一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第67便
2007・9・9
日本は40℃を越える暑さの日があったとか、今年から「猛暑日」という言葉ができたようで、からだの弱い方、お年を召されている方々のことを心配しております。それにしても、「30℃を越す暑さ」「35℃の猛烈な暑さ」という感覚を超えた大変な異常気象ですね。来年は「酷暑日」という新しい気象用語ができるかもしれませんね、実はこちらもじりじりと焼けつくような暑さがしばらく続きました。幸い私たちは、必要最小限の外出をし、エアコンの効いた家の中に「避難状態」でいられましたが、こんな中で働かなければならない人たちは大変でした。そう思うと同時に、真夏に汗を流しながら動き回れた「若さ」のあった頃も懐かしく思い出したことでした。
そのせいかどうか、いつもより落ち葉の始まりが遅いように感じていましたが、風に舞う枯葉が見られ、やっとそんな季節になったとほっとしています。
この秋最初の行事は、ノークロス日本語教会の第14回修養会でした。9月の第1月曜日が、「レーバーデー(労働者の祝日)」なので、週末の三連休を利用して毎年行われているものです。湖のほとりにあるジョージア・バプテスト・アッセンブリーは、最大千人分の宿舎と付帯施設があり、外部(個人でも)にも貸し出されています。私たちと同じ時には、台湾人の教会、韓国人の教会も利用していました。日曜日の午後は自由時間で、テニス、バスケット、魚釣り、スキット射撃までいろいろなプログラムが用意されます。今年は「滝見物」というのがあって、ちょっと気になったのですがやはりやめました。参加した方に聞きましたら、急な階段を三百段位も深い谷に下って(もちろん又上ったのです)そこにはつり橋もあったそうで、高所恐怖症の私は話を聞いただけで震え上がりました。講師の杉田先生による、聖書の「種まき・収穫」のお話を中心にした学びは楽しく実りあるものでした。今回のサンデー・スクールで、ダディーは「士師って何?」のテーマーで、圭三さんも頼まれて「神さまは本当にいるか」のテーマーでお話をしました。
話は遡ります。7月の後半は少しのんびりできましたが、8月はじめから12日まで、アイオワ、シカゴと忠信の出張が続きましたので、ほとんど自宅にはおりませんでした(学校が休みの間は夕方の留守番だけではないので)。となりの家の子が、普段は学校が違うのであまり遊べないのですが、夏休みの最後の一週間でもあり、毎日遊びに来ていました。少し陽が傾いた頃からはデービッドと二人でもっぱら家のプールに入っていました。アメリカの場合、ほとんどの人が夫婦共稼ぎで子どもを育てていますが、保育園や学童保育的なものが充実しているだけでなく、職場が大変協力的である事、大型の店舗が24時間開いている事などもそれを可能にしている様に思います。私たちは、本当に部分的に手伝っているだけですが、私達の都合が悪いときには子どもたちはリンの図書館へ連れて行かれていますし、病院通いも両親が都合をつけて連れて行きます。深夜になって学校に必要なものを買い揃えに出かけるのも、よく見かけます。図書館が夏休みの子どもたちに大切なことは日本でも同じだと思いますが、リンも責任者として「夏休みの子ども」を相手にいろいろ企画を立ててがんばっている様です。先日は「かき氷」の材料を抱えていきました。色々な所で日本的なことを取り入れているらしい様子でほほえましく思っています。
第30回になるウエストミンスター日本人教会の「ファミリー・バイブル・キャンプ」は、8月3日の夜から5日の昼まででした。神戸の岩崎謙先生が奥様、お母様もご一緒においでくださいました。私たちはもう5年余り前に帰国したときにお招きいただいてお世話になったのが初対面でした。日程の関係で教会としての歓迎夕食会ができませんでしたので、牧実と相談の上、せめて内々でということになり、私は「青森地方の甘いお赤飯」を作ろうとしていました。ところが、何と先生たちは乗り換えのロスアンゼルスで、荷物が出てこなかったために、予定していた便に乗れず、航空会社の準備したホテルに一泊、翌日到着されることになりました。でも、結果的には、途中で休まれたことが良かったのか、皆さんまったく時差の苦痛を感じないでおすみになったようです。岩崎先生ご家族は10年前、2年ほどこちらに居られましたので懐かしがる方々も多くありました。圭三さんとはテニス友達で今回も帰られる前、ちゃんと時間をとって楽しまれたようです。とても和やかなよいキャンプだったと思います。キャンプの終わった後、例年、講師を囲んで有志が集まってレストラン(たいてい中華)で夕食会をするのですが、今回は、中国の食品などに問題があると騒がれていますので、アメリカ式のバッフェ(日本で言うバイキング形式)になりました。