一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第61便

2007・1・14

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

 多くのお便りやカードを戴き、お変わりないご様子に安心したり、ニュースや写真等々の新しい情報で楽しませていただいたり、思いがけない嬉しいことで感謝したりもいたしました。「軽井沢の文子さん入院」の情報ではびっくりしましたが、胆石で手術も無事に終わっていることが判り、「口は元気」というお知らせに一安心。

 早いもので、アトランタでの年末・年始が6回目になりました。今年は忠信一家もジョージア州に移って来たので、新しい形になりました。今までは、クリスマスの頃からお正月まで遠くから来て滞在していたのですが、今年は大晦日の夕方からこちらに来て一泊だけしました。そして、大晦日が日曜日だったこともあって、例年は新年に開いていた「松井家のパーティー」を31日の夜にやることにしました。永いお付き合いのお友達など子供を含めて総勢17名が集まりました。おすし(にぎりと巻物)、おでんを中心に、オセチは少なくしよう・・・・・・と言いながらも、結構いろいろ作りました。日本から送られて来た最高の数の子も入り、ごまめ、黒豆、昆布巻き、なます、きんとん、照り焼きなどなど、お正月には必須のものを、頼子と二人でがんばって作りました。でも、今年はお店を探し回っても、何故かハンペンが手に入らず、伊達巻が作れませんでした。もちろん、おでんもハンペン抜きです。好評だったのは照り焼きです。「ぶり」が手に入らないアトランタですので、いろいろと試行錯誤しているわけですが、今年はサーモンの脂ののりが良いトロを使ってみたところ、コレなら・・・というものができました。「もちっこ」を使って、あんこ・からみ・きなこのつきたてのお餅も顔をそろえ、皆さん大喜びをしてくださいました。NHKの紅白歌合戦が、こちらでは大晦日の朝9時から放映されます。その時間はとても見ていられない(特に今年は礼拝の時間でした)ので、録画しておき、パーティーの間に再生して楽しみました。それが終わって、アメリカのチャンネルに切り替えて、ニューヨークからのニューイヤー・イブの中継を見ました。間もなくカウン ト・ダウンが始まり、集まっている大群衆の「スリー・トゥー・ワン」に声をあわせ「おめでとう!」をやりました。(山崎家のえりかちゃんだけが寝てしまっていましたが)16人はちゃんと年越しそばを食べて元旦を迎えました。

今年はダディーがウェストミンスター日本人教会の元旦礼拝でお話をすることになっており、10時には家を出ることにしていました。マイケルとデービッドは、その前には起きられないだろうということで、お客様がお帰りになった後、日本語でジージに「おめでとう」と挨拶し、アメリカにはない恒例の「お年玉」を戴く行事を済ませてベッドに入りました。教会では元旦礼拝のあと、お雑煮やお汁粉がふるまわれ、ゲームなども用意され、にぎやかに初顔合わせが行われました。今年は教会がスタートして満30周年を迎えます。早いものですね。記念の行事が計画され、特に恒義さんたちにとっては忙しい年になりますので、健康が支えられるように祈らなければなりません。

教会から帰って一息ついたころ、前の晩は仕事でパーティーに参加できなかったグレースがやってきました。グレースは、最近、新しい日本の会社に移ったのですが、以前働いていたアメリカの大きなお店を忙しい 時だけ手伝っています。私たちも一度招待してもらいましたが、海鮮料理で有名なお店です。大晦日には何と、400人のお客さん(昨年は600人だった)が入ったとのこと。この次のピークはバレンタイン・デイだとか。忙しそうですが、それでも時々、特典(デルタ航空に勤めていた)を利用し、ユタ州まで飛んではスキーを楽しんでいます。夕食は「すしよこ」で済ませて家に帰り、オセチの残りなどで2回目の新年会でした。

