アトランタ発第31便
2003・10・21
日本の軽井沢から、紅葉が美しいとお便りを頂きました。こちらは、どうも色づきかけたところで止まってしまったのではないかという状態です。ここから北へ3時間ほどの所にスモ−キーマウンテンという紅葉の美しいところがあります(先週、武田一家はリユニオンでそこへ全員で行きました)。いろんな方が、行ってみたけどまだちょっと早かったとおっしゃっています。皆様の地方は如何ですか。お元気にお過ごしでしょうか。
9月22日にペルーの田口宣教師ご夫妻が来られました。今後任の方と引継ぎ中で、いよいよ来年の春には引退との事。その時は真っ直ぐ帰国するとのことで寄ってくださったのです。飛行場へ迎えに行った恒義さんたちがわが家にお連れくださり、その後、近くのレストランで一緒にお食事をしながら、いろいろの思い出話が尽きることはありませんでした。
翌23日から10月9日まで、ダディの二人の妹、里子さんと幹子さんをお迎えして楽しい毎日を過ごしました。18日間でしたが、あっという間に過ぎて今では夢のように思えます。25日から頼子の案内で大西洋側の古い町サバンナ(来年はここでサミットがあります)に行きました。前から行きたいと思っていた所でしたが、お船でのディナーを楽しんだり、歴史的町並みや、古い灯台と砦を見物したりしました。ピアでは釣りをしていましたが、周りには泳いでいる人もいるくらい暑い日でした。仕事で一緒に行けなかった圭三さんが『美味しいシーフードが食べられるといいですね』と言って送り出してくれましたが、二日目に入った川沿いのお店は大当たりでした。蒸したシーフード(エビ・カニ・貝類)が巨大な皿に盛り込まれて出てきました。私はエビ・カニのアレルギーがありますので、スチームド・オイスターを注文しました。高さ25センチくらいのバケツに殻ごと蒸したアツアツのカキが山盛りで来ました。カキは蒸されても殻が開きません。開け方を教えて貰ったのですが、ナカナカ難しく、みんな黙々とその労働に励みながら舌鼓を打ったことでした。翌日のお昼には海辺のホテルのレストランに入りました。『ヒラメのフライ』を頼みましたら、30センチはあっただろうと思われるヒラメが三枚に下ろされて両側の身がそのままフライにされて二枚重なって出て来てビックリでした。
アトランタに戻って中一日休んで月曜の朝には北に向かって出発です。その中一日の日曜日、ダディはボートライト先生がお留守の教会でお話を頼まれていました。教会から帰って、今度は寒いことが予想される旅支度です。出発して最初に泊まったバージニアのレキシントンでは、本当に寒い冬並の冷え込みを体験しました。お二人ともアトランタのアウトレットでコートやセーター、手袋まで買い込んで準備は万全でした。翌朝、国道から外れ、大きな鍾乳洞を見てから、前に私達が通ったブルーリッジ・スカイウェーという山の中の道を通りました。前回、熊の子供が出てきて喜んだのですが、ナント今回も出たのです。休憩施設では、小鹿がすぐ傍まで来て草を食べるのも見ました。これは思いがけないおもてなしになりました。道路閉鎖で回り道を強いられたので、夜遅く忠信の家に着きました。子供たちは相変わらずスポーツですが、このシーズンはサッカーをやっており二晩とも試合のある日でした。私達は休養日にしていましたので、家で、記録の整理などをしていて、試合が終わった連絡を待ってレストランで落ち合い、夕食は中華のバッフェ(日本でいうバイキング)でした。私は出立する日の朝、デービッドに誘われて忠信と三人で散歩コースに落ちている栗拾いに行きました。ポケットに大切にしまってある栗を見せてくれましたが、去年のクリスマスにアトランタに来た時食べた「栗の渋皮煮」が気に入っていて、それが食べたかったようでした。あわただしい出発で期待に応えてやることは出来ませんでしたが、忠信がレセピーを見ながら挑戦しています。私も帰ってから、クリスマスのためにたくさん用意してやろうと思い少しずつ作り始めました。
忠信に見送られて、ニューヨーク州に向い、ナイアガラを目指しました。私達は二回目です。途中、先ず、パラパラと窓を打つアラレに驚きました。そのうち雪交じりのミゾレになりました。道端にうっすらと積もった雪も見えました。ナイアガラに着き、『霧の乙女号』という船に乗る頃には陽が差し始め、滝壷の近くに行った時には美しい二重に見える虹までたっぷり見ることが出来、案内役としてもほっとした事でした。
