一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第77便

2009・1・5

明けましておめでとうございます。

一朝にして物事が変わるというような、大変な世情の中で2009年を迎えることになりましたが、今こそ「不変・不動」のものに目を向け、足元をしっかり踏みしめて行きたいと思いを新たにしております。クリスマス直前は、身を切るような寒さで震え上がりましたが、その後寒さも緩み例年並みになりました。今年もよろしくお願いいたします。

76便を書いたのは11月でしたから、アトランタ便は久しぶりということになります。クリスマスにはたくさんのカードやお便りを頂き、それらが部屋の壁にはってあります。毎日、ポストを覗くのが大そう楽しみでした。今年は悲しいご挨拶のお便りも二つほどありましたが、喜ばしいニュースや、お元気な様子を伺い知ることができる一言のメッセージなどもあり、心和むシーズンを味わっております。

アメリカへ来て8回目のお正月を迎えました。3月31日で、移住して8年が過ぎたことになります。アメリカの生活に慣れたと同時に、今までは当たり前に考えていた日本のお正月行事についていろいろ思うようになりました。最近読んだ本の影響もあるのですが、日本の正月行事はユダヤの宗教行事と驚くほど良く似ているのです。そこで、「日本人の先祖はユダヤ人だった」というような本が何冊も出ていますが、一言で否定できない気持ちになります。日本人としては、どうしても特別な気分で迎えるお正月も、アメリカ人にとっては、普通の祝日とまったく同じくらいの日なのです。頼子の会社も、リンの図書館も休みは元旦だけ、マイケルとデービッドは教会のキャンプが元旦から始まる、ということもあって、我が家では大晦日にパーティーをすることにしました。忠信一家の他に山崎一家と邦子さんを加えて、おせちとおすしとお好み焼きという変わった夕食会です。やはりおせちが欲しい人、やはりお刺身が欲しい人、おすしと言えばアボガド、「かにカマ」だと言う人、子供の好きな物、と考えることがいろいろありますので頭を絞りました。幸い、お好み焼きは子供たちに大好評、おせちもお刺身も喜ばれました。みんな満腹で「年越しそば」は入らないかと思い、少なめにゆでたところお代わりを追加でゆでなければならないほどでした。朝9時から放映された「紅白歌合戦」を録画しておき、夕食後そろって見るのですが、今年はマイケルがじっと見ていました。「紅白」は見ているだけでも華やかで楽しいものですが、マイケルは3年生の時、半年ほど日本で筑波の小学校に行きましたので、まだひらがなと漢字も少し覚えています。字幕で流れる歌詞、意味は判らなくても読んでいたのかもしれません。最近は学校でスペイン語を習っていますから日本語より、スペイン語の方に興味があるのかと思っていましたが、私がリンとルーツの話をしていましたところ、ちゃんと聞き耳を立てて近寄ってきました。前の週に食事中、何世代前まで知ることができるのかと質問していましたし、興味がありそうなので、食事の後、別室でローマ字でまとめた系図を見せ、古い写真なども見せて説明してやりました。今、私が取り組んでいるのは、ダディーの母、数枝のルーツですが、リンも楽しみにしているので、なるべく早くまとめたいと思っています。マイケルの興味のもう一つはダディーの父、義雄が一橋大学のオーケストラを創ったことや、満洲で満鉄に就職してからも、その音楽活動で忙しかったことなどに関してです。いろいろ質問してきました。自分も音楽が好きで将来を考えている時でもあるからでしょう。アメリカは歴史の浅い国です。それだけ、古い話のあふれる日本のルーツには興味をひかれるのかもしれませんが、嬉しいことでした。これをまとめるのは、私の楽しい作業の一つです。古い昔にさかのぼっていろいろ考えていると、「何の意味があるのか」と思うこともありますが、私は今、「有限の世界」に生かされていることを強く思うようになりました。過ぎてみれば、「ほんのひと時」「消えてなくなる」今の生活だからこそ、すべてがいとおしく、大切に思われます。そして後悔のないように生きたいと思います。今年も与えられた新しいページ、大切に楽しく明るい色で書き込んでいきたいと思います。

実は暮れの29日に教会の方がなくなり、2日は葬儀でした。コカコーラに長く勤め、33歳の若さでアトランタ本社の部長に抜擢された方です。日本とアメリカのコカコーラで重要なお働きをされ、その後、アメリカのコンサルト会社の日本代表・CEOを勤めて引退、アトランタに永住されることになりました。葬儀には米国各地からも大勢の実業家たちが出席され、生前のご活躍が偲ばれました。人生で成功を収めた方と言えるでしょう。でも何よりすばらしいことは、神様の前に謙遜な歩みをされ「救い」を信じ天国に帰られたことです。最後にはお好きだった「アメージング・グレース」が歌われました。

