一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第79便
2009・4・7
早いもので今年も4分の一が過ぎてしまいました。皆様いかがお過しでしょうか?
どうもアトランタと日本とは、お天気の移り変わりの波が似ているように思われます。春真っ盛りのニュースが流れていたと思うと、一転して咲き始めた花も縮みあがるような寒さに見舞われているなど・・・・・・こちらもまったく同じような具合で、その変化の周期までがそのままなのです。真っ白な「ハナナシ」「辛夷(コブシ)」は終わって、サクラは葉桜になり、「はなみずき(ドッグウッド)」が白もピンクもソロソロ花盛りです。面白いのは日本ならまだまだ早いと思われる八重桜も、気の早い「藤の花」や「百日紅(サルスベリ)」も一部では咲き出して「いっぺんに咲く」というアトランタの春を見せています。そろそろ忠信と畑の「苗」を揃えに出たいなと思っていましたら、今日からまた「寒波」が来るということです。「八重桜が咲いたらよい」という日本の「植え時」常識は通用しないようです。そればかりでなく、雨、小雨、曇りと続いていますので、もうちょっと「本当の春」を待つ気持ちでおります。
前のアトランタ便を書いた2月の末から3月の半ばまでは予定が詰まった日々を過しました。2月22日のウェストミンスター日本人教会であった詩の「朗読会」の時、挨拶に起った牧師(恒義さん)の様子が少しおかしいので心配していました。翌日病院に行ったところ「肺炎」とのこと。電話では牧実も風邪にやられてフラフラしている様子。周りの方々がいろいろ気を使ってくださっていますが、私たちも簡単に食事ができるような物を抱えて見舞いによりました。幸い高い熱があるわけではないのですが、咳がひどくて話をするのが大変そうで礼拝のために祈らされました。検査では入院かどうか?ぎりぎりの線だったそうですが、とにかく入院はせずに帰されたことを感謝しました。
私たちはその土曜日28日にはビューフォート(サウスキャロライナ州)の集会に行く予定でしたが、直前にメンバーのお一人が亡くなられたのでキャンセルになりました。でも、前からその帰りには寄ると予告してありましたので、3月1日の礼拝は、1時間半かけてピーチツリーシティーの教会に出かけました。「午後は雪」と言う予報でしたが、礼拝中から大きな雪が降り出して昼食後の帰り道は青森、軽井沢を思わせるような銀世界、降り続ける雪の中を走りました。教会で北海道出身の小池さんというご夫婦に初めてお会いしましたが、降り積もる雪に「懐かしい・・・・・・」を連発していらっしゃいました。私たちも思わずはしゃぎたくなるような嬉しい一日でした。
翌日、恒義さんの様子を伺うと礼拝ではちゃんと御用ができたということで安心しました。しかし、日本からのお客様が11日水曜日には到着され、15日日曜日の午後には「チャペル・コンサート」、続いてサウスキャロライナ州への伝道旅行と行事の予定が続いているので心配している様子です。頼まれた買い物をして行ってみましたが、夜の咳が相変わらずでした。何とかお客様の到着される前に治まる様に願いながら帰ってきました。お客様は三浦綾子さんの初代の秘書をしておられた宮嶋裕子さんで、前回は三浦光世さんの秘書としてアトランタに来ておられます。今回は娘さんのジャズピアニストみぎわさんも合流してコンサートを開いてくださることになっていました。飛行機が遅れて夜中に到着されるなど、大変でしたが、すべての計画が祝されて喜んでいます。
その前、私たちは13日の夜久しぶりにグレースが自宅で「しゃぶしゃぶパーティー」を開きたいというので、「のり巻き」や「いなり寿司」を持って参加しました。実は一番上のお兄さんジョイ一家が来ていたのです。私たちも楽しみにしていたのですが、奥さんのお母さんの具合が悪くなられたそうで、急遽、ユタ州に帰ってしまわれました。そこで、用意された「ご馳走」のために誰か呼び集めなければ・・・ということになりましたが、何しろ、直前のこと、それでも、グレースの友達が二人来て日本食を楽しんでくれました。(聖書にある、神様の用意してある恵みの宴会に、招かれた客が来ないため、道に出て人々を招くと言う、話が思い出されました。)そのお友達の一人は、職場が頼子の職場と同じビルの中にあることが分ってびっくりしたことでした。翌日は青年の集会、AJCFでした。長いこと家を開放して応援してくださった川田さんが、やがて帰国する時に備えて、大きな家を売って借家に引越しをされましたので今は中国人のリーさんの家でやっています。30〜60人集まるのですから大変なことです。川田さんたちは毎回大量の食事を用意してくださいましたが、今度は食事も「持ち寄り」の原則でやっています。私たちも前回は「牛肉ずし」と「沖縄もち」を持って行きましたが、今回は忙しかったので、サムズ・クラブ(大包装品の会員制スーパー)で買った冷凍のマカロニ・チーズをオブンで焼いていきました。今は若者のリーダーたちが計画を立て、プログラムを組んで自主的にやっています。各教会の牧師たちは見守りながら祈り支えています。私たちももうしばらくかかわっていこうと思います。
