アトランタ発第32便

2003・12・1

みなさま、こんにちは。お元気でしょうか。北海道はもう雪が降っているようですね。

私たちは、昨夜パナマシティー(フロリダ州)から帰って来ました。アトランタでは寒いと感じる日が2,3回ありましたが、たいした事もなく、外に出るとき上着を羽織る程度で過ごしていました。しかし、寒波が来るとの予報で、覚悟はしていきましたが、本当に冷たい風の中での釣りになりました。厚いカーディガンの上にダウンのスキーウェアを着て、その上に風除けに厚手のフード付きを重ね、ズボンは二枚、手袋に襟巻きと、これ以上着られないと思うほどコロコロに着込みました。それでも、ふるえが来るほどの寒さでした。そんなにまでして……なんて言われそうですね。でも、紺碧のメキシコ湾を前にして、ピアの先のほうまで行くと、大海に一人出ているような気分になって飽きることがありません。例年、夏の釣りを兼ねたファミリーキャンプにはいろんな方をお誘いしていますが、このサンクスギビングの週の旅行は家族だけのものでした。ところが今回は、直前になって、小口さん家族が参加なさり思いがけず賑やかで楽しいものになりました。というのは、毎年計画されていたウェストミンスター日本人教会の釣り旅行が、世話人の川上さんに突然の帰国命令が出て、キャンセルになったからです。小口さんご夫妻は二人とも、そのために休暇をとっていたので、釣りは教えて貰えないけど、海を見るだけにでも行く事にしておられたのです。奥さんの千尋さんがデルタ航空に勤めていますので飛行機で往復するつもりでした。ところが、出発の二日前、私の定期診察の後、日本クリニックに近い“ジョリ・神戸”へお昼を食べに寄りました。ここを経営している会社に勤めている小口さんのご主人(通称タケさん)が、たまたま店に来ていて、私たちに声をかけてくださったのです。そこでそんな話が出て、急遽計画を変更し、泊まる所も決めていないというので、私たちの借りているコンドミニアムの1室を提供して合流する事になったのです。私たちは27日朝6時半に出かけ、午後には一回目の釣りに出たのですが、小口さんは千尋さんの勤務がお昼に終わってから車でくる事になりました。教会で人気者の一歳半になる愛子ちゃんを連れての参加です。車でならばということで、美味しいジョリ・神戸の食パンを一本お願いしたところ、菓子パンやケーキまでお持ちになって、夜8時頃無事到着されました。

最近大物に恵まれなかった圭三さんが、その午後久しぶりに大きな鯛(イシダイ)を釣り上げ、翌日は夕食の心配をしないで釣りを楽しむことができました。事によったら海辺で持参した野菜だけの食事になる恐れもあったわけですが、タイのお刺身やサワラのゆずみそ焼き、アジのたたき、イワシの梅煮、バターフィッシュのバター焼きを中心に、素敵なデザートまでついた感謝祭の食卓になりました。釣りが初めてというタケさんでしたが、圭三さんの手ほどきを受け、二日目には30センチくらいのブルーフィッシュを釣り上げ、これで帰れると大喜びでした。おまけとして、帰る前に、三日目の午前中に釣れていたアジやサワラも使って魚のおろし方、刺身の作り方の伝授もしてあげました。これから、しばらく市場で魚を買ってきて練習する、と言っておられましたが、もちろんご自分の釣ったブルーフィッシュも切り身にして冷凍にしてお土産にし、土曜日の午後、一足先に帰られました。愛子ちゃんとも遊ばせて貰い、私たちも大いに楽しい時を過ごしました。

昨日はいつもの通り、現地の聖アンデレ・バプテスト教会の礼拝に出席しました。クリスマスまでの四回の日曜日、アドベントの第一日目でした。観光地ですから、毎年こういう休暇の時だけの参会者も多く、歓迎のことばもありました。ピアノとパイプオルガンのほか、小規模のウインドオーケストラの伴奏で賛美し、クワイヤーや特別賛美を聞きながら、いつも出席しているニューホープ・クリスチャン・チャーチで持たれている礼拝のことを考えました。

前の日曜日、いつものようにコンテンポラリーの早朝礼拝に出席をしたのですが、初めに、あと24時間と言われていたハワードさんのお母さんが、昨夜召されたと言う報告がありました。その時、部屋の外で電話がなり、それに出た人に呼ばれて、牧師が席をはずしたのですが、戻って来ての話で一同ビックリしてしまいました。ハワードさんの家からの電話で、葬儀の準備もあるのに彼が起きてこないので、見に行ったらもう亡くなっていたと言うのです。お祈りだけで早朝礼拝は取りやめになり、牧師は駆けつけていきました。ハワードさんは教会の代表役員で、重要な人でした。とても、健康そうで元気の良い壮年で、「ワタナベ」と言う名前を覚えて、私たちにも良く声をかけてくれました。私が自動車の免許を取るために教会の駐車場で練習をしていた時にも、上手だから直ぐうかりますよ、などと励ましてくれたものです。

