一麦:渡辺家のHP

 

アトランタ発第55便

2006・6・1

 早いものです。もう今年も前半の最後の月になりました。そろそろ日本は梅雨に入るのですね。こちらでも、時々夏雲が見られたり、猛烈な雷付きの「サンダーストーム」に見舞われたりするようになっています。皆様、いかがお過ごしですか?

 ついこの間、54便を書いた気がするのですが、6月10日、11日のいつものバーミングハム(アラバマ州)での奉仕を皮切りに、旅に出ることになりましたのでその前にと書き出しました。いろんな方がダディーの足について案じくださり、お便りを頂き有難うございます。幸い事故によると思われる部分はほとんどよくなりました。ただ、一ヶ月以上たってから、くるぶしの周囲に腫れと痛みが出てきました。骨の専門医は、事故とは関係ないといい、痛み止めの塗り薬をだしてくれました。少しずつ引いていき、もういいのかなと思っていた先日14日、バーミングハムへ行った時、時間に空きができたので、奨められるまま植物園に行きました。バラは盛りを過ぎて惨めな姿になっており、他にはあまり花もなく、ちょっとがっかりするくらいのものでした。「ジャパニーズ・ガーデン」という矢印に誘われて、もう少しだろう、もう少しだろうとかなり歩いてしまい、帰りには二人ともすっかり参ってしまいました。それでまたぶり返してしまいました。病院へ行くことも勧めてみましたが、結局、痛み止めを貰うくらいのことだと、残っていた塗り薬を塗り、市販の痛み止めをのんでいました。どうにかおさまったようです。出発までには完治して欲しいと願っています。

12日には武田恒義さんと牧実が無事、日本から戻って来る日です。ちょうどその日は「ナルド会(婦人会)」の日で、集会の後、「きゃらぶき(レセピーつき)」の試食や、お好み焼きの実演でランチをしましたので、一日中教会で過ごすことになりました。午後からは、近くの売りに出ている大きな家の庭へ、希望者だけで「ふき」を採りに行きました。

ところで、牧実たちは、お迎えを約束していた青年が日を間違えたとかで、急遽駆けつけてくださった役員の川田さんたちに連れられて帰ってきたのでびっくりしました。でも、今回は台風に妨げられることもなく、充実した旅行だったようで喜んでいます。疲れているだろうと思いながらも、あの方や、この方と、日本でお会いした方たちのご様子を伺って、私たちも旅のお裾分けに与り、嬉しくなりました。

その週末はバーミングハムへ行き、さらに木曜日には病院で診察を受け、金曜日にはグリーンビル(サウスキャロライナ州)へとあわただしく過ごしました。次の21日の日曜日には久しぶりにノークロスの礼拝に出ました。ノークロスの教会は今、いろいろな試みをしているようで、この日は初めてのバイリンガル礼拝になっていました。(通常は、日本語の説教に英語の同時通訳つき)それが良いか、悪いか、意見もいろいろあるようです。国際結婚をした夫婦が多い教会ですが、そこにはいつも「家族一緒の教会に参加したい」「それぞれの自国語でお話を聞きたい」という二つの問題が存在しています。バイリンガルにすれば時間は二倍かかること、つまり、内容が半分になることは当然です。物足りない人も出るでしょう。「英語の説教は何処ででも聞けるのだから、必要ない」と考える人もいますし、みんなの意見を取り入れようとするとどんな結果になるでしょうか?今、アンケートがとられていますが、「アメリカにおける日本人教会の存在の意味と目的」をよく考えた上で、良い決断をされるように願っています。先週、ウェストミンスターの教会に初めて出席された方から「ここに本当の日本の教会があってびっくりした」という声を聞きました。私個人としては、もっともっとそういう教会が増えて欲しいと思っています。なぜなら、教会は日本からの方々がホットくつろげる「ふるさと」であって欲しいし、ここで神様を知った方々が日本に帰っていかれた時、抵抗なく、日本の教会に定着できるためにも「はっきり日本的」であって欲しいと思うのです。でも実際にはとても難しい問題がたくさんあるように思います。

