一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第85便

2009・12・5

12月2日、小雨が降るアトランタに帰ってきました。日本は快晴、暖かな日でしたが、アトランタは5度だそうで寒さに震え上がりました。

主人の遺灰を小さな箱に詰め、日本に向かったのが10月20日、一ヵ月半の旅でした。

それにしても、あらためて私のことを案じてくれている方、気遣ってくれている沢山の友人が与えられていることが思われて、幸せだなと思うと同時に神様の深いお恵みだと感謝しています。日本に着いた翌日は、死亡届や保健の事のため役所まわりで過ごしました。そして次が第一の目的、「告別式・偲ぶ会」の打ち合わせです。日立から佐藤先生も出てきてくださると言うので「新宿西口交番前」で待ち合わせ、「新宿の穴場」と私が名付けているうなぎやさんで美味しいうなぎを食べてから玉川学園前に向かいました。斉藤淳一さんのご好意でプレゼントされた主人の写真も届いていました。ここで話し合ううちに辻本先生が、これから行こうとしている大和高田一麦教会の小西啓子先生とは、お母様が啓子先生の幼友達で、その息子さんであることが判明、さらに「故人紹介」をお願いしてある近藤秀夫先生とは松原湖のバイブルキャンプ時代の顔見知りであることが分かりました。それも、ヤサイなどを納める側とキャンプの責任者、牧師としてのつながりだったとか。さらに辻本先生は昨年この教会に転任されて来る前十年間、私たちとは大変縁の深い青森で働いていらしたそうで、共通の話題、知人の名前がぽんぽん飛び出す有様で本当に驚きました。

打ち合わせを済ませ、後をお願いして厚木の石川家に向かいました。里子さんは主人のすぐ下の妹です。一番長く一緒に住んだ姉妹です。ここを出てアメリカに向かう朝「兄をお願いします」と言って送り出してくれました。今度の帰国で顔をあわせるのが一番辛く、同時に一番早く会いたいと思っていました。案の定、二人とも涙が先になってしばらくは話せませんでした。でもやはりこれでよかったのだと言う所に落ち着いたのです。翌日は、河野先生の診察を受け、お薬を頂いて名古屋に向かいました。名古屋では、幹子さんに迎えられ大好きな「鳥榮」で夕食を済ませて帰りました。 翌日は主人の母教会である一麦教会の礼拝に出席。礼拝の後、ひと言ごあいさつさせていただくことになっていました。いろんな方とご挨拶していると岡崎の古い友人梅沢晴美ちゃんの顔が見えてビックリしました。30日に行かれないから、と駆けつけてくれたのでした。

これも古い友人の加藤京子さんにお昼を御馳走になり、昭和橋教会の木下先生をお訪ねしました。式でのことをお願いして帰宅。翌日は朝早く奈良の大和高田に向かいました。主人が天幕伝道の学校時代、ここでの開拓にかかわらせていただいたご縁がありました。小西先生も昨年召されていて今は啓子先生ががんばっていらっしゃいます。お話しているうちに同じ頃、献身して一麦教会でご一緒だった吉田敦子さんが近くの老人ホームに入っていらっしゃることが分かりましたので、お話を切り上げてそちらに伺わせていただくことになりました。主人とはけんか友達だったそうですが尊敬もしていたのよ、と言ってくださいました。夕方には、岐阜の松井家に到着。久しぶりに敏子さんとおしゃべりを楽しみました。翌日愛川に帰りましたが、30日までに、中2日ありましたので、ご挨拶の意味もあって眼科の診察も受けたのですが、白内障が進んで視力が落ちており手術を考える時に来ています、と言われました。次回はそのために来ることになりそうです。29日には忠信もここに泊めてもらうために到着。そして当日30日、近藤先生、佐藤先生が11時を目指して、出てこられるというので、私たちもその時間に集合。頼子は中野の維子おばちゃんと一緒に参加。みんなでお昼を頂いてスタンバイでした。お天気にも恵まれ、本当に多くの懐かしい方々にお会いすることができました。

