一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第87便

2010・1・8

今日は私の75歳の誕生日です。昨日の夕方から降り出した雪で、今朝はアトランタでは珍しい真っ白の世界です。雪が大好きな私の為に神さまからのプレゼントに思えます。

周りの方々、またお手紙でメールで多くの方が心にかけてくださって新年を迎えました。クリスマスも、お正月も神さまのお恵みをいっぱい頂いて感謝、感謝と思いながらも、そういうときには余計あれこれ思い出につながることも多くて、つらい思いもしました。

けれども、3日の朝、聖書の通読箇所が申命記に入り、「向きを変えて出発せよ」「立ち上がれ。出発せよ」と言うことばが繰り返し出てくるところで、まるで私に語りかけられているように感じました。イスラエルの人たちが過去の40年を後にして新しく神様が与えてくださる地に向かって前進するところです。私も主人との「50年・・正確には51年半」を思い出の箱に大切に収めて出発するべき時が来たものと思います。ここまで導き、助けてくださった神様がこれから先の道も同道してくださり、新しい何かを見せてくださるものと思います。

5日の日、思いがけなく、大島の中学時代の友人幸子さんから主人の為に素敵なカードのお言葉と一緒に「ゆりの花束」が届いてびっくりしました。すぐに23つ開いて良い香りを放ち始めていますが、今朝は主人が「誕生日祝いにあげるよ」と言っているように感じました。

日本から帰ってすぐ次の週にでも引越しになるかと思ったのですが、いざとなると、孫二人の若い(18歳と16歳ですから)手伝いが必要、と言う事で学校が冬休みに入るのを待ってクリスマスの直前、22日に引越しとなりました。22日は忠信が借りてきたユーフォールのトラックと私のバンに圭三さんにも手伝ってもらって積み込み、牧実が作って持ってきてくれたおにぎりのお弁当で腹ごしらえをして出発。私がハイウェイは走れないために一般道を行かなければなりません。私の車にはマイケルが助手席に乗って先行し、忠信がトラックを運転して後からついて走り出しました。ところが、22日と言えばクリスマス前の混雑最高の時、渋滞の中でがんばっていましたが、40分ぐらいで私の右足が痛み出し、我慢できなくなりましたので、携帯で忠信に連絡、一休みすることにしました。結局そこからの後半はマイケルが運転して(21歳以上のものが乗っていれば良いので)くれました。初めてマイケルの運転する車に乗りましたが、ちゃんと落ち着いた運転振りで安心しました。その痛みはすぐに治まり、荷物を下ろしてからもう一度、今度はトラックを返しがてら忘れてきたものを取りに戻りましたがどうやら大丈夫でした。デービッドの注文でその近くの焼肉やさんで夕食をすることにしましたが、帰りが暗くなるので私の車は頼子の所に置いてきました。その夜はとにかくベッドだけを整えて休み、翌朝、再び、車を取りに1時間半です。今度の家、アクウォースのまわりには日本食品店がないので、帰りに韓国のスーパー「アッシ」に寄って「お弁当」を食べ、買い物もし、再び出発です。ところが今度は私が混雑に巻き込まれ抜け出せなくなりました。 道は分っているので私はゆっくり行くことにし、忠信はハイウェイで帰宅。これが23日でした。後から「足の痛み」について話したのですが、右のすねの痛みで、明らかに普段使っていなかったところを、ブレーキをたびたび踏まなければならない状況の中で使いすぎたためだといわれました。それにしても、運転は「右足でする」事を実感させられました。左足ではどうにもカバーできないのが残念でした。もう少し足を鍛えなければいけないようです。

さて24日は6時半から教会で賛美の礼拝がありましたが、直前になってマイケルがおじいちゃんの「のこぎり」「ミュージックソー」の練習をしていたことが分り、是非にと依頼され、弾くことになりました。この「のこぎり」は、こちらでの葬儀の後、忠信に渡してあったものですが、マイケルは誰も知らないうちにコンピューターを見て練習したのだそうです。自分たちの教会の高校生会でも頼まれて演奏したとか。 24日にも皆さんに喜んでいただき、「アンコール」の声もかかりました。「今年は渡辺先生のハーモニカものこぎりも聞けないね」と前の晩に話していたという方をはじめ、何人かの方は主人をしのんで涙とともに聞いてくださいました。終わってからのお茶の時間にも、マイケルはいろんな方に声をかけられていました。とても嬉しいことでした。

マイケルは今、午前中はケネソー大学で、午後は高校に戻って最後のクラスをとっていますが8月からアセンズにあるョージア大学に入学が決まっています。2時間ほどかかるので、寮生活になります。家にいるのは8月までです。 あまり時間はありませんが、日本語を勉強したいといいますので、これから週4時間のレッスンを始めることにしました。2000年、三年生のとき半年ほどつくばで暮した経験がありますが、まだ忘れないでかなり覚えているので、ここで勉強できれば・・・・と私も楽しみにしています。

昨日は午後から雪になると言うので、学校も半日でした。私も気温が下がる前に、と思って朝のうちにお買い物に行ってきました。このあたりの店を少しずつ覚えるようにがんばっています。一般的な雑貨店ウォールマートや食品のスーパーだけでなく郵便局、ホームデポ(家庭用雑貨)オフィスデポ(事務用雑貨)園芸店などなどです。

忠信は火曜日から出張でしたが、今日帰ってくるので、誕生日のお祝いのためにステーキやさんに行くことになっています。実は一昨日、リンの妹、ダイアナの夫が「キトク状態」になったというので、リンのお母さんがインディアナからアトランタまで飛行機で来て、ここからリンのドライブで二人はミズーリーへ行くという計画を立てています。本当は昨日の便で到着、今朝出発の予定でしたので、お祝いにも全員そろえないと考えていましたが、何とインディアナは昨日大荒れで飛行場まで行くことができなかったため、一日延期になりました。病人もちょっと持ち直しているようですし、今晩の食事にはお母さんのスーザンにも加わってもらえることになりました。 私の部屋もほとんど完成。(バスルームの壁はリンが明るい色に塗り替えてくれると、下塗りまで出来たのですが完成はちょっと先になるでしょう)「居心地の良い」「暖かな雰囲気の」部屋になりました。この辺には日本人はあまりいないと思っていたのですが、不思議にいろんなところからのつながりで、5人の方が「部屋が出来たら遊びに行きたいから」と待っていてくださいます。この地での、新しいお友達とのお交わりを楽しみにしています。病院へ行く道については、いろいろ考えてみたのですが、やはり、頼子の方に泊まって、あそこからの道を覚えることにしました。まずは23日金曜日に行って、翌日の土曜日、頼子が同行して一般道を使っての道を教えてくれることになりました。日曜日にはノークロス教会のみなさんにもお会いできると楽しみにしています。新しく私の「孫宣言」をした水村美智子さんが5月にこられるかも知れない?とニュースが入り喜んでいます。美智子さんの宣教師への道が開かれますようにお祈りください。皆様の今年のご計画が祝されますように。お元気で。

郁子

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