一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第57便
2006.8.18
暑い暑い日本の皆様、暑さに負けずお元気でいらっしゃいますか。時々、今日は涼しい一日になります・・・なんて天気予報を聞くとホッとしたりしています。今日も、台風10号のニュースを横目に見ながらコンピューターに向かいました。テレビジャパンで見られる日本各地の風景は私たちにとって楽しみの一つではありますが、台風や災害のニュースの中で見ることは悲しいことです。少しでも災害が少ないようにと案じています。皆様もどうぞお気をつけてお過ごしください。私たちの夏も今年はことさら早く過ぎてきたような気がします。特にダディーは6月10日から7月17日まで、前便に書いた伝道旅行を含めて6回の日曜日に説教の責任があって現役時代と同じでした。私の方はフロリダから帰ってからまた、セッセとプールに通いました。23メートルくらいのプールに3,4人で、ほとんどが健康維持目的らしく、ゆっくり泳いでいる人、歩いている人もあって、日本のプールと大分雰囲気が違います。私も心臓の負担にならないということで「歩く」のが主目的で1.5〜2キロを歩いていますが、後は気ままに泳いで1時間半くらいで迎えに来てもらっています。家から10分です。2週間くらいたったとき、少し体力がついたような感じがしました。良い調子だったのですが8月に入ってから気管支炎を患い、今は休んでいます。もうひとつ嬉しいことがありました。実はミシガン旅行のあいだ中、湿疹が出て辛い思いをしていました。帰ってから病院へ行きましたところ、アレルギーの検査をすることになりました。その結果、湿疹の原因はわかりませんでしたが、30数年前からのエビ、カニのアレルギーが治っていたのです。大好きだったエビ、カニが一生食べられないものとあきらめていたのです。2,3年前からよくなっているような感覚はあったのですが確かめることもしないで避けていました。はじめはそーっと、すこしづつ食べてみました。何ともないのがわかって大喜びをしています。大好きなカリフォルニア巻きも「カニかま」を抜いて食べる必要がなくなりました。これは体が若返ったのではなく、年をとって鈍感になったからだと言われましたが、何を言われても構わない思いです。今度日本へ行ったらあの大きなカニの看板のある店に行ってみようなんて考えています。
7月末から一週間ほど、忠信の日本出張がありました。またまた妹たちからおいしいものを届けてもらえて喜んでいます。日本へ行っても会議ばかりで何処にも行けないようですが、おば様方が日本の味をホテルに送り届けてくださり、有難いことと感謝しています。その出発前の月曜日にインディアナからリンのお母さんとおばさんが、リンの妹ダイアナの一人息子エディーを連れて遊びに来られました。エディーはマイケルとデービッドの間の年で小さい時からよく遊び、三人まとめて誕生祝いをしてもらった仲です。ご一行が着かれた翌日、会いに行きましたが、大きくなった(14〜12才)三人がプールに大波を起こして遊んでいました。一週間アトランタを楽しまれる予定だったのですが、出発前に84歳のもう一人のおばさんが亡くなられ、二日の滞在でケンタッキーでの葬儀のためにリンたちも一緒に出かけることになりました。たった二日でしたが、シックスフラッグスと言う大きな遊園地の夜の時間を楽しみ、翌日は我が家でお昼を済ませてからストーンマウンテンのレーザーショーを楽しんで帰られました。その間三日ほど、家中、留守になりましたので土曜日には私たちがプールの薬を入れに行き、日曜日にはウェストミンスターの礼拝の後、ダディーがクワイヤーの練習をしている間に、私だけはアラバマから来ていた二人の女の子を連れて泳ぎに行き(教会から忠信の家へは30分くらい)、とても楽しく喜んでもらいました。4日の金曜日は忠信が帰って来る日でしたが、その日からファミリーキャンプが始まりますので、例年通りキャンプ場に向かいました。ここから西へ一時間半くらい、「ロックイーグル」と言う所にある‘4Hセンター’です。今年は、近く(車で5分くらい)にお住まいの岩瀬さんという75歳の方を乗せて行きました。岩瀬さんは北海道・釧路で氷やさんをしておられました。一緒に住んでいた息子さんが亡くなり、奥様にも先立たれ、二年間一人暮らしをされたそうですが、「もう限界だ」というのでもう一人の息子さんが呼び寄せられました。英語が好きで何とか通じるくらいの力はあるのですが、友人もおらず、何もすることがなく、車の運転はできず、ただ歩くことが好きだから・・・と歩き回っては迷い、時には警察騒ぎまで起こしたと息子さんを困らせていました。たまたま出会ったアメリカ人の奥様が日本人で、何とかしなければと考えてくれたため、廻りまわって私たちのところに連絡がきました。