一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第60便 2006・12・4
天地の主であり、限りない愛をもって私たちを導いてくださる父なる神様を賛美いたします。
サンクスギビングが終わるのを待ちかねた様に、あちらこちらでクリスマスのライトアップの飾り付けが始まり、夜の外出が楽しいシーズンになりました。今年は秋の紅葉が大変美しく、 会う人毎に「きれいですねえ」とあいさつを交わすほどでした。こんなにきれいな年ははじめて・・・という声も多く、旅行に来られた方は「良い年に来た」と喜んでおられます。私は紅葉と言う時、イチョウは黄色に、モミジは赤にと思っていましたが、こちらに多くある木は(何か分かりませんが)緑から黄色になり、やがてオレンジから燃えるような朱色に変わっていく様です。何しろアトランタは飛行機の上から見ると森の中に家が隠れて見えないほど木が多い町です。家を一歩出るとその秋の色にどっぷり浸かって染まるようなすばらしい秋でした。
こちらに来た時から書き続けてきた「アトランタ便」が今回でちょうど60便になりました。当初は、何もかもが珍しく思えたものですが、さすがに今ではそれらが当たり前、という感覚になりました。日本もアメリカも、二つとも自分の国のようになって自分のふるさとが大きくなったような気がしています。考えてみれば、子供の頃から、移転の多い生活をしていたため、いろんな所に自分の田舎のような所があり、友人知人ができていて喜んでいるのですが、それが更に増えたわけです。
今年は、2月に「交通事故」に遭うという思いがけない経験をしましたが、6月には予定通りアメリカ中央部をミシガンまで2週間あまり約5千キロのドライブをすることができました。いろいろなすばらしい方々とお会いすることができ楽しいお交わりに加えていただいて感謝しています。通常の奉仕では、アラバマの教会に浜松牧師が赴任され、私たちは役目を終えましたが10月に行われたアラバマキャンプには参加、60人余りの学生たちと楽しい三日間を過ごせたことは今年の楽しい思い出です。サウスキャロライナ・グリーンビルの方は、相変わらず月一回の集会を続けています。「買い出し伝道」とか言われますが、アトランタから日本の食材など頼まれた物を買い求めてお届けすることも続けており喜ばれています。ごぼう、柿、サトイモ、なし、白菜、大根それに冷凍のサンマやさばなどの注文が多いですが、地方ではまだ手に入りにくいこんなものもアトランタではほとんどのものが手に入るようになりました。初めてアトランタを訪問した1978年、つまり28年前を考えると、町も大きくなりましたが、日本人にも住みやすい町になったものだなあ、と言う感じを強く覚えます。
もう一つ、10月の診察の日に、日本クリニックでばったり再会した高子さんに誘われて、我が家から一番近い所にある「聖書を読む会」のグループに顔を出すようになりました。ちょうど金曜日は何も予定の無い日でしたので・・・。これは、高橋和子宣教師の働きによって始まった会ですが、ウェストミンスター教会からも遠く、かなり離れている地域です。このあたりには学生は少なく、商社関係の方も少ないようです。国際結婚をしている奥様方を中心に十人ほど集まっており、元宣教師のスーザン・ヤング先生が導いていらっしゃいますが、ちょうど一つの集まり(勉強会)では人数が多すぎて、二つに分けたい、という言う願いが起こっている所でした。それで、今後その一つを私が持たせていただくことになりました。高子さんはご両親を引き取るに際して、「移住先輩」に当たる私たちの話を聞きたいと言って我が家へお出でくださったことがあるのです。その時のご両親がもうお隣の家に住んでいらっしゃって、集会中の子供の世話をしてくださっています。ダディーは運転手として行くだけでなく、そのお二人とのお交わりができればと楽しみにしています。また、来年はテネシー方面に・・・と祈っているのですが、去る11月19日の日曜日、思いがけない事でテネシーへ行くことになりました。母校(現・東京キリスト教大学)の創立者ホーク先生の葬儀がテネシー州ノックスビルであったからです。その週は予定が一杯で、土曜日の夜もAJCF(青年の集会)があったのですが、集会のある川田家から忠信の家までは30分です。「ノックスビルに行くのならここに泊まれば1時間近くなる」とリンに勧められ、夜、集会が終わってから忠信の家に泊まって、翌日、礼拝に出かけるみんなと一緒に出発、テネシーに向かいました。式は3時からでしたが、2時過ぎには式が行われるシダー・スプリング・プレスビテリアン教会に着きました。少し早いけどトイレを借りて・・・と入って待つことにしたのですが、そこで、ミセス・ホークにばったりお会いすることができました。大変な数の人が集まることが予想できましたので、ゆっくり話すことはできないものと思い、思い出と感謝の手紙を書いて「日本のお茶とピーナッツせんべい」と一緒に持って行っていたのですが、そんなわけで、ゆっくりごあいさつしたり、ご一緒に写真をとったりすることも出来ました。式には、他に日本からの参列者も見つからず、これでは報告のためにもしっかり聞いておかなければと「全身・耳」状態で臨みました。流れる曲も、歌われた賛美もよく歌われるものばかりでした。説教は短く、思い出の数々が語られました。私たちは父が宣教師受け入れの奉仕をしていた関係で、先生が日本に着いたばかりの時、つまり日本語勉強のはじめから近くに住んで存じ上げていました。二人の子供さんたちはまだ十歳にならないくらいで、英語が通じる・・・せいか?父の所へ遊びに来ていました。玄関のブザーに手がやっと届くくらいでしたが、出てみると「イズ・ミスター・オゴシ・アット・ホーム?」とかわいいお客様だったことを思い出します。長男のダニーは事故で亡くなっていますので、次男のスティーブがミセスを支えていました。大勢の参列者の中に古いお仲間の宣教師でもいらっしゃらないかと探しましたが、見つけることはできませんでした。皆さん、もうお年を取られて・・・と長い年月が経ったことを思わされました。5時になっても、ミセスにご挨拶するための長い行列が続いていてまだ1時間はかかるだろうと思われ、ミセスのお疲れも考え私たちはそのまま失礼して教会を出ました。その日は近くのホテルに泊まりましたが、食事に出かけた時には、気温が下がっていて震え上がりました。明日は雪かもしれないという天気予報でしたが、予報は外れ、すばらしい天気の中、無事帰ってきました。中、一日置いて水曜日からは、二人の子供家族と一緒にフロリダのパナマシティーで四泊五日の休暇を楽しませていただきました。今回は初めてリンのお母さん、スーザンもインディアナから来て参加、本当に感謝にあふれる「サンクスギビング」でした。どうぞ、皆様楽しいクリスマスシーズンを、お元気にお過ごしください。
郁 子