アトランタ発第39便
2004・8・23
今年の日本は次々と台風が襲い、暑さもまだひどいようで、被害にあわれなかったか、体調を崩しておられないかと心配しながら祈っております。いかがでしょうか。
オリンピックも日本勢が活躍しているようですね。地元国の放送局に独占放送権があるため、NHKの国際放送で日本から放映することができず、日頃日本と同時に見られるニュースも、オリンピック関係のものを除いて編集し、1時間くらい遅れて放映されています。ただ、1日3回くらい日本選手の活躍をまとめた短い番組があるだけです。
おかしなことだと思いますが、8月も下旬になった今日この頃、何となく秋を感じさせられるような気候になり、やはり「季節がずれてきているのかな」と感じています。夾竹桃はとっくに終わり、夏中頑張って咲いている百日紅(さるすべり)も枝先に花を残しているだけになっていますし、気の早い木からは落葉すら見かけることがあります。
アトランタの学校は、8月第1週から新年度の学期が始まっています。圭三さんが教えている日本人学校(土曜日だけの補習校)も7日から始まりました。登下校の時間、スクールバスが20台以上も一つの学校に出入りするので、ポリスカーが校門前に出動しています。町中に黄色のスクールバスが見られるのは当然ですが、面白いことに、食品スーパーやモールの駐車場でも、よく見かけます。下校時間までの間に運転手(女性も多い)さんたちが自分の買い物をしているのでしょうが、何か面白い風景に見えます。この間は消防車も止まっていて、二人の消防士が野菜など買っていました。日本では考えられないことですよね。そう言えば近くのクローガーに「挨拶だけが仕事」の様な人が、三人交代で入り口でお客さんに声をかけているのですが、ひとりのおばさんは、サービス満点で賑やかに可愛らしく「またね~」と言う様な挨拶をしています。先日は、どういうつもりか、スカートの上に腰ミノみたいなものを巻きつけていたので「長良川の鵜匠」を思い出してしまいました。
さて今回は、この夏のハプニングを報告し、ご一緒に感謝していただきたいと思います。前便の終わりにダディの耳のことをチョット書きましたが、実はあれを書いた7月17日現在、ダディの右の耳はほとんど聞こえない状態だったのです。フロリダへ行っていた13日の昼頃、突然右耳が全く聞こえなくなったのです。はじめ本人は補聴器の電池が切れたと思い、新しくしても聞こえず、それを左に入れたら聞こえたので、判ったとのこと。最近大分聞こえが悪くなっている様で不便も感じており、補聴器の調整を次の帰国の時まで待たず、29日から忠信が来ている間に新しく作ることに決めた矢先でした。でもアトランタに帰ってから、耳鼻科に行くように言ったのですが、ご本人は「3日目から、電気カミソリの音がかすかに聞こえるようになっているから、もう少し様子を見る」とがんばります。私は前に教会員の斉藤安恵子さんが「突発性難聴」になった時、「突発性難聴は?時間以内ならよくなるそうです」と言っておられたことを思い出し、強く奨めて同意させました。私たちが入っている「ケアアントレ」(保険ではないのですが、保険に準じて医療費の割引を受けられるシステム)を受け入れる病院を探さなければなりません。また、医者とのやり取りには私たちの英語では間に合いません。しかし、頼子は休暇をとった直後で仕事の山を抱えていたので、武田恒義さんに電話してみました。あちらも忙しい時でしたが、「30時間、と聞いたこともある」というのですぐ病院探しをしてくれ、16日の午後の予約を取り、連れて行ってくれました。ところが、予診の紙などに記入を始めてから、この病院は今年の1月にケアアントレの契約更新をしていない、つまりここでは受診できないという事がわかりました。その日は金曜日、すべては来週ですが、恒義さんたちは月曜日から伝道旅行に出かけるのでこれ以上は頼めません。そこで頼子がオフィスのコンピューターで別の病院を見つけ、月曜日(19日)の予約を取ってくれました。既に丸6日たっています。口には出しませんでしたが、ほとんど回復はあきらめる様な気持ちでした。聴力が全く無ければ補聴器も用を為さない訳です。大変な事だと思わされました。
月曜日に病院へ行ったのですが、頼子が受付に呼ばれてまた何か問題が出た様子です。何だろうと思っていると「ここは病院としては加入しているけれど、割引については各医者に要求されていない」そうで、つまり全くの自費診療になるわけで「最低240ドルくらいのかかります」とのこと、診察だけでなく、いろんな検査まで受けたらどれだけかかるか分からない訳です。でも仕方がないので、それでも診察を受けることにしました。検査の結果右耳の聴力は95%失われているとのことでした。ステロイド剤21錠のパックが処方され、初日は6錠、翌日から1錠ずつ減らしていき、5日目にいくらかでも良くなっていたら、もう1パック買って、10日間は2錠ずつ、最後の4日間は1錠ずつのみ、3週間後にもう一度診察に来るようにとのことでした。結果は神様におまかせして飲み始め、追加も買いました。
