一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第70便
2008・1・29
新しい年2008年も順調にスタート、月日がどんどん流れています。
日本から帰って来た12月10日のアトランタは、夏の様な気温でしたが、1月16日には大変珍しく雪が降りました。びっくりしましたが、南東部ではここ数ヶ月の間降雨量が非常に少なく、深刻な水不足ですから少しの雪でもありがたい事です。水の配分をめぐってアラバマ州、フロリダ州とも協議したそうですが良い解決策は得られず、「天の恵み」に頼るしかないいうことで、11月13日、州知事が州議会議事堂で「雨乞い祈祷会」を主催したと言うニュースがありました。日常生活では、庭の水撒きや洗車が禁止されたくらいで、断水とか時間給水ということもなくあまり変りはありません。
話を少し戻します。12月23日ウェストミンスター日本人教会のクリスマス祝会は、婦人会主体の人形劇が好評で、多くの新しい方々をお迎えできました。私たちが月に一度集会に行っているグリンビル(サウスカロライナ州)のボブジョーンズ大学で勉強中の高橋ご夫妻も米国旅行は始めてというご兄弟四人と一緒に来られました。翌日ご一行を「アトランタ観光」にご案内をしました。忠信が切符の手配を始め、全部引き受けてくれました。水族館やコカコーラ・ミュージアムなど私も(ダディーは留守番)久しぶりに楽しませてもらいました。忠信以外の7名は55歳以上のシニア(割引がある)でした。お昼は、かつては世界一の高層ホテルと言われた「ピーチツリー・プラザ・ホテル」の71階のレストランに行きました。今では周囲にもっと高いビルが増えましたが、その日は天候もよく、ゆっくり回転するので、すばらしい景色をたんのうでき、喜んでいただけました。
年末・年始ですが、アメリカでは元旦だけが「国の祝日」、ですから休みは1日だけ。それで31日は中華料理屋で夕食でした。山崎一家5人と、アメリカに戻って来た古いお友達の邦子さんを加えてみんなで14名です。食後、みんなで家に戻り、録画しておいた紅白歌合戦を楽しみました。山崎家の一番下のション君ももうすぐ5歳になります。3歳で初めてマイケルに会った時に、近くの「アンクル・マイケル」と混同し、マイケルは14歳でアンクルと呼ばれて苦笑したものですが、今回も子供たちはテレビゲームの周りで楽しそうに遊んでいました。ダウンタウンからのTV中継にあわせてカウントダウン。「オメデトウ!」そして、年越しそばを頂きました。ウェストミンスター日本人教会の元旦礼拝後、60人余で恒例のお雑煮とお汁粉。夕食は、最近お刺身も食べる孫たちが喜ぶ「手巻き寿司」でした。その晩は、ここから出勤する方が近いとリンだけが泊まって、忠信と孫たちは帰っていきました。私たちは新春の数日をのんびりと過ごさせていただきました。
6日の礼拝は久しぶりにピーチツリー・シティー日本語教会へ出席しました。皆さん喜んで下さいましたが、陽子ポージーさんが見えないのが気になっていましたら、礼拝後、宮崎先生から報告がありました。前夜10時頃、陽子さんの家に警察官が来て、ご主人が銃で撃たれて亡くなったと知らされたそうです。金曜日の夜「すぐ帰る」と出かけたのですが、間もなく頭を撃たれたようです。財布も携帯電話も所持品全部が盗まれていたため、身元が判明するのに時間がかかったようです。とりあえず私たちが帰りにお訪ねしました。まだご遺体は警察の方でした。事件の状況も、もちろん犯人もまだ判りません。陽子さんはしっかり落ち着いていらっしゃいました。神様が支えて下さるようにお祈りをして帰りましたが、土曜日には葬儀が行われたと言うことです。自分の子供が二人(下は5歳?)と、ご主人の先妻との間の娘(15歳?)とを抱えて、これからいろいろ大変だと思われますがみんなに支えられていくことだと思います。
その週は、月曜日にダディーは診察の予約があり、私はノークロス教会での婦人会を頼まれていました。73歳の誕生日の前日でしたが、皆さんにお祝いをしていただきました。
ところが、夜には風邪がひどくなりそうな気配となり、翌日、日本クリニックに電話をして割り込みの診察をしていただきました。土曜日には北に向かっての旅行が控えています。ところが抗生物質の効かないウィルスによるものらしく、木曜日のお昼の診察では、肺の音がとても悪いからと肺炎で使うような薬まで使いちょっと心配しました。幸い金曜日の午後には小康状態になり、翌土曜日の朝、5時15分には飛行場に向かい、ボイジー(アイダホ州)のフェーデル先生を訪問しました。ご高齢(84歳と82歳)の先生方に風邪をうつしては大変なので、一時はキャンセルも本気で考えたのですが、どうしてもこの機会を逃す決心はできず、回復に向かっていることでもあり、全てを委ねて出かけました。ダディーも行く予定で忠信が切符を手配してくれました。しかし、ノークロス教会のボートライト先生が休暇を取られる(10月末がご希望だったのですが、私たちの日本旅行と重なり待っておられた)ため2回の礼拝説教を頼まれました。そこで私は一人で行くことになりました。ボートライト先生も奥様のベティー先生の具合が悪く、家事は全部しなければならず大変です。先生が教会のオフィスで過ごされる一日中、奥様も一人で耐えていらっしゃいますので、お二人にとっては大切な休暇の時ですから・・・・・・
