一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第81便
2009・7・21
皆様、いかがお過ごしですか?今年も半分過ぎてしまいましたね。昨日教会で「夏休みも終りですね〜」と声をかけられました。日本ではやっと夏休みに入ったばかりですね。でもマイケルたちの学校は8月3日から、他の学校も次々始まる時期になっています。子供たちは6月7月と長い夏休みでしたが、教会でのキャンプ、学校でのバンドのキャンプ等など、結構忙しい夏でした。我が家では本当に暑くなるちょっと前でしたが、6月7日、エアコンが故障し修理に来てもらったのですが、何か取り寄せる必要があるとかで4日間、クーラー無しの寝苦しい夜を経験しました。夕方キッチンで火を使うと温度が上がると思い、朝のうちに家事を済ませ、夜は外食というサバイバル生活。後で忠信には、うちの方に来ていればよかったのに、と言われましたが、いつもとちょっと違う生活も面白かったです。もちろん、その後は「エアコンのありがたさ」が身にしみたことでした。
6月13日、ダディーの誕生日は圭三さんたちといつものレストラン「春一番」に行きましたが、着いてみると小部屋には、忠信一家も顔をそろえていました。みんなで楽しい食事の後、全員からということで、「GPS(カー・ナビ)」を贈られました。またこれを使って知らない所へでかけ楽しませてもらおうと思います。ダディー81歳の全員記念写真も撮りました。
15日からは再び武田夫妻と共に、今度はサウスキャロライナ州のオーガスタ、フローレンス、コロンビア、チャールストンへの伝道旅行に同行しました。4箇所とも、本当に何年ぶりかのことでした。懐かしさとともに、月日の流れの速さを実感させられました。長いドライブ道中でしたが、私と牧実は子供時代のことなど話がつきません。武田家の子供たちもこのごろ、親たちの昔話を聞きたがる様になっているようですが、昔のことは二人の記憶を合わせるといろいろ新しいことまで分ってくるので面白いです。各地の訪問先では皆さんに歓迎していただき、楽しい旅でした。
6月は忠信が夏期講座を持っていて家にいるため、私たちが留守番(主に夕食つくり)に行く必要は無かったのですが、庭の手入れのために2日ほど通いました。大変な暑さが続き、畑は乾燥していましたが、私にはまだ保水のための「土管理」が良く分らず、苦心しています。日本なら腐葉土を混ぜればと思うのですが、似たようなものを見つけることができません。でもこの後のことも考えて、鉢のものには根元に落ち葉をたくさんかけてみましたら少しは効果があるようでした。ところで私たちの健康面ですが、私は相変わらずです。ダディーも6月は誕生月ということで診察と血液検査を受けました。昨年の4月には54000だった血小板が、11月は61000とわずかながら増えていました。今回はちょっと減って57000ですが他に異常は無く感謝しています。聴力が補聴器の老朽化もあってかなり低下しており、新しい型に買い替えを検討中というところです。
6月28日、ダディーはウェストミンスター教会で説教の御用をさせていただきました。最近発声が難しくなってきていて「クワイヤーの引退」も考えているようですが、この日はとてもはっきり聞きとりやすくお話ができたと牧実に言ってもらって喜んでいます。
翌日29日から一週間の予定でアトランタから川田みよ子さんと勇内喜久子さんがオレゴン州に高橋和子さんのお世話に出かけました。2週間の放射線治療が終わったところで、更にこれを続けるか、何時日本に帰るかなど不確実状態の最中でしたが、とにかくお二人が行くことになり感謝して送り出しました。1週間で帰られての話では、和子さんの体調を見ながら持ち物の整理、手紙類の焼却などを手伝い、それまでは食事がほとんど食べられない状態でしたが、注文を聞いて作ってあげたりしてきたそうです。7月末ではなく15日に帰国することに和子さんも同意されました。日本人教会でも12日のコンサートに合わせて「お別れ会を」と言っていたのを早め、5日に「送る会」を開いてくださいました。しかし、日一日と急激に体力が落ちはじめました。アトランタの益田さんがビジネスクラスで同行、送り届けると申し出て下さっていましたが、この状況では、もっと早いほうが良いというので切符を探したところ10日の便が手に入りました。日本側ではバンで迎えに出る予定だったようですが、寝台車(福祉タクシー)の手配を頼んだようです。すでに立てなくなっていました。飛行機の中も心配しましたが、トイレに一回起きただけで、あとは薬で眠っていたそうです。とにかく無事?日本に送り届けることができて良かったと思っています。これからについては、いろいろ考え方に食い違いがあり、問題がありますが、結局は日本側にお任せするしかないと思っています。「アメリカでは患者本人の意思が一番大切にされる」と聞いていましたがそれを改めて実感させられています。ここまで書いたところに情報が入りました。『22日に和子さんの希望しているホスピスの面接が行われ、本人は行くことができないので、「支える会」の運営委員長・辻本先生が赴いて下さり、アメリカでの診断・検査の資料に基づいて入所が認められました。ただ2,3か月の待機は仕方の無いことでしょう。』
