アトランタ発第40便
2004・9・30
ニュースから目が離せない!という1ヶ月だった気がします。大きな台風が瀬戸内海の周りで大変な被害を出しているかと思えば、ロシアでの恐ろしいテロのニュース、次の台風は北海道で大暴れ、防災の日のニュースとともに飛び込んできた浅間山の噴火、どれもこれも息をのむ思いで見ていました。何もできず祈るばかりでしたが、皆様のところに被害などありませんでしたか。お見舞申し上げます。こちらでも大きなハリケーンが次々と上陸しました。こちらでは、アルファベット順に名前がつけられます。昔、日本でも一時同じようにしていましたね。(ジェーン台風など覚えています)以前は女性の名前だけだったのですが、不公平だということで、今は交互に男性の名前も使われています。フランシス、アイバン、ジーン、と続きました。カリブ海の南の方で発生する台風ですが、大西洋側からフロリダ半島に上陸したり、メキシコ湾に入ったりします。先日のアイバンはメキシコ湾を北上してアラバマに上陸して来ました。日本では風速を秒速であらわしますが、こちらは時速です。アイバンは150マイルの大きな台風だと言われました。でも私たちにはピンと来ません。換算すると時速約240q、秒速だと約66.7m・・・やっぱりすごい台風です。しかも、ハリケーンの圏内で竜巻も起こり被害を大きくします。こちらのテレビには、お天気専門のチャンネルがあります(といってもコマーシャルがやたらに多い)が、竜巻の発生しそうな地域も予報されます。それを見てはいろいろ補強作業などの対策をしていました。メキシコ湾沿岸の人たちの多くは避難されたようです。同じ町の中に避難所もあると思いますが、家族揃って他の州など遠くに逃げる方が多く、道路は渋滞していましたし、各地でホテルがいっぱいだったそうです。
私たちはハリケーンの情報を聞きながら9月4〜6日、ここから1時間半ほど離れたトコアと言う所で開かれたノークロス日本語教会の修養会に行きました。近くのちやさんとエミさんを乗せていきました。9月の第一月曜日(6日)はレイバー・デイと言う勤労者のための祝日でした。幸い、ハリケーンがゆっくりでしたので、雨にも降られませんで、キャンプファイアーも予定通りやれました。帰る頃になって黒雲が出て来て急いで帰ったくらいでした。この修養会の講師は去年と同じオハイオ州から来られた杉田先生でお話がわかりやすいと好評でした。次の週末、17,18日にはアラバマ州のバーミンガムの教会で、杉田先生の集会があると案内がありました。そこは現在無牧の(牧師がいない)教会で、私たちに月一回でも来られないだろうかとお話のあったところです。アトランタから3時間ちょっと西に行くのですが、アトランタから2,3人の方が行きたいと言われるので、この機会に行きましょうと言うことで、先方に連絡しましたところ、もう一晩泊まって、19日の礼拝で説教してくださいと頼まれ、お引き受けしました。問題はハリケーンです。アラバマに上陸後、進路を変えてアトランタも圏内に入ると覚悟しなければならない情況になりました。もちろん、バーミンガムも襲われます。二日前になってバーミンガムの町は学校はじめ公の建物はみな閉鎖することが決められ、今回の集会は「延期」と言うことで取りやめになりました。ハリケーンは上陸して大暴れしましたが、16日アトランタに近づいた頃はずいぶん弱まっていました。台風一過の19日、お約束した礼拝(午後1時半から)のために、すばらしいお天気の中、途中の道路のことも心配なので、少し早めに9時に家を出ました。道路の異常もなく予定通り、途中で昼食をとり、1時15分には到着しました。アメリカの教会の礼拝が終わったばかりで、大勢の人が帰っていきます。日本語礼拝の会場に決められている部屋に行くと、誰もいません。不審に思って電話をかけようとして気付いたのですが、「時差」があって、アトランタより1時間遅いので、まだ12時を過ぎたばかりだったのです。待っていると、数人の顔見知りの方々、長野県で宣教師をしておられ、帰国中のストロープ先生、その他20人くらいの方が集まりました。久しぶりの日本人の説教だったと喜んでいただき、礼拝の後は、和やかな雰囲気で話が弾み、次回は10月17日とお約束して帰って来ました。実は、夕食をいっしょにして、泊まっていくようにおすすめいただいたのですが、翌日は、「ことばを楽しむ会(仮称)」の第一回目が我が家で開かれることになっていたので、それはこの次ということにして、アトランタ時間夜10時半に帰着しました。
留守中にフロリダ州ペンサコーラに住んでおられる柳子さんから、海岸地方の被害の様子をお知らせくださる留守電が入っていました。ご自宅の被害は庭の植物だけだったが、周りでは木々は倒れ、建物は飛ばされ、海岸は通行禁止、停電も続いていて、必要な買物だけの外出をしているということでした。私たちも「釣り」でおなじみの一帯ですから心が痛みます。