アイダホとは2時間の時差があります。アトランタから3時間半のソルトレーク(ユタ州)までは、隣の席は二つとも無人で、横になることができ感謝でした。そこからは小さな飛行機で、1時間少し飛び、先生たちに迎えられ、飛行場から5分ほどの所にあるお宅に着きました。私は高校2年生(16歳)の頃、初めて宣教師として日本に来られた若い先生たちに会いました。その後、日本語の勉強を助けたり、高校を卒業してからは青森で2年間伝道のお手伝いをさせていただいたりと、57年昔からのお付き合いになります。軽い食事の後一休みして、3時半には日本人の婦人たちの集会に向かいました。この日の集まりは、お宅から30分の所の金木町(青森県)から来られた方のお家でありました。
5人ほどおいででしたが、40年前に召されたナザレン教団の与田牧師のご夫人もいらっしゃいました。お話をさせていただいた後、韓国風ののり巻きなどご馳走になり、もっともっと、皆さんのお話も伺いたかったのですが、いつかまた?と思いながらお別れして帰りました。実際、こうして先生たちが今なお、日本人のために集まりを続け、働いていらっしゃるとは考えてもいないことだったのです。というのも、先生はだいぶ前からガンのため、カテーテルで体外につけた袋に排泄しておられます。その上、最近になって「心臓に生まれつき穴が開いていた」ことも判ったそうです。背中は丸くなり、小さくなってしまったお体でゆっくり歩いていらっしゃいます。奥様は1年前に、10年来の腰の人工関節が悪くなり、3回の手術を受け、リハビリを繰り返し、6週間の入院生活から自宅に帰えられたものの、今では歩行器につかまってゆっくりゆっくり移動するのがやっとなのです。このお二人が誰の手をも借りず、自分たちだけで生活しているのです。でも、それはご本人の希望なのです。歩いて5分のところに次男マークの家族(3世代)が住んでおり、暖かく見守りながらそれを許しているのです。翌日、10時からの礼拝の後、教会の会議での責任もある先生を待って、マークの家に行きました。赤ちゃんだったマークが4ヶ月前には初めての孫が生まれておじいちゃんになっていました。でも、その白髪交じりのひげの中にかわいい丸顔のおさな顔があります。楽しい午後のひと時でした。翌朝にはまた、アトランタに向かいましたが、この三日間で目にした先生たちの生活は、私の心に強い感動をもたらしました。考えているうちに涙が出てきました。それは、お別れする悲しみの涙ではありません。哀れみでもありません。「かわいそう」と言ったら失礼になるでしょう。先生たちはしあわせを感謝しながら、できるかぎりの力で少しも変わらない情熱をもって神様を愛し、周りの人に仕えようとしているのです。一ヶ月おきに送られてくる数枚のカードを利用して少しの言葉を添えてご近所に配っているそうです。今回の礼拝にもそういうことで教会に来たという若いご夫婦がいて、相談にのってもらっていました。お宅に帰りつくと、隣の若い子が話しかけてきました。最近刑務所から帰って来た父親の息子で、「麻薬をやめたいけど、どうしたらよいか」と相談に来ているのです。そして、夜になって、話す時間には日本でのあの方、この方の近況を案ずる話ばかりです。自分の境遇に対する不平や不満、辛いことなどは一度も出てきません。奥様の顔も昔と変わらず明るいのです。台所で缶詰を開けてスープを作っていた先生の様子や、先生をいたわり案じながらも頼まなければ何も自分ではできない奥様の様子、思い出すと胸が一杯になり、アトランタに着くまでポロリポロリと流れる涙を拭いていました。 できなくなったこと、失ってしまったものがたくさんある今の生活を、神様から与えられたものとして受け容れ、それでも、朝は賛美を歌いながら起き上がり、「今日もいのちと力を与えてくださって感謝します」と祈っておられます。私は引退して、安らいでいる方々にお目にかかると、そのお幸せを心からうれしく思ってきましたが、あらためて「聖徒」という言葉を思い出しました。
20日は、ダディーが説教のご用がありましたのでノークロス教会へ行きました。礼拝後、今まで良いご家族だとばかり思っていた方から「離婚になってしまいました」と聞いて驚きました。どうやら2年前、イラク戦争から戻ったご主人が心を病んで閉じこもってしまい、とうとう・・・・ということらしいのです。ここにも戦争の悲劇?があるようです。
31日から2ヶ月間、また日本へ行き、先日の検査で見つかった眼(網膜剥離の初期)の治療を受けます。滞在中の携帯電話は成田で受け取りますが、まだ番号が判りません。東京・中野の妹・生越(おごし)にお尋ねください。電話は03−3384−1603です。 しばらくの間「アトランタ便」はお休みです。よろしく・・・・・・郁 子