一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第72便

2008・5・7

3月31日、デルタ航空第56便で帰宅しました。7年前のこの便でアメリカに移住して来ましたので、丸7年を終わって8年目の第一歩を踏み出したわけです。私には旅行中いろいろありましたが元気に帰ることができましたし、留守居の家族たちも守られていて、神様に感謝しています。特に案じていたリンは、3月14日に卵巣摘出の手術を受け、術後の経過もよく嬉しく思っています。インディアナ州からお母さんのスーザンが来てくれていました。教会のみんなも変わりなく、帰った翌日にはダディはノークロス日本語バプテスト教会のバイブルスタディーを頼まれていましたし、その週の金曜日(4日)からウェストミンスター日本人教会では、元尼僧で小児科医の藤井圭子先生の講演会がありました。先生は3回目のアトランタだそうですが、私たちはお会いしたいと思いながらも、いつも日程の都合で機会がありませんでした。今回やっとお会いすることができました。翌週武田たちとアラバマ州(火曜日)とフロリダ州(水曜日)に伝道旅行に行かれました。金曜日に帰国される先生は、前夜遅かったにもかかわらずアトランタ最後の日だからと、ストーンマウンテンなどの観光を希望され、お元気なのに驚きました。72歳です。私はとても、観光にはご一緒できませんでしたが、春の味を召し上がっていただこうと庭の「ふき」で混ぜご飯を作り、コロッケと一緒に差し入れて喜んでいただくことができました。次の週は忠信の出張もあり、スーザンがインディアナへ戻って行かれましたので、8日の火曜日から日曜日までアクォースの忠信の家に行っていました。リンも図書館への出勤を来週から、と決めて体調を調整していましたが、この週は子供たちの春休みで金曜日には、ちょっとがんばって「シックスフラッグス」と言う遊園地に出かけて行きました。疲れたら園内で車椅子も借りられるからと言っていましたが・・・・・・遊園地へ行くと、デービッドがちょっとしたゲームで度々景品をもらってくるので(前回はギターでした)、「今日は何かな?」と冷やかして送り出しました。夜になって何と又ギターを抱えて帰って来ました。今度は直前になってママにやらせたのだそうですが、あまりのことに言葉もありませんでした。楽しい休みを過したようです。

という事で、13日の日曜日はアクォースから1時間余、ピーチツリーシティー日本語教会の礼拝に行きました。実は藤井先生の講演会の日に、あちらから出席された方から、宮崎牧師の奥様千穂さんが悪性リンパ腫であることが分かったと聞いて大変驚き、すぐお見舞いのメールは出したものの伺うことができずにおりました。ジョージア州に越していらして半年、まだ小さい二人のお子さんがあり、先生ともども大きなショックの中にいらっしゃることだろうと祈っていました。礼拝後、お話を伺いましたが、ステージ2というレベルで、進行の遅いタイプだそうです。次の火曜日から3週間ごとに抗がん剤の化学療法を6回受けるように決まったということでした。教会員の中にはその療法を体験をされ、今はお元気な方もいらっしゃって、みんなで支えていく心備えができているのをみてちょっと安心しました。特に直前の3月29日、私は旅行中で残念ながら出席できませんでしたが、みんなで協力してすばらしい結婚式が行われました。その新婚カップル大林さんたちが先生たちと同じアパートに住んでおり、真由(みゆき)さんがお子様のお世話などしっかりサポートする覚悟でいることを聞いて、神様の用意されている助けを思いました。大林さんたちは2月に揃って洗礼を受け、今回、みんなに応援されて結婚式が実現したのです。記念写真には日本人ばかりでなく、アメリカ人も加わって百人あまりが写っており、レセプションでダディが短いお祝いのメッセージを述べた後、新婚のお二人から、金婚式を迎えた私たちに、教会の皆さんで寄せ書きしてくださったカードを添えて花束が贈られました。私が帰った時にはまだ良い香りを放っていて、その日の嬉しい熱気が感じられるようでした。すばらしかったといろんな方から聞きました。みんなで一つのことを成し遂げた今、千穂さんの病気と言う思いがけない問題が起こりました。みんなで助け合って新しい困難を乗り越えてほしいと願っています。

実はこの日曜日の夜8時、日本の14日の朝9時から名古屋では、ダディの妹幹子さんが脊椎管狭窄症の手術を受けました。神奈川から姉の里子さんが応援に出かけました。私たちは何もできない所にいますが、手術が終わるという夜中の12時まで、手術室の前に座っているような気持ちで過しました。幹子さんは携帯を持たない主義でしたが、病室で使えることを知って、携帯を手に入れ、手術前に2,3度メールをやり取りしました。でも、手術中は連絡もつきません。里子さんから全て無事に終わったと連絡が入り、その後、2,3日大変だったようですが、無事にリハビリ病院に移ったとのことで感謝しています。  

