アトランタ発34便
2004・2・10
世界的に異常気象だといわれていますが、北海道・北見の友人小林満代さんからのお手紙に「先日は175センチも積もりました」「玄関が開かないので、窓の雪を除こうとしたらドサッと雪が家の中に・・・」と書いてあって、今年の日本の大変さを思わされました。 九州でも岐阜でも大雪が降ったそうですが、みなさまお変わりはありませんか。それを思うとアトランタはやはり「南部」なのですね。 あまり、寒さを感じることもなく穏やかな冬を過ごしています。と言っても、やはり冬です。 あちらこちらで冬の渡り鳥の大群が見られます。いつぞやは教会に行く途中の道路脇に、カナダ雁の群れがいたため、徐行しなければなりませんでした。
一方、春の気配も見え始めています。 小鳥の声も時々聞こえるようになってきましたし、先週はたまっていた落ち葉の下から、フキノトウを13個も見つけました。その日は特に暖かく、前の日にご近所のちやさんからいただいた「梅」を、裏庭に植える作業をしたのですが、お天気も良かったので、落ち葉を片付け、今年初めての草取りもしました。 落ち葉は何と袋(芝と落葉専用で、日本のセメント袋の4倍以上入る)に24個分もありました。
「梅」はアトランタでは見られないと寂しく思っていましたが、ちやさんが西海岸に住んでいる息子さんに頼んで取り寄せ、私にも一本くださったのです。 植え替え時になったので送られて来たのですが、おかげで楽しみがまた一つ増え、感謝しています。こちらに来た年に種を播いて地植えにおろしてあった白桃にも、小さな芽がたくさんついているのを見つけ、もう三年になることを感じさせられました。
少し景気が良くなってきたのでしょうか、大きな住宅地の開発と、建築工事がいたるところで見られます。アトランタ圏全体でも人口が増えているのですが、特にこの地域は、この十年間に75%も増加したそうです。私達のかかわりのある三つの教会でも、昨年来工事が計画されています。そのうち、ニューホープ・クリスチャンチャーチ(アメリカの教会)では、昨年漏電が原因と思われる火事があって、チャペルの改装工事が行なわれ、今は終わっています。
ウェストミンスター日本人教会は26年目になり、会堂建設を志し、いろいろ調べ(法令・許認可関係)、検討を重ねた結果、新築ではなく増改築することで許可を受け、27周年の今年、待望の「時至って」工事が始まることになっています。と言っても、礼拝堂の部分はまったく新しくなるわけで、目下最終的な設計段階に入っています。
もう一つのノークロス日本語教会は、親教会(Mother Church)のファースト・バプテスト教会が新会堂を建てることになって、新年から工事が始まりました。一番最初の会堂を借りている日本語教会としても、当然何かのお手伝いをするわけですが、先日はじめて一つの協力を頼まれました。それは、礼拝堂のステンドグラスの費用にあてるために、婦人会で、お料理のレセピーブックを作って販売することにしたので、何かレセピーを書いてほしいということでした。簡単に引き受けてきたのですが、さて何を書くかという段階になって思いがけず苦労をしてしまいました。というのは、これを買うのは、当然アメリカ人の方が圧倒的に多いはずです。そうなると、アメリカ人の口にも合うもの、あまり料理をしない人にも作れる簡単なものであること、手近な材料であることなどを考えなければならなかったのです。その上、中華的なものは、周りに大勢の中国人がいる社会ですから、やはり避けた方が良いということも考え合わせ、結局、1.ヨーグルトパンケーキ、2.バナナのアーモンドグリル、3.ソースをかけるから揚げ、4.ひき肉とトマトの重ね焼き、5.豆腐のサラダと決めました。豆腐は健康食品としてアメリカ人にも人気がありますが、作り方まで知らない人が多いと思われます。
ちょっとここに、豆腐サラダだけ書いて見ましょう。もめん豆腐1丁、アボガド1個を食べやすい大きさに切り、袋から出したグレープフルーツ1個分に、キウリ、大根、にんじんの千切りも少し(できればかいわれも)加えたものにドレッシングをかけます。ドレッシングはサラダ油大匙3、酢大匙1、醤油小匙1にわさび小さじ1も加え、後は塩・コショウで調えます。何となく日本的味でありながら、アメリカ人にもできそうだと思いませんか。
