一麦:渡辺家のHP

 

アトランタ発第52便

2006・2・20

 わざわいは、あなたにふりかからず、えやみも、あなたの天幕に近づかない。まことに主は、あなたのために、み使いたちに命じて、すべての道で、あなたを守るようにされる。

詩篇 91篇10,11節

早春の桜(寒桜の一種?)が美しい彩りを見せ、寒さもあとわずかと思えるようになりました。皆様、お変わりありませんか?私たちもかわりなく・・・と申し上げたいところですが、実は今こうしてアトランタ便を書いていることが不思議なくらいのことがありました。13日に牧実と私の合同誕生祝いの夕食を楽しみ、久しぶりにゆっくり交わりの時を持ちました。私は1月8日、牧実は2月16日です。今年は二人が姉妹として初めて迎えた8歳の時から数えて64回目の誕生日をアトランタで一緒に迎えたことになります。そして、2月16日は牧実の誕生日であるとともに、私たちの父生越実造が、軽井沢で牛乳の大型トラックにはねられ、「お先に行きます。みなさんによろしく」のことばを残して天国に帰った日です。残された子供たちがばらばらになり、家族が家を失った日でもありました。でも同時に私が、神様を文字通り「父として」より頼んでいく決心をし、兄弟の一致を第一に考える生活を踏み出した日でもありました。「あれから50年」のその日、ダディーと薬を買うためにウォールマートに向かいながら、「父の事故が起こったのが11時35分、ちょうど今頃の時刻」と話しておりました。その数分後、信じられないことが起こったのです。片側一車線対面通行の道路は空いており、私たちの前を行く車はなく、対向車線に3,4台の車が見えておりました。スムースで穏やかな交通状況でした。路肩が狭くなり、小さな石橋にさしかかった時、7,8メートルに近づいていた先頭の対向車(乗用車)が音もなく、スーッとセンター・ラインを超して向かって来ました。後で牧実が「怖かったでしょう?」と言いましたが、怖いと思う暇もありませんでした。ダディーは、相手の前輪がセンター・ラインに載った時、右に避けようとしましたが、反対側は橋の石の欄干で思いっ切りハンドルがきれなかったと言いましたが、実際にはよける間もありませんでした。ゆっくり走っていたとしても、両方のスピードがあるわけですから本当にアッと言う間のことでした。でも、この「間がなかった」ことで私たちは無事でいることができました。相手の車がこちらの車線の中央まで入るだけの隔たりがなかったので正面衝突を免れることができたのです。相手の車はこちらの前輪から運転席のあたりにぶつかったようです。車が止まった時、車内に白い煙のようなものが見えましたので、すぐに出なければとドアーを開けました。ダディーは運転席のドアーが開かないので、自力で助手席の側から出てくることができました。後で外側から車体を見た時、よく挟まれずに出られたものだと驚いたくらいです。後続車の人が911(こちらでは、消防・警察の区別なく、緊急時は911です)に電話をしてくれたようです。煙はエアー・バッグが出た時のものだったようで収まっていたので、手提げバッグを車から取り出し、誰かに知らせなければと電話をかけようとしたのですが、なかなか繋がりません。気持ちのほうは全く平常心だなと自覚していましたのに、体が小刻みに震えていることに気がつきました。ダディーが電話を取って圭三さんにかけ、すぐに来てくれることになりました。最初のポリスカーは近くにいたものでしょうかすぐに到着。「アーユーオッケー?」と案じてくれ、事故の状況をダディーに聞き、免許証と車の保険カードを受け取り、すぐ救急車がくるから、と言ってテキパキと処理を進めていました。その頃には大きな消防自動車が来て道路に斜めに停車して両車線をとめていましたし、救急車の音も聞こえていました。ポリスカーもさらに2台くらい来て後続の車の方から目撃証言を聞いたり、刻々に状況を本部に連絡したりしていました。ぶつかってきた車は1回転して10メートル以上離れてこちら向きに止まり、前輪は軸をつけたまま右と左が離れ離れになり道路に転がっていました。バンパーや破片などが散らかっています。運転していた人は閉じ込められていましたが、消防や救急の人たちに出してもらっていました。その間にダディーは救急隊の方の質問に答え、心臓手術をした事を告げ、胸と足が少し痛いと言いましたので、プラスチックの板のような担架に寝かされ、首と頭を固定されました。そこへ圭三さんも到着、ポリスからの報告や連絡を受けている間に救急車は出発、私は車から膝掛やCDなど小物類を取り出す手伝いをしてから、圭三さんと一緒に救急車の行ったグイネット・ホスピタルに向かいました。処置室には一人だけしか入れないと言うことなので、英語が必要になると思い圭三さんに入ってもらい、私はダディーが出てくるまで4時間ほどこの救急センターの待合室で待ちました。