今年の夏は、久しぶりに7月3日(金曜日)からのフロリダ行きに、忠信たちもみんなでそろって行くことができました。といっても忠信は夏季クラスを教えているので参加は週末だけ、リンも次の週にはシカゴで大きな会議があるとかで、5日の日曜日には、夕方の礼拝に間に合う様にと、朝9時には帰らなければなりませんでした。まず3日は朝7時に出発。3時頃ペンサコーラについて「魚のえさ」を探しに入った店で忠信たちとうまく合流出来ました。一緒に予約してあったコンドミニアムに入りました。何しろ6時間かかるので「着いた日の夕食は外食」と決めてあるのですが、ただ一軒のレストランは大混雑、待ち時間が1時間半と言われ、それではと宿に戻って持ってきたラーメンにしました。さて中一日では釣果の味を楽しめるかどうかと案じられましたが、嬉しいことに大きなアジが充分釣れて二日目の夕食には期待通りにフライとお刺身を並べることができました。独立記念日のこの日は9時から花火が打ち上げられました。今年の宿はつり用のピアを目の前にした建物の12階ですが回りに高い建物の邪魔が無く、すばらしい眺めを楽しめました。部屋の窓からは朝夕に色が変わる海、たくさんの船が見えます。私は朝、夜明け前の夜景から雲の色が赤く染まるすばらしい時間を楽しませてもらいました。8日には空軍の航空ショーが行われ、つりのピアも午前中は閉鎖されていました。私たちはそこまで出かけませんでしたので、有名なブルー・エンジェルスなどを完全には見られませんでしたが、いくつかの編隊飛行など見ることができました。これはおまけのようなことでした。今回は圭三さんが期待していた大物は釣れなかったのですが、毎日アジがたくさん釣れ、充分食べて留守を頼んできた方にお土産まで持ち帰ることができました。連れなかった者は無くみんな何匹か釣りましたが、特にデービッドが大活躍のヒーローでした。
釣りからは9日(木曜日)に帰って来ましたが、日曜日の礼拝の後は忠信の家の方に行きました。子供たちが夏休み最後の行事で、デービッドは教会のキャンプに、マイケルは学校でマーチング・バンドの後輩指導?ということでそれぞれの時間に合わせて、送り迎えのお仕事がありました。リンは火曜日にシカゴから帰ってきましたが、シカゴのムーディー聖書学院から電話をかけてきました。学校の古い記録の中に「生越のおじいさん」在学の記録を探していて、その年代を聞いてきたものでした。1924年から26年の在学記録を見つけられたけど写真は無かったといって帰ってきました。
今週は土曜日(25日)にAJCF、青年の集まりです。いろんなことで2回休みましたが、今度は南部の料理だという「チキンバーグ」(チキンとソーセージのご飯)にチャレンジして、それを持って参加してみようかと思っています。今回はリーダーの一人中久木貴君の家であるのですが、この家には「ビワの木」があります。ノークロス教会婦人会のメンバーでもあるお母さんに前から頼んであった種を下さるというので、蒔いてみようかと思っています。何かの木に接木をしたほうが早いかもしれない、とも言われていますが、とにかくまずは種をまくことを考えています。種と言えば、昨年日本へ行ったとき愛川の里子さんが「ロウバイ」の種をくださいました。地味ですが春一番に咲く日本の好きな花です。すぐに2本の芽が出たのですが、それが「ロウバイ」の新芽かどうか分らずに半信半疑でいましたが、今年になって7,8本出てきたのでこれは間違いないだろうと思います。最初の1本はもう70センチくらいになっています。何年くらいで花が咲き始めるのか楽しみにしています。5,6本はちゃんとした苗になりそうですから欲しい方に差し上げられるのではないかと考えています。
来週は金曜日(31日)からウェストミンスター日本人教会のファミリーキャンプが始まります。120人を超す方が参加されます。最初の夕食は各地の皆さんが持ち寄られた物を分け合って頂きます。私は昨年青森で教えてもらった「ビール漬け」を持って行こうと思って漬け込みました。この時期日本のバイブル・キャンプも懐かしいです。
猛暑や、豪雨と大変なお天気ですが、お元気でお過ごしください。郁 子