年をとってから息子さんと二人で慣れない生活を、と思うとお気の毒です。こちらに来て4ヶ月以上たつのですがまだまだ「釧路なら・・・釧路なら・・・」とおっしゃり、こちらに慣れるにはもうしばらくかかることでしょう。ウェストミンスター教会なら牧師も道産子ですから話も合うだろうと連れて行きました。歩いて行きたい様子でしたが一日かかるくらいの距離(約40km)であることを説明してやっと分かってもらえました。二回目にも連れて行ってあげることにしたのですが、その朝は我が家に来るのに迷子になってしまい、ケイタイで連絡しながら20分ほど探し回っても見つからず、あとは息子さんに任せて教会へ行きました。今後の礼拝には息子さんが連れて行くことになっています。その他、できるだけ水曜日の午前中、我が家で聖書の手ほどきをして、お昼に一緒におそうめんを食べることにしています。九月初めのノークロス教会の修養会にも参加したいとおっしゃるので連れて行くことになっています。
キャンプが終わった6日の日曜日、岩瀬さんを家に送り届けてからケネソーの忠信の所へ行き、荷物を受け取り、日本の話など聞いて一休みしてから、キャンプ講師の赤江先生、奥様、息子さんのご一行を中心に、オレゴンから来ていた高橋和子さん、武田夫婦、教会の方たちと中華料理店で楽しい夕食会をしました。久しぶりの和子さんとも礼拝やキャンプでは忙しくて見かける程度でしたが、やっと落ち着いて語り合うことができました。その帰り辺りからダディーの足がひどく痛み出し、翌日は37度8分も熱を出しました。どうやら通風の発作に見舞われたようです。痛み止めを飲みながら徹底的に食事を変えました。週末には、テネシー州・ノックスビルの「TJ−ナイト」へ行くお約束がありましたので、早く治まるように祈りながら過ごしました。そして、ちやさんの家くらいまでしか運転をしないで過ごしてきた私ですが、やむを得ず買い物や郵便局にと運転を始めました。まあ、私にとっては良い機会になったようです。金曜日になっても痛みは完全におさまらないので、この分ではテネシーまで私が運転しなければならないか、と覚悟を決めたのですが、頼子が「都合が付く時だったから」と運転手をかってでてくれました。私が運転するのでは倍の時間がかかるつもりでしたが、おかげで泊まってくる予定も変更して、夜中に戻ってくることができました。集会は戦争を知らない若者たちを相手に、61年前のことから始まったお話をみんなよく聞いて喜んでくれました。できるだけ来月からの集まりにも参加するつもりでいます。翌日はノークロスの教会の礼拝に出ることもできボートライト先生82歳のお誕生祝いにも参加でき感謝でした。
病院へ行きたがらないで困るダディーも、痛みは治まってきましたが、自分から病院へ行くと言い出して、火曜日には診察・検査を受け、一週間ステロイド剤をのむことになりました。その検査結果が昨日電話で知らされましたが、尿酸値も標準値に下がっており、続けて尿酸値を下げるクスリは飲む必要がないが、時々検査を受けるようにとのことでした。三日たった今日は杖もいらなくなったようです。食事の方は私にも良いことですので、続けて注意していくことにしています。私の気管支炎も、長引いていましたが、改めてお薬を頂き、今度は本当によくなってきたようです。来週はプールにいけると思います。今週末19日はアトランタのAJCF(青年の集い)です。この夏リーダーをしていた高橋賛美さんがニュージャージーに転勤となり、どうなることか、と案じられましたが、アラバマの大学を卒業した町田禎幸さんがアトランタに移ってきて新しいリーダーになりました。まだ仕事が見つかっていないので祈っています。ところで私たちはバーミングハムの教会に若い浜松牧師が就任されることになったので、もうご用はないと思っていましたが、この27日、もう一度頼まれて行くことになりました。10月中旬の特別キャンプにも参加を依頼されましたので出かけることにしました。まあ、少しでもお使いいただけることを本当に嬉しく感謝しております。祈っておりましたリンの仕事も、念願どおりドラビルの図書館(忠信の家から我が家に来る途中2/3くらいの地点)に決まって喜んでいます。子どもたちも元気に学校に通いはじめました。スクールバスは家の前まで来るそうです。ただ、この学期は忠信の授業が週に二日だけ夕方から夜にかかるので、その火曜日と木曜日、子どもの帰る時間にはあちらに行っていることになりました。来週は忠信が出張で水曜日も留守になるため続けて滞在することになりそうです。でも、何と言っても一時間でいける所です。時に応じて行ったり来たりすることになるでしょう。今まで出来なかった孫たちの成長を近くで見る楽しみを与えていただいて神様に感謝しています。
今日黒いトンボを見ました。夏もあとわずかですね。
皆様、お元気で。御祝福祈りつつ。
郁 子