぐらいして帰って来たその人は、全部終わって「出来るだけ早くタイヤを直すように」と言うと、私達が差し出したお礼も受取らないで行ってしまいました。何だかボーッとしている間に全部終わってしまいました。頼子に言われていましたので名刺は貰っておきましたが、天使の登場の様な気分で、何時もながら神様のお守りを感謝するばかりでした。その天使の様な方には頼子がお礼のカードを出してくれました。タイヤは、33000マイル(約53000キロ)ほど走って、かなり磨り減っていたので、その日のうちに全部新品に取り替えました。
8月30日から9月第一月曜日のレイバーデー(勤労者の日、今年は1日)にかけてはノークロス教会の修養会です。今までは圭三さんに乗せて貰っていましたが、今回はスモールグループのリーダーも頼まれて早く行く必要があり、別行動で出かけました(圭三さんは土曜日の日本人学校が終わってからしか出かけられないので・・・)。自分たちだけでなく、いつも家庭集会に集まるエミさん、前田さん、そしてちやさんも乗せて行きました。2時間足らずの距離で、分かり難いという印象がありましたが、来年のためにキャンプ場を見たいと言われるタンパの洋子さんを、数日前にお連れしましたので問題なく着きました。その時はキャンプ場を見た後、更に足を伸ばして、山の中にあるお伽ぎの村の様なヘレンもご案内しました。修養会初日夜のキャンプファイヤーの時、湖の向こうにまだ大きな火星を見る事ができました。私は乱視のために三つか四つダブって見えるのでそれはそれはきれいに見えました。今回私は「ヨハネ黙示録の手引き」と言う題でお話をしたのですが、準備の段階で、預言の数々をあらためて学び、天地を揺るがす終末の審判に厳粛な思いを抱くと共に、そこに約束されている永遠の希望を強くされたことでした。ダディの方は「幕屋(神殿)の過去、現在、未来」という題でした。修養会の講師は、みんなの希望で三年連続になるコロンバス(オハイオ州)の杉田先生で、「千代にまで及ぶ祝福」のテーマのメッセージをお話しくださいました。私達は今月末から、里子さん(ダディの妹)たちと、ペンシルベニア、ナイアガラまでのドライブ旅行を計画していますが、10月5日の日曜日にはデイトン(オハイオ州)の河合喬史さん(ダディの従兄弟)の所に滞在していますので、1時間ほどで行ける杉田先生の教会で礼拝することになっています。今夜は中秋の満月、近くのバーガーキングからススキを少し切って来ようかなと思っています。コウロギも鳴いています。おげんきで。
郁 子