アトランタ発第38便

2004.7.8と7.17

暑中お見舞い申し上げます。暑い毎日の中、皆様お元気でいらっしゃいますか。

私たちは、昨日ペンシルベニアから帰って来て、あらためてアトランタの夏を実感しています。こことペンシルベニアは東京と北海道中心部(旭川・富良野)ほどに相当しますから、まだ初夏を思わせるような気候でした。出発前にシアトルから帰られたばかりの高橋和子さんに向うはとても寒かった、と聞かされカーデガンとジャンパーを荷物に加えましたが、長袖のTシャツも入れればよかったと思う日もありました。でも、全体的には緑がやっと濃くなってきて、野菜の苗を植え付けたばかりという具合で快適でした。あちらの教会で長野市から来ている若いカップルにお会いしたのですが、軽井沢のようだと喜んでおられました。

6月25日の朝9時半、アトランタを出発したのですが、間もなくドシャ降りの雨になり、時には雲の中に入った様で、50b前も見えない状態にもなりました。速度を落として走りましたので、初日の目標にしていた所の手前で泊まることにきめました。宿で教えてくれたレストランが大変混んでいるようでしたので、他を探している内に日本食レストランの看板を見つけ喜んで入りました。装飾は日本的なのですが中の雰囲気は、なんとも不思議な店でした。カウンターの中でおすしを握っているのはメキシコ人か、ブラジル人に見える人たち、ウェイトレスは全員アメリカ人、お客はたくさん入っていましたが、日本人は私たちだけ。注文して出てきたおすしは見たこともないようなもので、目を白黒させながら頂いてきました。翌日は天候もいくらか良くなり、朝8時頃出かけて、夕方5時には忠信の家に到着しました。

10日間滞在しましたが、その間に孫たちの野球の試合を2回(毎週、練習1回、試合2回)、忠信が入っている教会のソフトボールチームの試合を1回(毎週月曜日)見ました。昨年と較べると子どもたちの野球も大分上手になっていましたが、それでも思いがけないところで点が入り、応援席は楽しい笑いが続きました。9歳から12歳のチームですが、マイケルは2イニングをピッチャーとして投げました。デービッドも大きなヒットを打ちましたし、忠信の試合の方もホームランを打ってみんな大喜びしました。どの試合も夕方6時半位からです。

試合などの無い日、わりに近くにあるペンス・ケーブと言う鍾乳洞の見物の行きました。あまり大きいものではないのですが、山の中腹にある鍾乳洞の中に川が流れているので、小船で案内してくれるようになっていてなかなか面白かったです。

7月3日(土)には、何年ぶりかで遊園地にお供をしました。途中の施設や遊園地の入り口には、レーガン大統領の服喪期間なので国旗や州旗が全部半旗になっていました。遊園地では、私たちも「おもちゃの汽車」に乗って林の中を何回も回ったり、「おもちゃのオールドカー」を運転したりして子供並に楽しみました。最後の楽しみでリンと子供たちにまじって私もミニゴルフに挑戦したのですが、なんと初めてホールインワンの体験をしました。

翌7月4日の独立記念日は、午前中は礼拝に行き、夜は、今回の最大目標、花火見物の日でした。夜9時20分開始と決められていましたが朝から心配していた曇り空が、出発の8時半には雷が鳴り出す始末。それでも、通り過ぎるかもしれない、と出かけました。大学農学部の牧草地が「臨時駐車場」にされていて、ぞくぞく車が集まって来ますが、雨はだんだんひどくなる有様、この花火大会は、地元のFM放送局が提携しているので、みんなラジオを持参しています。前座の演奏やインタビューを聞きながら待ちます。司会者の声は「9分遅れます」「5分遅れます」と苦しそうでした。中止になるのではないかと思いましたが、ついに決行されたのです。デービッドは近くで見たいというので、忠信と二人で車から出ていきましたが、私たちは車の中で楽な姿勢で見物しました。「雨の中」での花火見物は初めてでしたが、一時雲が低くなった時には、花火の上半分が隠れたこともありましたが、ほとんど影響がなくきれいに見えることにビックリしました。花火そのものの大きさや数においても十分見ごたえあるものでした。アルファベット文字が散らばるような変わったもの、横に細長い円が重なるような面白いものなど、日本とは一味違ったものが見られました。

翌月曜日は庭仕事をしたり、リンに花屋さんへ連れて行ってもらったりして最後の日を楽しみ、火曜日の朝、帰途につきました。この往復も今回で4回目という慣れた道になりました。ここには南北戦争の記念博物館や史蹟、またたくさんの鍾乳洞があり、見る所がたくさんです。今回はナチュラルブリッジという、自然に出来た大きな岩の橋を見てきました。南下するに従って景色が変わり、畑のトウモロコシなどの様子が夏模様になりました。家に帰ってみますと、出かける前に取れ始めていたキウリが、「お化けキウリの洪水」というほど取れていました。

