一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第78便

2009・2・25

日本からの「梅便り」を懐かしく聞いております。寒さも峠を越えたと思いますが、インフルエンザが流行しているとか、皆様いかがお過ごしでしょうか。昨年の今頃は日本でした。早いなあ・・・と思っていますが、先日テレビで、ある有名な方(名前を聞いたのですが思い出せません)が「時は流れない」と言われたのを聞いてびっくりしました。どういう意味でおっしゃったのか気になっています。もし、永遠という次元の神様の目から見たら全体が見えるから「流れない」とも言えるのかな、と少々混乱気味です。昨晩は脳科学の番組に「森林を生き返らせる」お仕事で日本一の方がお話をしていらっしゃいました。何十年、何百年先にしか結果を見られないお仕事ですが、結果が見られないのをどうお考えですか、と尋ねられ、「瞬間、瞬間のつながりですから」と答えておられました。時間というものの捕らえ方はいろいろだな、とあらためて考えさせられました。11日は妹の誕生日でしたが、妹たちが還暦だ、古希だと言われると、自分の年とは関係なく感無量なものがあります。14日のバレンタイン・デーはアイダホで闘病中のフェーデル夫人の84歳の誕生日でした。先生にお祝いのお電話をしましたが、病状としては、同じような状態が続いているようです。ここしばらくは判らないことが多いとか・・・、でも、それは周りの者に判らないということで、ご本人は、子供を待っていたり、孫を捜さなければ・・・と思ったり、頭の中で忙しく動いておられるようです。今までお会いしたご病人は、たいてい自分の苦痛に耐えながらぐったりしている方が多かった様に思いますが、珍しいご病状のように思います。でも、とにかく、痛みも苦しみもない事を嬉しく感謝しました。先生もちょっとお腹の具合が悪いくらいで、風邪にもかからず感謝しておられました。長男のスティーブも骨癌でアイダホに来ていたのですが、一連の化学療法を終えてミネソタに帰ったとか。治療の効果はかなり上がって、2本の松葉杖をついて歩けるようになったそうです。16年?前に離婚して先生たちの大きな悩みでしたが、この病気がきっかけになって、二人が神様の前に自分が悪かった、と悔い改め新しい生活を始めていることを本当に喜んでいます。今度の検査の結果によって結婚式ができそうだということですが、ミネソタには彼女ナンシーのご両親もいて協力してくださっています。ただ弟さんがこの不況の中でパイロットの仕事を失ったということで祈らなければなりません。同じ骨癌でみんなに祈ってもらったグレース・ネットランドは、まだ完治というわけではありませんが、すっかり顔色も良く、髪の毛も生えてきて元気そうになりました。12月にはユタのお姉さんのところに行ってお正月を迎えましたが、一度はスキーもしたそうです。生の魚、お刺身も食べてよいといわれ、先週、一緒におすし屋さんに行きました。今や癌は治る病気だと言われますが、本当に目の前ですばらしい効果を見せられて驚いています。

アトランタは今年とても寒い冬になっています。武田家では水道管が凍結破損したため大変な目にあっています。私は少し痩せたためかも知れませんが、ことさら寒さを感じるようになって、襟巻き、コートが離せません。そればかりか、どこへ行くにももちろん車なのですが、その車の中が温まるまでが我慢できなくて車の中専用の「角巻き」を作り、毛糸の帽子、襟巻き、手袋と一緒に備え付けておき、乗り込むと同時にくるくる巻きになっています。といっても、あと少しでしょう。1月は特別な事も無く、のんびり過ごしました。「歴史的な大統領の就任式」はしっかり、テレビで見物しました。大統領初めての演説を息を呑むように聴いている人たち、本当にこれからに期待する人々の気持ちが伝わってくるようでした。不況といえば、ピーチツリーシティー教会の大林ご夫妻は、昨年私たちの金婚式と同じ頃、みんなの協力で「結婚式」を挙げた方です。その後、牧師夫人千穂さんがリンパ癌で大変だった時、大きな力となってくれましたが、今回の不況で仕事を失ってしまいました。他の仕事も見つからず、23日帰国なさいました。仕事がなくなって時間ができたということで、ウェストミンスター教会の千尋さん(難病の子愛子ちゃんのママ)の詩集「君は愛されるため生まれた」の朗読会をピーチツリーシティー教会で開いてくださいました。スライドとコーラスつきのすばらしいプログラムで大変好評でした。大林さんたちは日本で演劇をやっていたのだそうです。22日にはウェストミンスター教会でも再演していただき、三つの教会の牧師たちも勢揃いすることができました。

2月は忠信の出張も多く私たちは大半をアクォースで過ごしています。11日から20日までは何と忠信の出張は中東のカタールでした。もちろん数学教育研究会に招かれたのですが、あまり知らなかった国の様子を聞けて興味深く思いました。カタールの人は国からお金をもらっているので働かなくてもいいとか、エー??というような話もありました。今は豊かな天然ガスという資源で支えられているようです。でも、やがて資源が無くなれば・・・やはり先を考える方々は「頭脳を使って勉強」と考えているようです。留守家族の方も高校が一週間休みなので、マイケルは自動車学校に通い、デービッドはインディアナ州のおばあちゃんの所で従兄弟のエディーと過ごしました。インディアナまでは10時間くらいかかりますが、前の金曜日、デービッドの下校を待ってリンが送り届け、次の週にはマイケルを乗せて迎えに行きました。本当に若さあればこそです。私たちはマイケルの自動車学校通いや食事の世話で隙間をつないだだけです。