この中国産品問題は日常生活にも大きな問題です。例えば「うなぎの蒲焼」にも問題があると言われていますが、日本の様に店頭から姿を消すわけではありません。さて、私たちはどうしたものか、考えています。すでに買って冷凍庫に入っている中国産の蒲焼は、ついにこの間食べてしまいました。日本産のうなぎが手に入るはずもありません。これを食べるかどうか、自己責任で判断することです。もっとも牛肉も同じですね。こちらでは、全く平気で食べているのですから。中国製品を気にし出したら私たちの生活は成り立ちません。まあ、こういう状況、こういう時代に生かされているわけですから、神様のお守りに期待して、あまり気にしないで生きて行くしかないでしょう。
子どもたちの学校は、8月6日から始まりました。武田家の末娘のぞみちゃん一家が日本へ行くことになりました。3年生になるザッ君は日本語がダメなので、東久留米の外国人学校に入れることになり、20日過ぎに新学期にあわせて出発しました。それでも日本の学校は8月末からでこちらより遅いようです。3年間の予定でミッションの働きをすることになっています。下の子は日本の幼稚園に入れるそうですが、とにかく3年もいれば日本語が上手になることでしょう。
忠信の大学の方は8月15日から始まりました。今学期は、私たちが日本へ行って留守になることも考えて、月曜日と水曜日の昼間だけ授業を持つことにしたそうです。今は、来年の5月、学生を連れて日本の授業研究旅行のツアーをしようと計画を練っています。研究授業の見学だけでなく広島の原爆記念館も見せたいし、多少は観光もさせてやりたいとのことですが、昔と違ってコンピューターで色々調べられますし、便利になったものです。前便に書きました、アメリカの先生たちの「日本の授業参観のツアー」では、移動の際に、時間までに出しておいた荷物が、次のホテルの部屋にちゃんと運び込まれていたという、私たちには当たり前に思われることに感心していた人もあったそうです。日本の良い点が見せて上げられたら嬉しいことです。
日本と言えば、めったに帰国しない圭三さんが、久しぶりに休暇をとって帰国した今年、何とまた日本への出張がありました。今回は、日本で世界中から集まっての会議があったのだそうです。その一日の研修の為に一週間の旅行でした。会議の後、岐阜の実家にも行くことができて喜んでいます。ご本人はお土産に重い荷物を持たされて、暑い中大変だったと思いますが、お母さんの敏子さんも86歳になっていますから、ちょくちょく帰れたらいいと思います。それに、いろいろな面で日本の変化も目覚しく、その速さと感覚のずれを避けるためにも、時々帰るほうが良いのかもしれません。帰って来る日の夕方、この辺に猛烈な雷雨があって、飛行機が着陸できず、上空を旋回していましたが、燃料が乏しくなり、バーミンガム(アラバマ)へ行ってしまいました。そこで給油をし、天候を見きわめて予定より4時間遅れで、深夜11時過ぎやっと戻って来ました。数日前には沖縄の那覇空港で飛行機の爆発炎上事故があったところでした。その報道の中で、天候その他の異常があれば上空を旋回して待機することがあるために予備の燃料が積まれていることなど、あらためて飛行機の燃料について知ることができたばかりでした。実はこの日、圭三さんを迎えて、一日遅れの頼子の誕生日の夕食に行こうと、私たちも空港に行っていたのですが、順延になりました。
私たちは、2年半ぶりの10月末の帰国を前にボチボチ準備にかかっています。今まで春にばかり帰国していましたので、11月の気候がどうだったか思い出そうと努力しています。11月は車で動くのだから、と衣服については楽天的になれる一方、車でない部分、自分の体力がどれだけ動けるかが、多少不安の材料になっています。それでも二人で行動できることは心強く思っています。今回は、広く廻らないでと思いますが、どうしても、青森、名古屋、軽井沢だけは行きたいと思いますし、そこを車で廻れば途中の何箇所かも・・・ということになります。行きたい所、会いたい人がいっぱいなのです。つまり、私たちにはふるさと的な所が普通より多いということでしょうね。45日間、神様が備えてくださる、土地と景色、食べ物、そして懐かしい顔との「再会」に期待しています。
今月のかわいいお客様として、厚木・一麦キリスト教会のメンバーのお二人が結婚した平野家のまどかちゃん(14歳)が一人で遊びに来ました(お母さんは長井先生の妹さんです)。一人で来ると聞いて驚きましたが、幼い時の面影を残しながらすっかり成長していました。こちらの青年たちがよく世話をしてくれました。私のバイブルスタディーのクラスに来てくれましたので、ゆっくり話すこともでき、楽しいときでした。
皆様お体に気をつけて、お元気でお過ごしください。ご祝福を祈りつつ。
郁 子