7日に帰り、10日の早朝、こんどはフロリダのパナマシティーに出発です。この間に洗濯をし、次の旅行のために真夏を考えての準備です。この旅行は小さなキャンプとして計画されているもので、今回の礼拝と毎日30分ぐらいの聖書のお話はダディーが受け持ちました。今年の参加者は山崎一家五人と、初参加の三宅幸代さん、全部で十人です。4泊5日14回の食事の献立を考え、現地で手に入らないもの、「お米」は勿論「おそば」「ソーメン」「つゆの素」「冷やし中華」「おにぎりの材料」などがお昼のため、夕食は最初の日のため「カレー・ルー」「福神漬け」が持っていかなければならないものです。あとは、釣れた魚によって、どんな料理ができるか分からないので、お刺身用のもの、フライ、バター焼き、味噌漬、などなど期待を持って積んでいきます。薬味のみょうが,青じそも持参です。

この手紙の途中までは8日に書きましたが、パナマシティーから帰ってから仕上げをしています。今までは、毎年「独立記念日」の休暇を中心に企画していたのですが、今年は一週間遅らせました。それが良かったのかどうか分かりませんが、お天気もよく、魚もたくさん来ていました。圭三さんによると「昔のように魚が帰って来ていた」そうです。確かにピアの上から魚の群れがよく見えましたし、それを追いかけてきたと思われる80センチ以上あるような魚の姿も何回か見ることができました。あちらこちらで群れごと、飛び跳ねる様子も見られ不思議に思いました。土曜日の夕方着いたのですが、その日は早く休み、日曜日の早朝、礼拝までの間に、圭三さん、頼子、山崎量くん、三宅幸代さんが出かけましたが、早速、大きな「かつお」と大アジを20匹くらい、空揚げサイズのものを20匹ぐらい持ち帰ってきました。

礼拝を済ませ、冷やし中華のお昼を食べたあとは、魚をさばき、カレーの準備をし、夕方の釣には私たちも同行しました。ピアの入り口でお金を払い、手の甲にその日の色のスタンプを押してもらうと何回でも出入りができます。餌もつけないサビキに大きなアジが2本3本とついてくると嬉しいだけでなく哀れを感じるほどでした。続く2日目も、3日目も毎日大漁でもうアジは数えることもしませんでした。2日目には、サワラの大きいものと、サバもかかりましたが、とにかく大きくよく肥えたアジが多く、御土産に持ち帰っただけを数えても70匹くらいですから、全体では200匹以上だったかなと思われます。ふと、遠くに目を上げてみた時に、この海の中には魚がどれだけいるのかな、と神様の天地創造のみわざが思われました。

今回初めて参加された幸代さんは、一ヶ月半前に結婚してご主人の仕事先であるアトランタにこられた方です。たまたま頼子がいつもと違う時間にスポーツジムへ行ったときにお会いして声をかけたものですが、前に御世話した青森の佐藤さんと同じで、毎日が退屈で不便で日本へ帰りたいとさえ思っていたと言うことでした。佐藤さんの方は私たちがペンシルベニアへ発つ前に「どうしても帰りたい思いが強いらしいので、連れて帰ってくれる人は無いでしょうか」と娘さんから頼まれ、探してみましたら、教会の浜田いづみさんのお母さんとおば様が遊びに来ていて帰られるところでしたのでお願いしました。でも、幸代さんの場合は、ご主人の仕事がこちらなのですから事態は深刻になります。頼子がお昼休みに声をかけて一緒に食事をしたり、土曜日にいろんなお店に連れてまわったりしていましたが、今回はご主人も喜んで送り出してくださったようです。聖書のお話にも興味を持たれていろいろお話をしました。これからは私たちも時々御声をかけてあげたいと思っています。我家での家庭集会は、7月は夏休み、8月9月は二つの教会のキャンプと重なるためにお休みをしますので、10月まではありませんが、秋からのメンバーになられることでしょう。秋からは家庭集会の他に新しく「うたの同好会」(短歌、俳句、詩など)を始めたいと願っています。

今月30日には忠信一家が到着します。忠信は私たちが帰った後、学会でノルウェーに行っており、リンは子どもたちとインディアナの実家に行っていますが、そろそろ帰る頃でしょう。一休みしてこちらに向かいます。8月6日には戻ってマイケルの「小児糖尿病の子供のためのキャンプ」、デービッドの「子ども料理キャンプ」と続くので、短い滞在になりますがいろいろ楽しみたいと考えています。6日の夜からは日本から佐藤彰先生をお迎えしてウェストミンスター教会のファミリー・キャンプです。ダディーの右耳の調子が悪く、月曜日には病院へ行きます。お祈りください。神様のご祝福を祈りつつ。           

郁 子

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