アトランタ発第36便
2004・4・29
暑くなりましたねえ、とご挨拶申し上げたいアトランタですが、先週のテレビによると、日本は「新緑寒波」とかで北海道に雪が降ったとか。霜が降りるかもしれないそうですね。遅霜で被害が出ない様に祈ります。
35便が日本への旅行のことだけになったので久しぶりのアトランタ便りという気がします。
日本で早春の風景を楽しんで帰って来ますと、アトランタは春真っ盛りでした。そのまま初夏に突入した感じです。帰った四日後には家庭集会の予定が入っており、次の週末には、AJCF(青年たちの集まり)で「いのち」という題でお話の依頼が来ていました。幸いひどい時差ボケも感じないですみましたので、その週、近くの映画館で話題の「ザ・パッション・オブ・ザ・クライスト」を見ました。「いのち」とは大きな題ですが、これこそ、キリスト教のテーマーですし、この映画の意味でもありました。映画はキリストが十字架につけられて死なれるまでの十数時間が忠実に画かれたものです。あまりの残酷さにショックで死者も出たそうですし、ユダヤ人団体の中には反ユダヤ感情をあおると上映に反対する運動もあったと聞いています。多くの教会では、キリストが、神として逃れる力を持ちながら、あえてこの苦しみを「死にいたるまで」受けられたのは、これが「罪を犯した人間の受けなければならない神の刑罰である」「キリストは私達の身代わりだったのであり、実際に手を下したのはユダヤ人やローマ軍人であっても、本来は人間すべての罪こそが原因である」という見解を持っていますので、会員たちに見に行くことを奨めていました。この「キリストの十字架」によって罪を赦される道ができて、人間は本当の「万物の霊長」として、霊において永遠に存在し得る「いのち」を与えられます。その「永遠のいのち」が備えられていることを保証するのがイースター〈キリストの復活祭〉ですから、全世界で祝われているわけです。日本でクリスマスだけが有名で、イースターがあまり知られていないのを残念に思っています。
毎年イースター前には「キリストの生涯」を取り上げたパッションプレー〈受難劇〉が各地で行なわれます。アトランタでもバプテスト教会の主催で、毎年趣向を変えて行なわれています。私たちは、映画を見たことでもあり、今年は見に行くつもりではなかったのですが、ちょっとした手違いで結局見に行くことになりました。いつも感心するのですが、百人以上の出演者のほとんどが素人の教会員でありながら素晴らしい歌を聞かせ、迫力ある演技を見せてくれます。復活されたキリストの昇天の場面での「ハレルヤコーラス」は作者が想い描いた本来の意味において歌われるわけです。観客全員が起立し、拍手が何時までも続きました。
4月7日にはメジャーリーグのアトランタ・ブレーブスとニューヨーク・メッツの開幕第2戦の試合を見に行くことができました。前日の開幕試合で、元西武ライオンズの松井稼頭央選手が、大リーガーとしての初打席、いきなり初球を叩いて先頭打者ホームラン、さらに四球を挟んで2塁打2本を打ち、最後は敬遠されて打率10割の派手なデビューで、地元ニューヨークのある新聞では「ファン-カズ-ティック」という新語が紙面を飾ったと聞き、それではとバード・ウォッチング用の望遠鏡持参で出かけました。圭三さんと頼子に連れられて球場への途中、ホット・ドッグが売り物のファーストフード店に寄って夕食です。アトランタのある大学に入学させて貰えなかった人が、それでは・・・ということでその大学前に店を開いて「ユニ」を取って「バーシティー」と名づけたところ大当たりしたものだそうです。ここにはソーセージだけ入った普通のホット・ドッグに「チリビーンズ」や「コールスロー」の入ったものがあってなかなかおいしいのです。さて球場に駈けつけると、もう試合は2回裏になっていましたが、まだ0対0でした。私達の席は、頼子の会社のボスが持っているシーズン席で、自分がいけないときには、社員などに提供してくれるのです。一塁側ダッグアウトの上、前から13列目です。相手チームのダッグアウトが良く見えます。松井の姿も望遠鏡でよく見ることができました。ここには私設応援団はなく、場内放送が応援をリードします。ブレーブスの人気者、チーパー・ジョーンズがホームランを打ったときは、レフト後方の大きな「コカコーラ」のビンから花火が上がりましたが、メッツのピアッアの時は何もないのです。試合は打撃戦で見ていてとても楽しめる試合で、松井も2安打しましたが、16対10で、ブレーブスの勝利でした。