さて、翌日10時にはお客様が来られるので急いでお迎えする準備をしました。ところが日を間違えた方もあったとかで、今回は河野藤子さん、加藤さん,エミさん、ちやさんと私たちの6名でした。2時間では足りないくらいの楽しい集まりでした。ダディが最近知った情報として「90歳を超えた女性が、テレビを見るだけ・・・というような時には全く働かない脳の前頭葉が、俳句を考える時には、活発に働き出すことがわかった。ただし、あまり難しい事だとダメで、自分の能力を少し超えた程度のことに取り組むのが良いようです。」と言う話をしてくれてみんな大いに励まされました。また、ヴィールスの研究をしておられる加藤先生からは、万能細胞が脳にも少しだけど、存在することがわかったので、幾つになってもあきらめなくても良いという力強いお話も伺いました。万能細胞というのは、人体が細胞分裂によって形成される途中で、ある時点までくると「決定」と言われることが起こり、以後は各器官、各部分への分裂が進んで行くようになり、決定された細胞はもう戻ることがないそうです。ところがいくらかの細胞が何にでも変わりうる「万能細胞」として残っていて、人体の不思議がいろんな所で見られると言うのです。一方、人間の脳細胞は初めからできていて、減っていくばかりだと言われています。ところが最近になってこの脳の中にもごく僅かだけれど万能細胞が存在していることがわかり、「必要だ」という情況が起こると機能する可能性があるのだそうです。和歌、俳句などを通して、日本語を楽しもうと言うこの会は、脳を活性化するのにも役立つと大いに気をよくして、次回は藤子さんのお宅で10月11日にと約束し、お昼はみんなが行ったことがないと言われるので、ベトナム料理店、サイゴン・カフェへ「焼きそば」を食べに行き、食後に解散しました。
その日、私たちは思いがけないニュースを耳にしました。アイバンが去った土曜日、庭の片付けをしていたノークロス教会のボートライト先生が、ハシゴから落ちて骨折をされたと言うのです。先生は78歳です。翌日午後お見舞いにうかがいました。ハリケーンで折れて、垂れ下がっていた木の枝を始末しようと、高枝バサミの先に鋸が付いているものを持って、五メートルほどのハシゴに上り、片手でつかまりながら、鋸を持った手を伸ばしたとき、ハシゴが安定を失って、落ちてしまったということです。その時、骨折しただけでなく、鋸の刃が右下腿に刺さり、大量の出血をしたそうです。顔面蒼白になった先生は、奥様が誰かを呼びに行こうとするのを止めて、杖をついてご自分で車までたどり着き、奥様の運転で、救急センターに行かれたそうです。骨折や傷の手当てはもちろん、六時間あまりかけて、頭部のスキャンをはじめ、全身を調べ、仮のギブスをつけてもらい、日本でならそのまま入院ということになるのでしょうが、夜中の1時半頃家に帰られました。化膿止めだけのんで腫れのひくのを待ち、私たちが伺った火曜日の午前中に再び診察を受けて、翌水曜日の11時から、骨折部分をボルトで固定する手術をするということでした。全治3ヶ月ということで、予定していたモルドバ(旧ソ連領)への伝道旅行はキャンセルされ(他の8人のメンバーは予定通り出発)ました。行動の自由は失っても、先生は至ってお元気で冗談を連発されておられました。さいわい旅行でお留守になる為、ダディが次の2回の礼拝を依頼されておりましたので、当面、心配なくお休みいただけるわけです。どうぞ、先生の回復のためにお祈りください。
AJCF(青年の集まり)は、いつもの土曜日でなく、24日(金)でした。週末の25,26日がジャパン・フェスタという日本を紹介するイベントがあるからです。ストーンマウンテンで、日本企業のブースや、茶道・書道の実演や、空手・弓道などの演武、錦鯉の展示などがあり、メンバーの中にはそれに動員される者もあるからです。教会も何かの形で参加してはという声も出ていますが、実現はしていません。
さて、私たちの待っております永住ビザの発給に動きがありました。10月12日、指紋押捺のための呼び出し通知が来ました。それが終わると、間もなく最終面接の呼び出し通知が来るという運びになります。4,5週間後でしょうか?これで、年内に発給される希望が出てきました。順調に行けば、来年はゴールデン・ウィークの名古屋一麦教会の五月聖会を中心に2ヶ月半くらいの帰国を考えようと思っています。どこに行くべきか、祈りながら計画を立てるのは旅行に行く前の大きな楽しみです。私たちがお役に立てるようなことがあれば、お声をおかけ下さい。ご祝福を祈っております。
郁 子