26日のナルド会は、メンバーである杉山さんの家で開かれることになっていました。私たちも杉山さんから「ぜひ来てください」と言っていただきましたので参加させてもらいました。教会から1時間あまり、かなり山の奥に入った感じがする大きな湖の一角に別荘地が開発されていました。湖のほとりまで降りたところに、20人近くの人が集れるテラスがありました。すべてがご主人の手造り(3年前に退職されてから)と聞いてびっくりしました。今はその横に茶室を造っているそうで、きちんとした石の土台が出来上がっていました。湖には11人乗りのデッキのようなボートが着けられるように船着場が出来ていますし、別にボートや足こぎの遊具のための足場も出来ていました。日本食を食べたいというお隣の別荘のアメリカ婦人二人もご一緒に、持ち寄り(私は皆さんのご注文で海苔巻きを持って行きました)の食事をしてから、二組に分かれて40分あまりの船旅?をさせていただきました。開発されて家が建っているあたりの湖は浅瀬だそうで、杉山さんはよく対岸まで(~300m有るように見えます)泳いで往復されるそうですが、奥にいくと大変深く、広いところではかなり波も立っていました。天気予報はよくなかったのですが、帰るまで保たれて、みんな十分に楽しんで帰ってきました。それにしても、60歳台になる杉山さんが、ゲートまでの上り下りの激しい道を往復1時間半かけて1日おきに歩き、その間の日には湖やプールで泳いだり、体操をしたりというお話にはただただびっくりさせられました。

 ところで私たちの旅行ですが、11日の午後、バーミングハムの礼拝が終わったらすぐ、エルビス・プレスリーで有名なメンフィス(テネシー州)に向かいます。2年前に伺った玲子ブルックさんの家に泊めていただきます。やさしいご主人と大切にされている猫ちゃんたち(広いバスルームつきのお部屋を与えられている・・・・・・これは結婚の時の条件だそうです)とお会いできることになっています。翌12日は、2年前と同じく家庭集会が計画されています。この旅行では、いろんな所で、前にお会いした方に再会することになりますが、残念ながらほとんどお名前を覚えていません。もう一度、伺っても覚えられるとは思えませんので、皆さんにつけていただく「名札」を用意して行くことにしています。

次に行くナッシュビルは、メンフィスから東に3時間半、テネシー州の中央(少し西寄り)の州都です。実は全行程、一緒に行きたいと願っていながら、いろんなことからここまでだけ同行することになった安江ベネディクトさんのお姑さんがおられます。ミセス・ベネディクトは、日本でご主人と共に宣教師をしていた方です。昨年ご主人が天に召されて、今はお一人でお住まいですが、ここで日本の婦人たちに聖書を教えていらっしゃいます。前からお目にかかりたいと願っていた方です。夕食を準備して待っていてくださるとの事、泊めていただいて翌日、定期の集会は夏休みですが、何人かの方で集会をすることになっています。先日27日のAJCF(青年の集り)でテネシーからの4人の若者に会ったのですが、中の一人、美奈子パルさんは学生ではなく主婦の方でした。ベネディクト先生にお会いしたいと言うので、お誘いしています。もう一人は今年卒業し、就職できて喜んでいる藤原久美子さん。その13日の夜、毎月「TJナイト(クリスチャンの集り)」をやっているお友達を集めて集会ができないかと目下準備活動中です。つまり、ここに二晩泊まって、シカゴに向かって北上することになると思います。いろいろ途中の方も訪問したいと思ったのですが、17日から21日にかけて7回の集会がミシガン州内で計画されていますので、16日には着いていたいと思いますし、あまりゆっくりもできず、その間についてはまだ流動的です。22日にはミシガンを出て、ダディーの甥(従兄弟の長男)の結婚式に参列するためデイトン(オハイオ州)に向かいます。久しぶりに日本からおいでになるダディーの他の従兄弟たちにもお目にかかれることになっています。24日の結婚式、そして25日には杉田先生のダブリン(オハイオ州)の教会で礼拝を済ませて帰途につきます。それぞれの様子は次号で・・・・・・

 27日にはアトランタに帰り着くと思いますが、その頃には忠信一家の引越しが終わっています。終わると言っても荷物の山の中にいるでしょうが。実は今(29日から)新しいクラスのために忠信だけがアトランタに来ています。30日にはケネソーの大学に行き、準備をし、31日の午後からクラスが始まりました。車一杯積んできたオフィスのものを新しいオフィスに運び込んだそうです。ここで、2回ほど授業をしてから6月いっぱいはパートナーの先生にお任せして、7月に締めくくりをすることになっているのだそうです。1日は授業の後、真っ直ぐ飛行場へ行ってデイトナビーチ(フロリダ州)に飛び、2日の研究会を済ませて、帰って来ます。そして、翌日にはペンシルベニアに帰るとか、まったく忙しいことですが、すべてがうまくいくように祈っています。

 私たちは最近、テレビの「深い睡眠」がとれると言う番組を見て、毎日レタスをせっせと食べています。私は一晩に6,7回は起きていたのですが、教えられたとおりにレタスの芯を大切に細かく刻んでいため、さらに全体も加えて塩コショウの蒸し煮にして食べることを始めてみましたら、見事にきいて驚いています。眠りの浅い方、お試しください。

どうぞ、皆様お元気で。

郁子

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