 救急車で着いてすぐの診察はどうだったのか聞きましたら、「電話での公式通訳」がついたということでした。5年前の心臓の手術前にも、頼子が付いていたのに、公正を期すためだということで、この電話での通訳が使われたことを思い出したそうです。

検査の結果は胸の痛みはシートベルトで圧迫されたせいでレントゲン写真に異常はなく、筋肉の緊張を緩める薬が処方されました。足のほうは小指の付け根の骨に亀裂がある(運転席のドアーが内側にめくれ込んできて強打したのでしょう。その時は出血もなく、外見上はなんともありませんでしたが、翌朝になって見ると、第3〜5趾とその周りが内出血で紫黒色になっていました)ので五日以内に専門医の診察を受けるようにとの指示で、テーピングをして、靴代わりに足を包み込むようなものを履かされてきました。歩くのに多少響くくらいだとのことで、あらためて守られた事を実感、感謝したことでした。病院の駐車場で、圭三さんが紹介された専門医に電話をして、20日(月)午前8時の予約がとれました。X線写真を持って来るようにということで、圭三さんが救急処置室に戻って借りてきてくれました。病院近くの薬屋で、痛み止めなどの薬を買い家に帰り、圭三さんは、仕事を片付けるために会社に戻りました。

車がどうなるかは次の問題です。全体がゆがんだのか後ろの二つのドアも開きません。もちろん相手の保険会社との問題になりますが、完全に修理ができるのか?修理不能で全損となった時どれだけ補償されるか?時間がかかりそうです。忠信からは弁護士を立てることも考慮したほうが良いと言われていますが、すべて圭三さんたちに任せています。両方の教会の方々が心配し、祈ってくださっていますし、手伝いを申し出てくれていますができるだけご迷惑をかけずにすむようにと願っています。土曜日にはエミさんが買い物に連れて行ってくださいました。昨日の礼拝にはちやさんの車で出かけました。3年間運転をしていなかったちやさんですが、一人で教会に行けるようにと最近やっとお天気の良い昼間だけ運転するようになっています。あいにく雨でしたが、自分のサブディビジョン(分譲住宅地)の中はいつでも大丈夫だというので、家まで来ていただき、教会まではダディーが運転して行きました。いつでも使ってと言ってくださるので感謝しています。月1回の州外の集会は二つとも済ませたばかりですから、しばらく時間の余裕もあります。今年は6月に親戚の結婚式がオハイオ州で予定されていますので、その時に足を延ばしてミシガン、ミネソタ方面まで3週間あまりの大旅行を考えていたので、それがどうなりますか?神様のお導きを待ちたいと思っています。

今週の土曜日はAJCFです。先月は日程の急な変更でアラバマ州の奉仕と重なってしまったため欠席でしたので、久しぶりと言うことです。前から願っていたグレース・ネットランド(私たちは、彼女が生まれた頃、青森で宣教師である御両親と共に働いていました)と一緒に出席することになったのですが、ちょっと前にグレースからガンが見つかったと連絡が入り案じています。ごく初期だとのことですが、近くお姉さんのサラがアトランタに来るそうです。彼女もひどいガンにかかり、それを乗り越えた経験をもっていますので、きっと大きな励ましになれるだろうと思いますし、いろいろ相談して今後のことが決められると思います。すでにご両親は天国にいかれて一人で暮らしていますが、アトランタにはお兄さんハロルドの奥さんの家族(お父さんとお兄さん家族)も住んでいます。頼子と仲良しで、私たちはすこしでも力になってあげたいと思っています。

嬉しいニュースとしては息子忠信一家が6月末頃、ペンシルベニアからこの近くに帰って来ることになりました。忠信の引越しは昨年からの祈りの課題だったのですが、いくつか候補の大学が考えられていた中で、一番希望していたジョージア州立ケネソー大学に道が開かれて喜んでいます。ジョージア州では、日本の数学教育の方式をとりいれることになっているとの事。昨年秋には、ジョージア州内の数学教師が集まった研究会があり、忠信も日本人の研究仲間と三人で特別に参加していました。アトランタは忠信にとってホームタウンとも言うべき出発点になったところですから、「帰ってきた」ということです。詳しいことは後日報告します。ケネソーはアトランタの少し北、テネシーよりの所です。

今、ダディーが専門医の診察から帰って来ました。診断は救急病院と同じで、手術は避けられたようです。ギブスではなく、底の硬いズック靴のようなもので固定して様子を見ることになりました。運転にも差し支えないそうです。3月16日が次の診察日です。

今回は事故の報告が中心になりました。御心配をおかけしますがお許しください。

郁  子

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