いかなる恵みぞ かかる身をも 妙なる救いに 入れたもうとは

み国にいたらば いよよせちに 恵みのみ神を たたえまつらん

この葬儀の後、参会者の中で珍しい方にお会いしました。ご一緒にいらした別の教会の方にご紹介頂き、話しているうちにそのつながりが見えてきました。アトランタの日本人社会の中ではもう古い方ですが、29年前、駐在員として始めてアメリカに来る時、愛川町の石川医院で健康診断をしてもらったとおっしゃるのです。石川先生はとても、良い先生で・・・と懐かしんでおられます。どうやらその時、ダディーが、心電図をとり、胃のレントゲンを撮る介助をしたらしいのです。今も愛川町の春日台に家があるといわれます。不思議なめぐりあいでした。去年手術を受けてリハビリに励んでいる石川の里子さんも、名古屋の幹子さんも、順調に回復すれば、今年はもう一度、アメリカにおいでいただけると楽しみにしている事をお話しました。

それにしても、テレビで見る年末年始のニュースには心を痛めました。家族で帰省中の方々が火事で亡くなったとか、職を失い寝るところも無い人たちが何百人もいるとか、本当にお気の毒です。どうしてこんな事が突然起こるのか不思議に思えます。公園でお世話されている場面を見て、終戦後、上野の西郷さんの銅像周辺で教会関係の炊き出しのお手伝いをしたことを思い出しました。次々といろんなことが思い出されます。後になって、上野駅のあたりで、5歳の子供が一人で生きていたことを聞いた時には涙が出ました。あの当時、もし、母がそれを知ったら、きっと家へ連れてきただろうと思います。私たちは上海で中国人の「難民収容所」をやっていたのです。ただ、今の時代の問題は戦後のそれとも幾分違うようにも思います。今の問題は、働き盛りの方々で大人の方々。そして誰でもが、そんな身になるかもしれないといわれます。私だったらどうするだろうか、などと考えました。私だったら野宿を考える前に、きっと、お友達の誰かの所にお世話になるのではないかと考えました。転がり込んでご迷惑をかけるかもしれませんが、助けたり、助けられたりが友達だ、と頭に浮かぶのですがいかがでしょうか。きちっとした身なりのサラリーマン風の若い方が新宿駅の階段で寝ているのを見た事がありましたが、田舎も友人もなかったのでしょうか。アメリカの教会では、良く食料品、缶詰類を集めています。ダウンタウンには困った方が自由に持ち出せる「食品置き場」があるそうです。ほかのところには、救世軍によって管理されている衣類の置き場もある様です。教会には時々、「今特に必要なもの」としてスパゲッティーとか、粉ミルクとか書いてあります。私は若い頃、寒い青森の道端で物乞いをしている方に、手袋をあげたいと思いながら勇気が出ない自分に情けなくて悩んだことがありました。子どもの頃には母に命じられて、道端に三角テントを張って物乞いをしていた人に何回か食べ物を届けたことがありましたのに。でも、同時に戦後、何もなかった時代に父が連れてきた「困っている方」が10日くらい一緒に生活していたのに、ある日、わずかな家財をもっていなくなったり、なけなしのお金を持って行かれてしまったりしたのも覚えています。私自身も何回かそんな体験をしてきました。今の時代は、誰でもを無条件に受け容れることは難しいかも知れませんね。せめて自分の周りの方々の困難を見逃さないように、出来ることをしていきたいですね。アイダホのフェーデル先生御夫妻はよく施しをしておられましたが、あるときは、ホームレスの方の汚れた衣服を持ち帰って洗濯、アイロンをしてあげた、ということを目撃した方から聞きました。それを聞いて「それなら、お金か品物を上げる方がまし」とひと言で言われた方がありましたが、本当に自分の心を探られるような思いを経験しました。

4日、ノークロスの教会で今年最初の聖日礼拝に出席しました。近くのちやさんが3,4人の方の助けを受けて、たくさんのオセチ料理をつくって差し入れてくれました。自分で作ったものとは、また違って美味しく頂きました。ご主人を送られたばかりの西本幸子さんも来ておられましたが、これからのご生活のために元気を出していただきたいと思っています。

私は、8日が来ると74歳になります。今年は、昨年とは違う生活、もう少しゆっくりした生活が待っているように思います。手芸ではやりたいことがたくさん保留になっていますので、時間ができるのも楽しみです。ただ、料理に関しては少し舌が鈍くなったような気がして自信を失いつつあります。まあ、神様がどんな生活を計画していて下さるのか楽しみです。忠信家の子供達も大きくなり、二人とも運転の練習を始めています。マイケルは秋から高校3年になりますが、一部の科目を大学で勉強することにして、自分で運転して行動するようになるそうです。私たちの助けもだんだん不要になることでしょう。

皆様のご健康、ご祝福お祈りいたします。                

郁 子

忠雄と郁子へメールを送る

アトランタアドベンチャーに戻る

日本語玄関に戻る