ずいぶん遠くから来てくださった方々もいて本当にありがたく思いました。全部で70名あまりの方でよい集いとなりました。佐藤恵一先生、近藤秀夫先生、木下信行先生、松浦功先生、熊久保公義先生、辻本恵一先生には式の中で特別にご奉仕をお願いしましたが、皆様心にしみるご奉仕をして下さり感謝しております。翌日の土曜日には、土浦めぐみ教会で清野勝男子先生に司式をお願いして、納骨棟「ピスガ」に納骨をいたしました。ここには主人の両親のお骨も入っておりますので、そちらのドアも開けていただき、親族揃って天国を思うひと時を与えられました。翌日は11月第一日曜日、教会では昇天者記念礼拝の日でした。新しく天国をイメージした飾り付けがなされていて感動的でした。バイオリンの演奏を聞きながらすでに納骨されているお一人一人の写真が大写しで流されました。主人の両親の写真も出ましたが、主人も、もっとも新しいメンバーとして加えていただきました。ここを離れるのは私にとってちょっと辛いことでしたが、清野先生の「先生はこの教会のはじめに天幕をして下さったそうですから帰るべきところに帰ったわけですね」のお言葉に慰められました。その日、忠信と頼子を成田飛行場に見送ってから、私の残りの行動が始まりました。月曜日には松見が丘の教会にお礼のご挨拶に伺い、3日の火曜日早朝出発しました。15日に89歳の誕生日を迎えられる鶴岡先生をお見舞いするため、新潟に出かけましたが、途中、軽井沢の古い友人でやはり88歳の土屋文子さんをお訪ねしました。思ったよりお顔の色もよく一人息子の豪くん(ちょっと失礼かな?)が夜は泊まってくれているとか、この日はゆっくりお話もできて嬉しかったです。そのまま新潟へ行けるのかと思っていましたら大宮まで戻って新幹線で行く方が早いのだそうで驚きました。新潟では、先生もいろいろご準備下さっていたのですが、私の思いつきで、菊の花を観に行きました。個人タクシーの運転手が親切な方で気持ちよく楽しむことが出来ました。さて、そこから仙台でしたが、やはり、私の考えとは違ってまたまた大宮まで戻って新幹線の方が早いのだそうです。仙台では昨年キャンプでお目にかかった加藤富美子さんのお誘いを受けてバイブルスタディーをしている、といわれる加藤さんのお宅に寄らせて頂きました。お友達の陽子さんも一緒に待っていてくださり、短い時間でしたが、とても楽しく話が弾み、次回は是非泊まってくださいと言っていただき感謝しています。

夕方、八戸に到着。翌朝は、青森の駅前にある市場をのぞきたくて早く出かけました。駅前にあったこの市場にはキャンプの食事材料を仕入れるために通ったものでした。今はビルの地下に入っていますが、久しぶりに青森弁の飛び交う中を楽しんで歩きました。その日の計画は市内のあすなろ教会で親しい方々と会うことになっていましたが、浦和からの中村圭子ちゃんも参加することになっており、私は久しぶりに懐かしいバスに乗って福音教会までたどり着きました。ところがそれは何かの手違いで、その時教会の掃除を終わった皆さんが私を迎えに駅へ出発するところでした。あわやすれ違うところだったのです。それからの時間はお弁当を囲んで、車椅子のおばあちゃんも加わり、あれやこれや話が尽きないことでした。おばあちゃんの疲れないうちにと会場は岡本家に変わり、鎌田先生のお迎えが来るのを待って、今度は小湊の鎌田家に移りました。こちらでも私の「ファンクラブ」だと名乗って下さっている京子ちゃん、昌ちゃんが連携もよろしく腕によりをかけてご馳走を準備してくださっていました。

夜は浦和から来てくれた圭子ちゃんとマクラを並べておしゃべり・・・修学旅行のようでした。

それにしても、翌日午後3時に青森駅を発って、7時には東京に着いているのですから今更のように驚かずにはいられません。翌8日は多摩聖書教会の礼拝に出ようとしたのですが道に迷って、終わってから着く有様でした。でも、懐かしい方々にお目にかかることができました。

この週は妹の維子と一緒に始めての沖縄旅行をしました。そして帰ってからは2日ほどデパートや上野の懐かしいところを歩くことが出来ました。そして日曜日にはアトランタから帰られた寺内医師御夫妻のかよっている新井教会に行きました。突然でしたので、お二人とも大変ビックリされていましたが、どういうわけか30日のお知らせがもれていた様で申し訳ないことでした。3人の子供さんたちがすっかり大きくなっていて頼もしい限りでした。