その間、月末の30日には、ペンシルベニアから忠信一家が到着しました。朝7時に出たそうですが、私たちと違い14時間かけて夜9時には到着しました。その日は圭三さんの旧友の山崎量君一家を夕食にお招きして手巻きずしパーティーをしていましたが、途中から忠信たちも加わり、子供たち5人もふれあいの時を持つことができました。翌日は忠信たちの希望で野球のキップが買ってありましたので、ナイター見物です。ネットランド宣教師の末っ子グレースもいっしょに行きたいということで総勢9人でした。その日スチュワーデスをしているグレースはスイスから8時間の乗務で帰って来るので、着いてから携帯電話で連絡をとり、お食事をしていたお店で落ち合いました。キップを買ったのが遅く、ニューヨーク・メッツとの試合で超満員だったので、席はバックネット裏中央の一番高い所です。高所恐怖症の私は、ウェーブが起こっても立てないし、ラッキーセブンでみんなが立って応援する時も動けません。しっかり手すりにしがみついていたのですっかり肩がこりました。メッツの松井稼頭央は途中で交替させられ良いところは見られませんでした。ゲームはアトランタ・ブレーブスの大勝でみんなご機嫌で帰りました。今回は子供たちのキャンプの予定などで短い滞在になっているので、翌日の夜は、ストーン・マウンテンのレーザー・ショーを見に行きましたが、私たちは体力を考えて留守番をし、頼子だけが同行しました。でも月曜日には、三宅幸代さんも誘って2時間くらい山奥に行ったヘレンまで、川遊びに出かける一行に私だけは(ダディは家に残りました)ついていきました。みんなの目的はチュービングという大きな浮輪状のゴムの船??に乗っての川くだりです。私は一人でキルトのお店などをぶらぶら楽しむつもりだったのですが、ものすごい雷と夕立に出会ってびしょ濡れになってしまいました。チュービングの方はどうかと思いましたが、大変な賑わいで、山の中の夕立にはみんな慣れっこということのようでした。我家の一行も怖い、怖いと言いながら2時間十分に楽しんだようです。7日がマイケルの13歳の誕生日ですが、友達とお祝いしたいというので6日の早朝帰って行きました。前の晩に前祝をし、プレゼントも貰ってご機嫌でした。その前日の夕食はデービッドがクッキング・キャンプで習ってきた料理を作って披露してくれましたが、なんと「やきとり」がメインになった三品で立派なものでした。ペンシルベニアの学校はまだまだお休みがあるので、帰ってからも小児糖尿病児キャンプ(マイケル)や教会のキャンプが続くということです。
私たちは、一行が帰った同じ日の夕方からウェストミンスター教会のファミリー・キャンプに出席しました。昨年の失敗に懲りたので、今回は食事を申し込まないで、簡単な自炊で2泊3日を過ごすことにしました。ワガママなようですが、体調がいうことを聞かないので許して貰っています。日本の福島から佐藤彰先生がお出でくださりとても良いお話をしてくださいました。他の州からの参加者も大勢あって、一年一度の出会いの友人にも会えて楽しい時でした。
帰宅した翌日はダディの診察の日でした。薬を飲み終わった頃には、本人は元に戻ったと自覚していたそうですが、検査の結果でも、聴力は左耳とほとんど同じレベルまで回復していました。日を改めて補聴器の説明を聞き、相談の結果右耳だけ新しくすることにし注文しました。あのステロイドは耳に効いただけでなく、ここ何ヶ月か血圧が下がりすぎて(100以下になることがしばしば)何となくボーと元気が無かったのですが、それも120に戻り、全身的に力が出てきたということで本当に感謝しています。
ダディの一件が落着してから、今度は私が風邪を引き、それが引き金になったのか喘息の発作みたいな咳がひどく出るようになり、礼拝を2回休んでしまいました。牧実ちゃんも久しぶりに喘息のゼーゼーが出ているそうで(こちらは会堂の工事中で、日中はホコリがひどいせいもあるのでしょう)、二人とも今は咳に悩まされています。今週の土曜日は青年たちのAJCFですし、日曜日には礼拝後、中国人の新聞記者スーザンが時間をとって欲しいとの事で約束してあります。来週の土曜日からはノークロス教会の修養会です。私たちも日曜日の朝のサンデースクールでクラスを持つことになっています。いろんな予定がありますが、それまでには癒される事でしょう。ではまた。皆様どうぞ、お元気で。
郁 子