少し話を戻して12月のことも書きましょう。12月にも嬉しいことがいくつもありました。

年末恒例の「文化行事」として、12月1日にアトランタ・シンフォニーのコンサートに行きました。いよいよクリスマス・シーズンに入ったことを実感していたところ、3日の夜、忠信から電話があり「明日、マイケルの洗礼式がある」と知らされました。明日?ということで驚きましたが、忠信も聞かされたばかり・・・だそうで、「もう少し早く言って欲しいんだけど」と言っていました。何しろ本人の意思で決定、事が進められていたわけですから、そのことを嬉しく思いました。予定外でしたが、次の日には私たちも参加するために出かけました。忠信たちはこちらに来てから学生伝道の活発な教会を捜していたようですが、その教会では、高校生たちは日曜日のほかに、月曜日に全体の高校生会があり、水曜日には学年別、男女別に細かくわけて、小さなグループで聖書の勉強会が行われています。マイケルは今、二人のクラスだとか。洗礼式は月曜日の夜行われましたが、60人くらいの全体集会のあと三人が受洗しました。思いがけないことでしたが、この年一番の嬉しいことでした。その週は、更に木曜日に高校の「ウィンター・コンサート」があるので、「ファラニー・パフォーミング・アート・センター」というところまで出かけました。1時間半くらいかかるのですが、リンが仕事を早退できて運転してくれたので助かりました。音楽科の二人の先生が指導してのコンサートでしたが、シンフォニック・バンドで3曲、オーケストラで5曲、パーカッション・グループのアンサンブルが一つと、ウィンド・オーケストラで5曲という立派な内容のものでした。マイケルはシンフォニック・バンドでトランペット(7人)を吹いています。ソロの所もある、と張り切っていました。ウィンター・コンサートなので、クリスマス関連の曲も多く楽しい構成になっていました。面白かったのは、パーカッションの面々です。指揮者が手を上げて、会場がシーンとした瞬間、その内の1人が大きなくしゃみをしましたので、みんな、ドキリとしたのですが、何とそれが音楽の始まりだったのです。大きなくしゃみ、小さな連続したくしゃみ、大きな咳払い、ごほごほのセキ、コンコンのセキ、鼻をかむチーン、さえもアンサンブルの一部になっていたのです。会場が大笑いになったことはいうまでもありません。本当に楽しい一夜でした。そのころ風邪がはやっていて、13日のグリーンビル(サウスカロライナ州)の集会は、会場であるすみよさんご一家が全員風邪を引いてしまい、キャンセルになりました。私もそのころから風邪っけになり、とうとう18日には診察を受けました。どうも、自然治癒力が弱っているらしく、グズグズの後、結局、病院のお世話になることが分かってきましたので、早めにお薬を頂いてきました。おかげで、寝ることもなく、何も支障なくクリスマスもオセチの準備もできたのですが、ダディーの方は市販の薬で何とか乗り越えたようです。16日の午後は、頼子の修士課程の卒業式でした。ジョージア州立大学の、博士課程・修士課程・学部の卒業式があわせて行われました。私たちは、高校の卒業式までしか出たことがなかったのではじめての経験です。学生たちは4枚ずつ家族の入場券を頂けましたが、圭三さんは日本語学校の終業式で行かれませんでしたので、忠信と三人で出席しました。入口で券が足りなくて、入れずに困っている方がありましたので、その1枚もお役に立てることができました。卒業生入場の際、入口で一人一人に「おめでとう!」と声をかけて握手している先生が印象的でした。博士の授与式には指導教官がついて前に出て、しるしのストールをかけてもらっていました。修士課程と学部の卒業生は1人ずつ呼ばれて前に出て卒業証書を受け取るようになっていました。みんなとても嬉しそうでした。式の後はあちらこちらで家族たちの輪ができて、喜びの雰囲気があふれているようでした。私たちも記念の写真をとってから、急いでその晩のAJCF(青年の集まり)のため川田家に向かいました。2006年、最後の集まりですが、特に嬉しかったのは、初めてこの集まりの中から、献身して神学校に行く1人を送り出すことができたことです。西脇謙一君と言います。更に続く人が起こされるように祈っています。次の日、17日は夜に、ノークロス日本語バプテスト教会の「ファミリー・クリスマス」があり、今年は、ウェストミンスター教会のクワイヤーが招かれて、「ハレルヤ・コーラス」などを歌いました。クワイヤーのメンバーは30人近くおりますし、アメリカ人のお客様も多かったので、当日は130人を超したそうです。ウェストミンスター教会のクリスマスは24日、礼拝に続いてお祝いの会食は恒例のマグロたっぷりの「チラシ」です。忠信たちも出席したのですが、生魚の「チラシ」では食べられないと言うので、特製のかつサンドを中心にお弁当を作って行きました。圭三さんと頼子は3日間の休み を利用し二人でフロリダ州のセント・オーガスチンという古い町へ旅行に行きました。夜のクリスマス・イヴ賛美礼拝と祝会には、ノークロス教会からの人も加わり、にぎやかに、楽しい時を過ごすことができました。ダディーは祝会の男子会の「博士の献げ物パロディー版」の中で、大工の家に生まれたイエス様に鋸を献げ、木をひくだけでなく、音楽もひけますと「ノコギリ音楽」をご披露しました。50年前に覚えたものですが、20年ぶりに弾こうとしたら、年をとって指の力がよわくなって・・・などと言っていましたが、皆さん喜んでくださいました。その夜は忠信の家に泊まり、25日の夜は、恒義さん、牧実も一緒に忠信の家でクリスマスの食事をしました。食後にはマイケルのトランペットで、最初のクリスマスの夜空を偲ぶひと時を持ちました。前便で近くの「聖書を読む会」のお手伝いをすることになった、と書きましたが、それはお断りすることになりました。新しい年、神様の導かれるままに・・・と思っています。私は8日、72歳になりました。当日はノークロス教会の家庭集会で今年最初のご奉仕でした。次は16日のグリーンビル、20日がAJCFです。

庭ではチューリップがかわいい芽を出しました。寒のサクラも咲いています。今年は暖冬ということですが、皆様お風邪に気をつけて。               

郁 子

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