さて、幹子さんの手術が終わった朝、私達はもう一つの祈りの課題に立ち向かうことになりました。私たちは昔、青森でネットランド宣教師と一緒に働いていたことがあります。先生たちには5人の子供があり、その当時生れた末っ子のグレースがアトランタに住んでいて頼子とも仲良しで、ご両親亡き今、我が家のもう一人の娘だと思っています。2年半くらい前に乳がんが発見され、手術を受けて最近では元気にジョギングなどしていたのですが、このところどうも調子が悪く検査している。骨に転移したかもしれない。ちょっと動けない状態だけど「日本食が食べたい」という連絡が入りました。それで、グレースの大好きなおすしを注文して、たくわん、焼き芋と一緒に持って様子を見に行きました。疲れた様子ですが、思ったより元気で、まだ一時間半くらい「ウォーキング」をしていると言っていました。検査中で結果は出ていません。木曜日と来週の火曜日にも検査があるからそれまでは待たなければならないということで、その日はお祈りをして帰って来ました。

次の日は、最近近くにできた小さな健康ランドのようなお風呂屋に始めて行って見ました。韓国人の経営で、男女別の浴室には、普通のお風呂のほかに、水風呂・ジャグジー・サウナ(乾、湿)と遠赤外線で温まる石のスペースなどがあり、注文すれば、別会計で垢すり・マッサージなどもあります。円形の浴槽は深く、周りにつけてある段に腰掛ければ脇の下までの湯量です。洗い場でたっぷりとシャワーが使えるのはすばらしいことです。お風呂の後、貸してくれたTシャツと短パンを着て、男女共通のコーナーでゆっくり休めるようになっています。飲食店、お昼寝用の静かな部屋、プール(水着持参)などがあります。費用は25ドル、65歳以上のシニア20ドル(開業当初は15ドル)です。

16日は帰国報告のおしゃべりが目的で武田家を訪問、お昼をご馳走になりました。次の日も、我が家の近くのHマートに来るというので、近くにできた日本食レストランで夕食をしながら延長戦、ゆっくり、たっぷり楽しみました。最近、牧実の古い日記や手紙の束(何と50年以上前に私が書いた手紙などです)が出てきてタイムスリップです。

金曜日になってグレースから「肝臓に5cm8cmのガンが発見された」と言う報告が入りました。19日はAJCF(青年の集まり)でしたから皆さんにもお祈りのお願いをしました。月曜日に行くつもりでおりましたが、具合が悪くて誰にも会えないとの事、水曜日には夕方、大丈夫かもしれないと言うので行ってみましたが留守でした。実は19日にひどい症状が出て緊急に入院していたのです。26日(土)に頼子と一緒に病院で会い、いろいろ聞けました。19日には「苦しくて死ぬかと思った」そうで、骨の成分が抜けており、腎臓に石がたくさん見え、その機能が一時停止したということです。24日から抗がん剤の化学療法も始まって、痛みも少しは治まったそうです。とにかくこの一週間、情報がちぎれちぎれで、入院していることもよく分からず、兄姉が来ていることだけが分かってちょっとは安心でした。この日も、家の方で40年ぶりに姉のサラちゃんに会って話を聞いてから病院に向かいました。友達もたくさんいるのですが、みんな情報不足で困っていたようです。そこで、一人の方がメールで情報を流したり、手助けの分担表を作ったりすることになりました。29日に一度退院したというので、30日に様子を見に行きました。すっかり、骨が弱くなっていて驚くほどでしたが、気持ちはしっかりしています。キモセラピー(化学療法)は2週間ごとに4ヶ月といわれましたが、今のところ毎週一度受けています。ソルトレーク(ユタ州)からサラと一緒に来ていた一番上のジョイは30日に帰り、代わりにシカゴからハロルドが金曜日に着き、サラも土曜日に一度帰りました。すぐ上の兄、ジョンは8月にミシガンからテネシーに越してくることが決まっていますが、その前に来ることになっているようです。こんなわけで私たちは40年前、私の焚き火のそばで三輪車を並べて消防ごっこをしていた子供たち全員に、会うことになっています。

4月最後の日曜日27日の6時から、私達の金婚式を祝ってくれる会がチャイニーズ・レストラン六福で開かれました。オハイオ州から渡辺家代表として、ダディの従兄弟・河合喬史さん、和美さんが朝7時半からのドライブで来てくださり、武田夫妻が生越家代表で参加してくれました。「ハッピー・アニバーサリー」の風船が掲げられ、記念写真を撮ってもらい、デービッドが重々しく抱えてきたプレゼントは、子供たちの発案でいろんな方々から送られてきたお祝いのメッセージや思い出の写真がいっぱい張られたアルバムでした。ずい分前から準備が始められていたそうですが、私たちは全く気づきませんでした。私たちの住所録やメールアドレスからいろんな方にお願いしたこと、返信をリンの図書館あてにしてもらったことなど、こっそりと準備した様子を聞いて、ただただ嬉しく、驚き・感謝でいっぱいでした。これから中身をゆっくり開いていこうと思っています。

どうぞ皆様お元気で。では又。

郁 子

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