恒義さんの肺炎は、行事に間に合うように治まりましたが、すっかりレントゲンで「治癒」と言われるまでには一ヶ月近くかかりました。ところで、この「肺炎」ですが、わたしの考えていた「肺炎」とはずいぶん違うように思います。それにしてもこちらで入院すると一日三千ドル(三十万円)と言われます。保険が無いものにとっては大変なことです。実は3月半ばからダディーが同じ様な咳が続くようになって「これは肺炎だ」と思ったのですが、ちょうどかかりつけの倉岡先生が帰国でお留守でした。代わりにはアメリカ人の先生がいらっしゃるのはわかっていたのですが、「自宅入院」態勢で過すことにしました。はじめは日本からの風邪薬を飲んでいましたが、ダディーは効き目を見ながら薬を切り替えていました。2,3回病院へ行くことを勧めましたが、本人が行かないと言いますし、「病院は菌がいっぱいだから、帰ったらスグ手を洗ってね」と先生がいわれたことも思い出し、じっくり様子を見ることにしたのです。夜の咳では私も寝られない時もありましたが、3週間たってどうやら治まってきたようです。ちょっとした症状でも病院に駆けつけられる日本と違って、自分で考えなければならないことも多いようです。ここしばらくは出歩くことも少なく、普段から静かな私たちの生活も一段と静かになりました。私は押入れから取り出した布で洋裁に励みました。以前、厚木でバザーをした時に、隣の方が売っていた「グリーン」の布が気に入って買ってあったのですが、10年たってやっとツーピースに仕上げることができました。そのほかにワンピースを一つとブラウスを2枚作りましたが、手元のハギレは増えるばかり、そこで、今考えているのは、クリスマスまでにプレゼントにできるような小物を作りためて行こうということです。
話が戻りますが、15日のコンサートがあった日、私たちはノークロス日本語教会の礼拝に出席して、午後ウェストミンスター教会のコンサートに行く予定でした。その、ノークロス教会の食事の時間にニューヨークからアトランタを訪問しているご婦人とお会いしました。前の晩にAJCFでお見かけしたのですが、挨拶するチャンスが無かった方です。午後の時間が空いているとおっしゃいますし、夏のキャンプの講師に来ていただいた立石先生も良く知っていらっしゃるとのことでしたのでコンサートにお連れしました。教会についてびっくりしたのはニューヨークから引っ越して来られた今村さん一家が喜んで迎えてくださったことです。お子さんの幼稚園の先生だったとか。そういえば、立石先生たちも今村家に泊まられる特別な関係だったと思い出しました。とにかく、ご本人がコンサートを喜ばれただけでなく皆さんにも喜んでいただけてよかった、と思いました。この方がアトランタに来られた目的が「シューズ・ボックス」プレゼントの会議のためだったのです。つまり、毎年クリスマスに、「シューズ・ボックス」(靴の箱)に自由につめた贈り物をいろいろなところに分配する働きをしている団体なのです。昨年も頼子が「シューズ・ボックス」にプレゼントを詰めているのを見ていましたが、そのために団体があることは知りませんでした。そんなことで私も何かできたらいいな、と思っています。夕方には宿舎までお送りしてお別れしました。
ダディーがダウンする前、18日には久しぶりに我が家にお客様を迎えました。大妻女子大学の教授を引退された尾上さんが、孫の愛ちゃんのお世話をするために永住権をとって越していらしたのです。奥様の多美子さんは少し前から来ていらっしゃり、ご主人も時々来ておられたのですが、やっとの思いで日本を引き上げられたご様子。どこにも出かけず、まだこちらの生活になじめないでウツウツとしておられるようです。ダディーとは通じ合うものがあるようで喜んで下さるそうです。この日はご夫妻とエミさんが来られました。私たちのごちゃごちゃした部屋が気に入られてすっかりくつろいだ時間を楽しんでくださいました。私たちも、そのうちまたと楽しみにしています。
いよいよ受難週。来週はイースターです。日本各地の教会を思い浮かべながらそのお働きのため、ご祝福を祈っています。北朝鮮の人工衛星問題。日本に大きな影響が無くてほっとしています。皆様お元気で。
郁 子