16日、月曜日からは高校時代の友人たちと箱根の一泊旅行でした。バレーボールを追いかけて走り回っていた少年少女たちですが若いのは気持ちだけ。みんなそれぞれに年を重ねています。でもしみじみと友達っていいものだなあと思わせてくれます。箱根から帰って18日は一番下の妹玲子とその娘の真樹枝ちゃんと一緒にロシア料理を食べに行きました。とても美味しいピロシキでした。真樹ちゃんは障害児施設で働いていますが、手話通訳の勉強に励んでいる楽しみな子です。つぎの日は厚木の一麦教会の方々が昼食会を計画してくれました。花嫁さんで迎えたメンバーの一人、二葉さんがお世話役でしたが、9月には長女の多恵子ちゃんの結婚式を済ませたところでした。下の愛衣子ちゃんも立派な先生になっています。小さかった二人に遊んでもらった日を懐かしく思いました。孫を引き取って今また「お母さん」をやっているよしみさんも元気そうで安心しました。まだまだみんなそれぞれにご苦労も抱えておられますが、神様の助けを仰いでがんばって欲しいと思いました。とても寒い日でしたが私は大島に行くために身軽な格好で出かけてしまい後悔していたのですが、堀田慶子さんが暖かな大きな襟巻きでくるんでくださいました。慶子さんはその後の小田原訪問にも付き合って下さいました。主人の伝道隊の同僚佐久間夫人の千枝さんを何十年ぶりかでお見舞いしました。熱海ではいつもの東横インにチェックイン。翌日は大島訪問です。後から聞いたのですが、前の日も、また帰った翌日も海は荒れて大変だったそうですが、何とこの日は穏やかな快晴、海の色も最高でした。中学の一,二年をこの島の中学校で過ごしました。その時の友達です。学校から帰ると毎日海で泳いだ仲間達です。代表格の隆ちゃんが車を持って波止場まで迎えに来てくれました。主人の亡くなった後、同じ9月の23日に叔父に当る相沢良一牧師も召されました。 叔母さんに一目会いたいと思って訪問しました。お骨は一年くらいここに置いておくの、とおっしゃっていました。娘の羊子ちゃんは、ちっともさびしそうじゃない、なんて言ってましたが、ボソッと「一人でご飯食べるのよ」と言われた叔母さんの寂しさが切ないほどよく分かりました。お元気でいていただきたいと願いながら迎えに来てくれた友人達と、やはり一人になってしまっているタケミさんの家に落ち着き船が出る時間まで楽しいおしゃべりが続きました。今度は小夜美ちゃんの家に泊まってゆっくり楽しもうと誘っていただきました。小夜美ちゃんのご主人ももういらっしゃいません。大島から熱海に帰り、翌日は仙台の教会を引退して二宮に家を建てられた佐藤隆先生・サチエさんをお訪ねし、泊めていただきました。先生が先の奥様を亡くされて再婚されたお二人ですが、とても仲が良いご様子、お子様達とのお話も嬉しく聞かせていただきました。次の日は愛甲石田の教会へご一緒させていただいたのですが、そこで思いがけない方に声をかけられビックリしました。十何年も前になるでしょうが、厚木の私たちの教会に高野翠子さんに誘われてお見えになったことのある方でした。その時、私とお話ししたことがきっかけで洗礼をお受けになられたとか。嬉しいことでした。この22日の礼拝の後、もう一度愛川に戻り3連休を過ごしました。23日の休日には里子さんと一緒に茅ヶ崎に一人で住んでおられる国子叔母様をお見舞いに行きました。里子さんが電話をかけたのですが返事がなく、ふと不安になって確かめたところやはり入院していらっしゃることが分かり、病院の方に伺いました。94歳になられます。もう一人住まいは無理だとみんなに言われていますが、頭も意思もしっかりしておられます。忠雄の死、そして森繁さんとも親しかったそうで、その死もショックにならなければ良いが、と周りで気をもんでいます。24日には最期の診察を受け、薬をたくさん頂いて厚木と別れ、東京に戻りました。25日には咳が気になり近くの内科に受診。「咳喘息」と新しい病名を貰いました。ただまわりが気になりますが、熱もなく、痰も出ないので苦しいことはありません。おふろも入った方が良いそうで安心しました。26日は買い物デーと決めて鎌倉やホームセンターを駆け回りました。良さそうなものが沢山あるのですが持てる荷物に制限があります。それでもいろいろ人に笑われる様なものを買い込みました。27日は忙しい一日でした。11時には立川でクリエーション・リサーチのオフィスを訪ね、今後の働きのために何かのきっかけを得たいと願っていました。そこで将来宣教師として働きたい、すでに6月には召命を受けたと言う方に出会いました。アメリカの大学を卒業し、日本で神学校も卒業し、このオフィスで5年間事務の仕事をしている水村美智子さんです。これからを楽しみにお祈りしたいと思います。それから一度東京駅まで戻って新幹線で上田に行くことになっていました。上田には八王子教会にいらした荒井さんたちが引退して住んでおられます。とても良い温泉があるから、と誘ってくださり、長野の正村八重子さんと三人で泊まる予定だったのですが、何と、八重子さんは教会でお葬式をしなければならなくなり、駅で顔を見るためだけに長野から来て待っていてくださいました。とても残念でしたが仕方がありません。でも、荒井怜子さんと本当に久しぶりにじっくりと交わることが出来てこれも感謝だったと思っています。怜子さんも脳梗塞にやられてお話が少し困難になっています。この温泉は美ヶ原の温泉で上田まで1時間も御主人に運転していただきました。アトランタから帰られた小林さんたちの事も考えましたが、何しろこの山の中では電話もかからないと言われて「ちょっとだけでも」と言う望もあきらめました。翌28日は東京駅で高橋省子さん、石井昭子さんと待ち合わせです。昭子さんは老人施設に入っていたのに、いろいろ考えて元の自宅に戻ったそうです。美味しく食べて良くしゃべって暗くならない内にとお別れしました。29日は新しくなった池田勇健さんの教会へ行きました。古いところが道路計画にかかったとかで、立派な会堂が出来ていました。ただ千恵子さんがこの前伺った時よりも歩くのがご不自由になられた様でお気の毒でした。いよいよ最後になったのですが、買い物も終わっているし・・・と言う事で30日、1日はもう一度箱根に行ってきました。のんびり温泉につかって忙しかったけど楽しかった一ヵ月半を偲びました。いよいよアトランタでの生活の始まりです。良いクリスマス、お正月をお迎えください。神さまのご祝福を祈ります。        

郁子

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