最近新しく、日本食のバッフェ(バイキングスタイル)がオープンしました。アメリカ的な料理のバッフェ、中華的なバッフェ、アジア的なバッフェはあったのですが日本的というのは今までありませんでした。ところが名前が「MINADО」という変な名前(本当は「港」つまりMINATOなのですが、日本人ではない経営者の発音がなまったらしい)なので、あまり期待もできないと近づかなかったのですが、2月5日に「3姉妹(郁子、和子、牧実)誕生祝い」の会食をそこですることになりました。お寿司、うどん、鉄板焼き、漬け物、おでん、天ぷら、焼き物、その他日本的な材料を使ったサラダが幾つも並んだきれいなお店でした。デザートも、日本的に甘味を控えた小さいケーキが10種類近くありました。海産物が多かったようです。残念ながら、本格的な煮物はなく、あらためて日本の味は煮物にあるのではないかと感じたことでした。これが続くかどうかですが、アメリカ人のお客さんがが入るようでないと経営的にはむずかしいのだそうです。
日本では、「吉野家」から牛丼が消えたとか、牛肉、鶏肉の値段が上がるとか、業者も消費者も大変ですね。こちらでは、牧場や輸出業者は困っているでしょうが、一般には、牛肉が販売中止になるわけでもなく、何も気にしないで食べています。ニュースで、政府関係者が、「現に我々は食べているのだ。日本も輸入を再開してほしい」と言っているのを聞きました。
最近こちらでは、大統領の選挙に関心が高まっています。殊に戦争に関する方針が問われているようです。先が見えない現状で、軍隊の中には自殺する人もかなり出ているとか、早く出口が見つかることを願っています。私達は永住ビザ(グリーンカード)が発給されたら一時帰国しようと計画していましたが、思いがけない戦争の影響を受けて「延期」しなければならなくなりました。この戦争で「外人部隊」に多くの人が応募していますが、その人たちは希望すれば最優先で永住権が与えられることになっています。順々にそういう人が休暇で帰って手続きを始めたようなので、私達一般のものは後に回されるということになりました。でも、私達は一番早い列に入れられているそうで、すでに「36ヶ月以内(2005年8月まで)に発給する」という書類が来ているので、それより遅くなることはありません。ただ、これまでは、そう言われていても、1年くらいで出ていたのが延びて、1年半になったといわれ、勝手に期待していただけなのですから仕方がありません。楽しみはもう少し先になりました。
先日スーパーのクローガーに行きましたら、「新年オメデトウ」の札が立っていてびっくりしたのですが、中国のお正月だったのです。郵便局では、「サル年」に因んで「モンキー」の切手が売り出されています。いつも行くベトナム人のお店でも、12支(えと)の絵と説明がついた紙のランチョンマットがテーブルにおいてありました。結構アメリカ人でも自分の年を知っている人がいて驚くことがあります。そのスーパーからの帰りに、ものすごく変な車に出会いました。一時停止した車のタイヤが回っているのです。一瞬、異次元に入ったように頭の回転が止まり、多分「目は点」になっていたと思います。そのうち、宙に浮いているのか、と考えたりしましたが、ダディは車輪が回っていたのではなく、ホイールカバーに回転するものが取り付けてあるだけだと言いました。私の頭が「常識」というワクにしっかり固定されていることを改めて感じると共に、変なことを考え出す人が居るものだと感心しました。もう一つ最近面白かったのは、我が家のドライブウェイ(道路から車庫への通路)の工事見物です。下水のチェックとかで、道路の両側で家の敷地が一部掘り返される(短時間で埋め戻される)工事があったのですが、たいていの家では芝生の部分を掘ったのに、この家だけはドライブウェイのコンクリートを掘り返し、簡単に砂利で埋めもどして行きました。さっそく圭三さんが元どおりに直すように電話をしましたが、数日して工事にやって来ました。まず、来たのは「コンクリートを切る車」でした。壊したのは一畳分くらいでしたが、その部分を含めて十二畳くらいの広さのところに切り目を入れて行きました。その工事の人から「二、三日車庫が使えませんよ」と話がありました。私達は買物に出かけ、2時間ほどして帰ってみると、深さ25センチくらいにすっかりコンクリートのかけらも土も取除かれてきれいになっていました。やがて、大きなコンクリートミキサー車が来て、速乾剤らしきものを一袋加えて混ぜ、いよいよ流し込みです。運転手と調子をあわせながら方向を定め二人の人が平にならしていきました。少し足りなくなり、連絡していましたが、もう一台が来て完了。ロープを張って帰るまでに2時間足らず。二日後にはきれいに乾燥していました。何処の工事場でもあまり人間を見ないのですが、みんなこんな調子なのかもしれません。
今日は、青年のリーダーとして活躍中の高橋賛美兄とゆき姉の家に、1月25日に誕生した「献チャン」を見に行くことにしています。年頭に与えられ、みんなの喜びになっています。どうぞ、みなさまもお元気で。御祝福を祈ります。
郁 子