ハワードさんも気にして下さっていたテストのほうですが、10月末にやっと三回目の試験で合格し、ジョージア州の免許証を貰いました。一回目は、「慎重すぎる」と言われ、二回目は不思議なほど、普通の人の三,四倍も路上を走らされ、「止まるべき所を止まらなかった」との理由で落とされました。納得の行かないこともあり、長い間隔を置いての予約しか取れないので、やめてしまおうかと思ったほどです。でも、今はほっとしています。

私にとって11月が忙しかったのは、ノークロス日本語教会・婦人会のお話、自宅での家庭集会のお話の他に、聖学院国際学校(日本の聖学院の分校)での久しぶりと言える子供向きの、しかも、「十三分」と限られたお話を頼まれ、気持ち的に忙しかったのかもしれません。

383年前、クリスマスの翌日、101日前にイギリスから、メイフラワー号に乗って「自由」を求めて出た、ピルグリムと呼ばれる102名の人たちが、寒い寒いアメリカの北の地(今のマサチュセッツ州)に着きました。飢えと寒さで42名(45名?)が亡くなり、凍てついた土の下に葬られました。漸く生き延びた人たちが、ネイティブ・アメリカン(インディアン)たちに助けられ、苦労を重ねて収穫の秋を迎え、助けてくれた人たちと共に大きな感謝を神様にささげた最初の感謝祭のようすが、先生たちの寸劇でも表現されていました。

「すべての良い贈り物、また、すべての完全な賜物は上から来るのであって、光を造られた父(創造主、神)から下るのです」(ヤコブ書1:17)

子供たちには、プレゼントを配達してくれた親切な方にお礼を言うだけでなく、きちんと贈り物をくれた方に(神様)に感謝しましょう、と話しました。

フロリダからの帰りにもう一つ感謝の思いに包まれたことがあります。アラバマ州を通過する途中、道路の両側に遠くまで広がる綿畑がありました。畑一面が白く見えるほどで、収穫用の車が、(日曜日だからなのか)ポツンと1台だけ働いていました。この綿の収穫が奴隷たちをどんなに苦しめていた事でしょう。子供の頃に読んだアンクル・トムの話を思い出しました。あちこちに奴隷たちが苦しい生活の中で祈りをささげた小さいチャペルをみることが出来ますが、奴隷がなくなったのは本当にうれしい事です。

今回タケさんの話で知った事ですが、最近、黒人より、スペイン語を話す中南米系の人が多くなったと聞きました。今のアメリカで一番の下働きをしているのはメキシコ人だそうです。ジョリ・神戸でも20年前頃は下働きの人が見つからず、怖い思いをして黒人街まで送り迎えをしたりして人材を確保していたそうですが、今はメキシコ人がいくらでも見つかる様になり助かっているということでした。家の近くのスーパー、クローガーの中の一角に新しく出来たのはメキシコ系の食品コーナーです。それだけの需要があるのでしょう。本当にアメリカは多国人種の国です。でも、最近はビザの問題が大きくなっています。私たちも永住権ビザ(グリーンカード)がまだ来ないので、先に貰った通称ワーキングパーミッションの有効期限が11月26日で切れるため、延長の手続きをしています。これも、時間がかかるようになっているから急がなければいけないと言われて、10月22日に申請書を出しましたが、11月半ばに出頭の日時を予約するようにという手紙が来ました。ヤレヤレと思ったのも束の間、電話をすると二ヶ月先まで予約はいっぱいで、後は毎日少しずつ加えるから毎日電話をしてみるようにとの事。頼子がその役を引き受けてくれてやっと取れたのが、ナント12月30日の朝8時です。それにしても役所の人を含めて、こちらの人は良く働くものです。(一般企業も元日以外の正月休みはありません)そのせいでしょうが、こちらのラッシュアワーは朝7時前から始まり、午後も4時前から始まっています。ある程度「時差出勤」が実行されているようです。

今年の町は11月に入るとクリスマスの飾りが目立つようになっています。デパートの入り口にステージを作って可愛い子供のファッションショウをやっていました。12月の予定としては、5日には家庭集会、13日に青年の集い、14日はウェストミンスター教会礼拝の後、午後婦人会のお話、夕方6時からはノークロス教会のファミリークリスマスです。ダディは両方の教会のクワイヤー練習が入ります。私は武田家からの誘いで17日〜19日に高橋和子さんも含めて6人で旧師ホーク先生の御見舞に行く計画です。マイケルたちの学校が休みに入れば、皆で来てくれる事になっているので楽しみにしています。皆様も楽しいクリスマスとお正月をお迎えください。神様の豊かな御祝福をお祈りしております。            

郁 子

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