次の日のコースは、オハイオ州デイトンに住んでいる従兄弟の河合家までの長いドライブになりますので、その日は早寝をしました。途中のホテルの多くは泊まるだけでなく、簡単な朝食がついています。セルフサーブで、パン、シリアル、コーヒー・牛乳・ジュースなどの飲み物と果物などが自由に食べることができます。私は今回の旅行で、ワッフルを焼いて食べることが出来ました。紙コップの中に焼くばかりに溶いてある種がはいっているのが置いてあり、それを特別のナベに流し込むだけなのですが、説明の英語がよく分からず、やりたくてもできなかったのです。ちょうど前の人がやっていたので良く見ておいてやってみました。とても美味しく焼けました。ナイアガラで泊まったホテルには、それがなく、デニーズがはいっているので、そこでの朝食でした。四人とも資格充分で『シニア』の特権を使いまくりましたが、ここでもシニアメニューを発見。これだと量が控えめなので、ちょうどよいくらいなのです。
デイトンまでは8時間半かかりましたが、ダディも元気に着くことが出来ました。建築家の喬史さんの家はさすがにいたるところに見るものがあって、目の保養になりました。翌朝は犬の散歩にお供して一時間くらい歩きましたが、あの飛行機の「ライト兄弟の家」も有りました。
和美夫人はアトランタの圭三さんと同じで土曜日には日本人学校で教えています。朝ごはんも喬史さんが上手にスクランブルエッグを作ってサービスしてくださいました。ライト兄弟の初飛行から百年になるので記念の行事もあるようですが、私達は飛行機が軍用としてどんな発展をしてきたかという博物館を見せてもらいました。現在のレーダーには映らないと言う面白い格好をした飛行機も展示されていました。翌日の日曜日、私達は8時半に家を出て、70マイルほど離れたダブリンの日本人教会に向いました。久しぶりに杉田先生にお会いし、この地区での教会の働きを見せていただく事が出来ました。ダディの説教も喜んでいただき、お名残惜しかったのですが、時間がなく、礼拝後すぐに出発しなければなりませんでした。その日は出来ればテネシー州まで入りたかったのですが、どうしても無理のように思われ、手前のケンタッキー州に入ったところのウェルカムセンターで宿のクーポン(割引券)を手に入れました。日が沈みかけた頃、ベレアと言う小さな町に泊まりました。いよいよ、最後の日、チャタヌガでは昔の鉄道の盛んだった頃をしのばせる駅舎を保存しているチャタヌガチューチューを見物した後、山に登り、ロックシティーガーデンと言う石の公園を見て、アトランタに帰りました。この7泊8日の旅行では3500キロ以上走った事になります。あとで世界地図を見たら、今回走った地域に、本州・四国・九州がすっぽり入るほどでした。
翌日は、アトランタでそれまで出来なかったダウンタウンの見物とこまごましたお買い物をし、夕食は武田家におよばれでした。そしていよいよ、本当に最後の一日、頼子が休みを取ってヘレンに連れて行ってくれました。途中でかつて流行したキャベツ人形の誕生地に今もやっているベビーランドに寄りました。赤ちゃんが生まれるショウが見られる筈だと頼子が聞きに行きましたら、『ママキャベツに陣痛が来て生まれる時間になったら生まれますから待っていなさい』との事。やがて、ママキャベツに注射をしたりして赤ちゃん誕生でした。ここで赤ちゃん人形を買いたい人は、『親としての誓約』をして養子縁組の手続きをとって連れて帰ることになっています。ヘレンでは何時もの通り、名物のファンネルケーキを食べ、おとぎの町の散策を楽しみました。こうやって書いてみてあらためて強行軍のスケジュールにみんな良く耐えたものだと感じています。お二人にはこちらの生活になじんだ私たちの様子を見ていただけてよかったと思います。ご帰国後、ゆっくりお休み頂きたいと思っています。
私たちも、来年永住ビザが出たら(二月頃と心ひそかに期待しています)、帰国したいと楽しみにしています。それが出るとJRのパスが利用できるので、たとえば、四月はじめに南西・九州の方に1,2週間、そして、東北・北海道の方に1,2週間のパスを使い、関東・中部は車で動くように出来ればいいなと思っています。いずれにしても、今度は少しゆっくりした計画にしようと思います。ただ、お金の感覚がこちらに慣れた分だけ、日本の宿と食費が高く感じられ、少々不安があります。もっとも、食事についていえば、最近ハンバーガーがとても好きになりましたので、安い旅行には力になるかと考えています。昨年は「顔を見るだけ」の時間しかなかった方たちとも、ゆっくり語り合いたいし、日本をゆっくり味わいたいものです。
そろそろ、庭の花の植え替え時になりました。今週はサルビアを抜いてパンジーを植えるつもりです。何色にしたらいいかまだ決めかねていますが。
教会では今、帰国する人、他州へ移動する人の送別会が続いています。逢うと別れのベテランになりそうです。何処でも、いつでも、悔いのないように誠実な歩みを続けていきたいものと祈らされます。神様のお守りとご祝福を祈ります。
郁子