一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第84便
2009・9・12
本日、9月12日葬儀にかかわるすべてが終了しました。
10日のビューイング、には大人62名、子供5名の署名がありました。(実際は70名以上)
5時から7時が皆様にご案内した時間でしたが、私たちは、3時から行っていました。ウェストミンスター教会の婦人会、川田さんが中心になって軽食、スナックが用意されました。聖歌隊の方々は急遽練習に集合していました。ビューイングのお部屋は12個の花かごが飾られ、ダディーの回りはお花の香りでいっぱいでした。一番近くには白百合、白菊、など白い花でしたが、その周りには明るい花がいっぱい飾られました。ダディーはお気に入りの白百合のネクタイ、この前帰国した時に妹の里子さんにプレゼントしてもらった、明るいスーツ、ベルトや靴まで履いて顔も傷が分らないほどきれいに自然に整えられていました。本当に眠っているようでした。部屋の中のあちらこちらに写真が立てられており、テレビ画面にはついこの間 、ダディーがハーモニカを演奏したときの写真などが次々に映し出されていました。金婚式のアルバムもありました。音楽好きのダディーを偲ぶため、愛用していたアコーディオン、ミュージック・ソウ(のこぎり)ハモニカ、フルートなども飾られていました。昨年の秋の釣り旅行で、釣りあげた魚と一緒に撮ったご機嫌な写真もありました。ダディー愛用の釣竿も飾られていました。勿論、伝道者としてスタートした頃の天幕伝道の写真もありました。おいでになった方々は、多くの方がゆっくりとダディーに語りかけたり、写真を見たり、食堂でおしゃべりをしたり、長い時間いてくださいました。教会関係の方々は勿論ですが、日本クリニックの先生や看護婦さんたち、日本語学校の校長先生はじめ何人かの方、ご父兄の方、そしてリンの図書館関係のアメリカ人の方々、頼子の今の会社の方々、更に前の会社の方まで来てくださいました。
11日葬儀は1時半からでした。
司式をお願いしてあった酒巻先生は修養会に続いて大変だったことだと思いますが、本当に細かくご配慮、ご準備いただきました。アメリカ人の方も大勢こられるので、式自体は日本語と英語の両方で進められましたが、説教については前もってまとめていただき、忠信が翻訳して英文をプログラムに挟むかたちをとりました。ウェストミンスターの聖歌隊は平日ですから少なくても仕方がないと思っていたのですが、多くの方が、会社を休んでまで参加してくださいました。ビデオを両方の教会で一台づつまわしてくださり、アッシャーはノークロスから、受付はウェストミンスターから出てもらいました。聖書の朗読は日本語をピーチツリーシティー教会の宮崎牧師、英語は孫のマイケルとデービッドが半分づつ朗読しました。武田牧師には親族として思い出を語ってもらいましたが、その中で、特にこの夏のキャンプでダディーに導いてもらったと言われる熊本大学から留学中の西本医師が、最後の実になる様だと報告をいただきました。
思い出は、他に両方の教会から代表の方に短くお話をお願いしました。本当はもっといろいろな方がいらっしゃるのですが、時間の関係で仕方がありませんでした。それでも、多くの方が、すばらしい葬儀だったと感想を述べてお帰りになりました。
12日火葬
9時に葬祭場を出発、家族だけが同行できました。1時間半ほどついてドライブしましたが、扉が閉められるところまでだけです。
こちらの火葬は8時間もかかるとか、しかも、その後、一日置かなければならないと言うので大変です。私たちは日本へ持ち帰るために小さな素敵な箱を用意しました。
お骨と言うより、灰の一部を頂いて帰ります。
ところで、日本での会が決まりました。
「告別式と偲ぶ会」
日時 10月30日(金)午後1時〜4時
場所 松見が丘キリスト教会(辻本牧師)
東京都町田市玉川学園 8−21−4
小田急線玉川学園前駅
042−725−5269
私は10月21日には日本につき、12月2日まで滞在します。
予定としては10月25日は、主人の母教会である名古屋の一麦教会に出席、ご挨拶させていただきたいと思っています。また、10月31日には土浦めぐみ教会の納骨堂に納めさせていただき、11月1日はそこで礼拝を守らせていただきたいと思っています。忠信と頼子は告別式の前日ついて日曜の午後の便で帰ります。
その後のことは、未定です。
日本に着いたら携帯電話を借りますが、番号はつくまでわかりません。
分り次第、その番号は次のところで分るようにしておきます。
神奈川県愛川町 義妹 石川里子(0462−85−2893)
東京都中野 妹 生越維子(03−3384−1603)