11日、シカゴから同窓の尾崎一夫さんがお見えになり、楽しいひと時を持ちました。エクアドルのキトーで長い間、短波放送「アンデスの声」を出していらっしゃいましたが、今はシカゴで娘さんご一家と一緒に暮しておられます。私たちは昨年の大旅行の途中、寄せていただきました。地下にスタジオを作られて、今も週一回オーストラリアからの放送を続けていらっしゃいます。今年は日本にキリスト教(プロテスタント)が伝えられ、宣教師たちが上陸して150年の記念の年に当たっています。牧実と私は特に「宣教師たち」とのかかわりが多い、ということで「そんな話」を聞かせて欲しいといわれ、食事の後、簡単なインタビュー形式であれこれお話させていただきました。古くは最初の宣教師、ジェームス・バラ博士に私の曾祖父の妹川口くにが導いていただいて信仰を持った話、日本で最初の横浜海岸教会に続いてできた三島教会にかかわっている親戚たちの話、そしてバラ博士の孫にあたるマカルピン宣教師と亡くなられるまで長いお付き合いがあった武田恒義さんたち、そして、1951年頃、マッカーサーの要請で日本に大勢の宣教師たちが送られてきた時、軽井沢へ引っ越してそのお世話役をした父生越実造、その前に自分自身が日本から中国へ送られた宣教師だった生越家で、私たち姉妹が見た中国人の教会、終戦後の生活、引き上げ後の日本で感じたこと、日暮里の四畳半の物置で始めた開拓伝道を助けてくれた戦争未亡人のドーリス・クリスマス宣教師との出会い、軽井沢から出て行った宣教師たちによって「いのちのことば社」「太平洋放送協会」「東京キリスト教学園」などなどが作られていったこと、そして、軽井沢から母が、そして父が天国に帰った時、宣教師たちのして下さったことなどなど。まだまだ語り足りない多くのことがありますし、話せばきりがないことでしたが、その「ほんの一雫」を時間の許すところまでお話しました。考えてみるとこの150年は三つの50年に区切れるようで、私たちが卒業し、働き出してからは三つ目の50年に当たるように思います。尾崎さん自身が「稀有な話」を聞かせてもらった、と喜んでくださいました。尾崎さんとは同窓ですから多くの共通の友達がいます。あの方、この方、と話が出ましたが、みんながさまざまな困難と闘いながらそれぞれの「50年の歩み」を持っていることを覚えて感動でした。感動を覚えた後は尾崎さんの「料理」談義??で大笑いしました。奥様の久子さんが亡くなって、食事はキトー育ちの娘さんがアメリカ風の食事を用意してくれるものの、どうしても、日本食が食べたくなるようで、お昼には一人でいろいろ本を見たりしてやってみるけど、おいしくできないとのこと。聞いてみるとあまりの「料理オンチ???」で言葉も出ないほど。本当にまったく料理に手を出さなかったのが良く分りました。砂糖が足りないのか塩が足りないのかも分らないそうです。難しいかどうかも分らないので「簡単なもの」という考えはないみたいで、食べたいと思うものに挑戦しているようですが、怖いもの知らずと思えるほど。のり巻きに挑戦したものの、ご飯にお酢をかけて、うちわで仰いで「すし飯?」出来上がり・・・。ご飯を少しおいて沢庵をおいてのりの向こうの端は切手と同じようにつばで濡らして、くるっとまくけど、海苔が渦巻きみたいになって、沢庵は中心に行かないし、はがれてくる・・・とおっしゃいます。それでも、知り合いのパーティーに持っていったらみんな「おいしい」って言ってくれた、と言われます。散々笑った後、恒義さんの出した結論、何を作ってもおいしくないのは「一人で食べるからだ」。最後には私たちもその意見に同意しました。(私は後で、簡単な手ほどきメモを作って送ってあげようと思っていますが・・・)時間があればいろいろ食べさせてあげたかったのですが、すぐに次のご予定地に出発されました。

今年は大リーグのアトランタ・ブレーブスに中日から川上憲伸投手が入り話題になっています。食べ物に関して言えば、今年はおいしい栗、おいしい柿、おいしいかぼちゃなどがかなり長期間並んでいて喜んでいます。ダディーは新しく日本語の分る床屋さんもできて喜んでいます。今週は週末28日、早朝に出発、久しぶりですがサウス・キャロライナ州のビューフォートの集会(土曜日午後)に出かけます。帰りは暗くなるまでドライブして一泊、翌朝、アトランタの1時間ほど手前に当たるピーチツリーシティーの礼拝に出るのも楽しみです。皆様どうぞお元気で。                

郁 子

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