前便では書きませんでしたが、この間の日本行きで私は一つの大きな仕事をお土産に持って帰りました。ずっと前から「聖書の通信講座」を始めたいと言う願いを持っており、初めは自分でテキストを書くつもりでした。しかし、なかなか時間が取れず、それをあきらめ日本の講座を調べてみようと思って出かけたのです。幸い昔から続いているエマオ聖書通信教授所の天野さんの大きなご協力をいただけることになり、帰ってきてからはその準備に追われました。テキストが着くまでに様々なことを調べなければなりません。こちらの普通の国内郵便は1オンス(約28グラム)までが37セントです。テキスト類を持って郵便局へ行き、送料の確認作業をしました。紙のサイズも違いますので、日本の規格でできたテキストが入る封筒をさがしに事務用品店に行き、6.5インチ×9.5インチのものを用意しました。テキストも全部自分で調べて回答を確認しました。受講料を決め、案内書と申込書を作りました。メンフィスに出かける前日に、日本からテキストの荷物も届き、用意が調いました。
さて、メンフィス(テネシー州)へは今年最初の伝道旅行になります。コンピューターの出してくれた道案内によると、最短で7,8時間かかる距離です。往きは少し遠回りになりますが、ハイウェイを走って州都ナッシュビルに一泊して行くことにしました。16日(金)の午前11時出発。夕方には着いて、少し見物をと思っていましたが、途中道路工事の大渋滞に引っかかり、何と倍近くの時間がかかり7時半に、コンピューターで予約しておいたAARP(シニアクラブ)提携のホテルにやっと到着。一休みしてから、10分ほど離れたダウンタウンへ出かけました。日本食レストラン「一番」という店が見つかりました。私は「ブリ大根」と漬け物、味噌汁にごはんを注文し、おいしく頂いたのですが、帰る頃にはノドが痛くなり、風邪にやられたかと思ったのですが、それは空気の汚れのせいではないかと思わされました。アトランタではほとんどのレストランは禁煙になっていますが、このあたりは昔からタバコの産地として発展してきた町で、そのせいでしょうか、レストランは喫煙自由になっており、タバコを吸う人がとても多いようでした。ダウンタウンは大変な人出でビックリしました。ここはカントリーミュージックの本場であり、観光地なのです。白人の街だとのことですが黒人も大勢見かけました。時計を見ると夜10時になっています。でもふと気付いたのですが、ここはアトランタとは時差があって実際はまだ9時だったのです。でも早々に帰って休みました。
翌日はゆっくり出発し、教会で予約してくださった教会の直ぐ前のホテルに着いたのは午後3時でした。途中は岩山を切り開いてハイウェイができていましたので、ところどころ岩肌を両側に見ることができ、ある所は10メートルもの岩壁が続き、そこから、小さいながら水が噴出して滝になっていました。岩壁の上にも木々が立っているのですからビックリです。
メンフィスでの最初の日の夕食は、ここの群れのリーダー鈴木武雄さん、ハンナさんご夫妻が韓国料理のお店に連れて行ってくださいました。食事も素晴らしかったのですが、この鈴木さんが名古屋の一麦教会で、松原向先生から受洗された方であり、妹さんの裕美さん(ロスアンゼルス在住)は一麦教会の伝道師だった方であった事に感動しました。本当にいろいろ不思議な出会いを経験するものです。翌日の朝、ジャーマンタウン・バプテスト教会の礼拝(2回で三千人が出席)に出ました。この教会が日本人の伝道を応援してくださっています。アトランタから転会した玲子さんご夫妻にお昼をご馳走になり、ホテルに帰って集会に備えました。
この大きな教会の一部屋で、午後4時からバイブル・スタディーと6時から礼拝が行なわれているのです。今まで月に1回来てくださった韓国人の牧師が、日本へ宣教師として行かれ、現在は無牧になり、普段はテープで説教を聞いています。鈴木兄は、忙しいビジネスマンですが、バプテスト教団から説教者の資格を与えられ、神学校の通信教育を受けながら、当面は月1回説教をすることになりました。礼拝には30人近くが集まり、熱心に求めておられるのが伝わってきます。礼拝の後、普段はお茶で交わりの時間ですが、今回は私たちの歓迎ということで、ご一緒に中華料理のお店に行きました。そこでも、個人的にお話する機会が与えられました。翌月曜日には光子さんという方のお家で家庭集会でした。ほとんどが国際結婚をしている方々ですが、大変熱心にお話を聞かれます。集会後、玲子さんがメンフィスの誇るエルビス・プレスリーの館へ連れて行ってくださいました。有名なので多少は知っていましたが、たいそう活躍をしたことを改めて知りました。キング牧師が暗殺されたモーテルにも連れて行ってもらいました。玲子さんのお宅に一泊させていただいて火曜日に帰宅しました。合計1500キロの旅でした。家ではペンキやさんの仕事が終わり、きれいになっていました。今週は、庭の手入れです。ではまた、来月まで御元気で。
郁 子