一麦:渡辺家のHP
アトランタ発第92便
2010 8 10
延々と水平線さして進み行く
かなたに見ゆるは100マイル(160キロ)の橋
キーウェスト 最南端とあこがれし
今 そこに立つ シニア五人ツアー
みわたせば 右も左も 海と空
「青」に包まれ ただようごとし
日本も異常な暑さだそうですが、こちらも大変な暑さです。花壇の方はなるべく刈り込んで暑い時期を乗り切ってもらいたいと願っていますが、畑の方はトウモロコシがすごい勢いで成長し、カボチャが負けじとがんばって楽しませてくれました。さすがに採れたてのトウモロコシは最高でした。カボチャも7個は出来ていたのですが、その後の暑さで枯れるものもでき、4個ほどは完熟せず、スクワッシュだと思ってバターいためでたべました。
91便を書いてから2ヶ月もたってしまいました。コンピューターもまだなおっていないのですが、この間、6月7月夏のすべてが固まった様に、いろんな事があってあっと言う間、の感じがしています。シンシナティーへの旅行が終わったばかりの時でした。勉強に来ている智加ちゃんが語学学校を近くのケネソー大学に転校する事にしたのですが、そこで思いがけず、7月が学期の中間休みになったと言うのです。前々から十二月に帰国する前にキーウェストに行きたいと漏らしていたのですが、とても週末だけの休みでは行く事が出来ない、と諦めていました。 そこで、この機会に、まだ行った事の無い人を集めて行く事を考えはじめました。今は暑すぎて「シーズンオフ」です。とりあえず、私の車で5人が決まりました。ところが「運転」に関しては自信のある人がいません。ただ一人若い智加チャンは免許をとって2ヶ月(日本ではペーパードライバーでした)他のシニア4人は、もうこの頃は遠出をしなくなった者ばかり、話を聞いた周りの方々が驚いて「誰が運転するの?」と真っ先にお聞きになる有様でした。みんな不安がありましたが、「ゆっくり行きましょう」と決定。
途中、10時間ほど行ったフォートマイヤーと言うところで、ミセスホークをお見舞いして行く予定を立てて、いろいろ調べてもらっているうちに、頼子が新しい道をみつけました。アメリカの最南端であるキーウェストはヘミングウェイの家があったりして有名ですが、そこへ行くのにはそこから更に数時間以上かかってマイアミまで行ってから、100マイルと言う「長い橋」を渡らなければなりません。3時間以上の橋です。「なんとかなるでしょう」と考えていましたが、やはりそれは大変なことでした。ところが頼子の見つけたのは、私たちが寄ろうとしていたフォートマイヤーか
ら出る船の道でした。なんと、そこから3時間半の船旅で行ける事が分かったのです。これは、そのあと、アメリカ人に聞いても知っている人はありませんでした。
と言う訳で私たちの運転もそこまでの往復ですみました。二つの教会のメンバーたちが私たちの安全のために毎日お祈りをしてくれました。実は月曜日に出発、土曜日に帰る計画ですが、その次の週に、忠信たちが夏休みでディズニーワールドに行く計画をたてており、私は又折り返しオーランドまで乗せて行ってもらい、近くのキッシミーの友人たちのところで4、5日のんびりする計画も立てていました。ところが、6月末にリンの図書館で事件がおこり、実害は無かったのですがリンは責任者として仕事を失うはめになってしまいました。リンの帰宅後、いわゆる「露出狂」と言われる人が出たのですが、その際、「遅番」の職員がすぐに「警察を呼ばなかった」と言う対処の悪さを訴えられてしまったのです。そんなことで、一家のディズニーワールド行きの計画はとりやめになってしまいました。
当然、キッシミー行きもあきらめたのですが、その後、Mrs.ホークの病状が悪くなって(心臓の具合)ベッドに安静にしていなければならなくなり、お見舞いもキャンセルとなりました。そこで、代わりにキッシミーへみんなで寄って一泊することになったのです。かつてはベースがあったところで、80歳代の老夫人が沢山いらっしゃいます。私は分かり易いお話を用意し、紙芝居を持って行ったのですが大変よろこばれました。用意した地図とGPSをたよりにフォートマイヤーまで楽しく運転し、ホテルも港から5分の所にみつけることができました。3時間半の船旅も最高でした。
キーウェストではトロッコの様なものに乗って(歩かないで)観光をし、朝早くには海岸を散歩しました。若ければもっと楽しめたでしょうが、私たちシニアは「ここに立った」だけで大満足でした。島に入る時には何もなかったのですが、島から出る時には国際空港並みの厳重な荷物と体のチェックまであってびっくりしましたが、これはアメリカとキューバの関係からだそうです。帰りにはオーランドのゆかりちゃん(武田家の長女)の家にみんなで一泊、翌朝早くに出発、アトランタにむかいました。私は今回の旅行で運転よりも「暑さ」が大敵と思って、いろいろ配慮し、注意もして行ったのですが、頼子の所に帰り着いた時にはかなりふらふらになっていました。そこで、そのまま4日ほど、休んで帰宅しました。でもその2日後からは教会のキャンプでした。今回は一人になったので、参加をためらっていたのですが、武田家の車に乗せてもらって参加しました。各地から来られた方も含めて120名あまりでした。今年の講師の中村先生は主人と似ている所もあり、何人かの方から「渡邉先生」かと思ったと言われ、不思議な気持ちがしました。1年ぶりの多くの方から主人の事に関してお慰めのことばをかけていただきました。でも、すぐに涙になって困りました。もうすぐ一年になるところです。9月7日を記念して少人数で食事会をする予定です。
今日、日本の和子さんの「支える会」から、最後のニュースレターがおくられてきました。和子さんが8月7日、主人が9月7日とつづき、松見が丘の教会の皆様には告
別式でもお世話になりました。それにしても、「和子さんを支える会」の為に、毎月あの玉川学園の坂を通った日が懐かしく想いだされます。いつも水曜日でしたから、4時に終わると、祈祷会の為に急いで失礼した事なども。その頃頂いたお菓子や果物まで目にうかびます。その松見が丘の教会から佐藤きぬさん、理恵さんのお二人がおいで下さって一日、コカコーラ記念館やストーンマウンテンの観光をご一緒出来た事も、この夏のうれしいことでした。
今度の礼拝は、親しくさせていただいた川田さんご夫婦の最後の礼拝になります。20年のアメリカ生活を終わりにして帰国されます。うれしいのは9月から軽井沢の(ペンション)「恵みシャレー」で働かれると言うことです。私のふるさとの様な所ですから、今度は軽井沢でお会いする楽しみが出来たともいえます。
ところで、こちらでは8月がもう新学年、新学期のはじまりです。我が家の前にも可愛らしい新一年生二人がお母さんにつれられてスクールバスを待つ様になりました。
マイケルの初めての登校日、スクールバスをみおくりましたが、そのとき、写真を撮ろうとしたままに、運転手が一度閉めたドアーをあけて、写真を撮らせてくれたこと、懐かしくおもいだします。そのマイケルが今日で19歳、明後日にはジョージア大学に入学、寮に入るために家をでます。
今まで少しいそがしかったのですが、暑さが少し落ち着いたらまた畑仕事もしたいとおもっていますが、今はあまりの暑さで外に出るのをひかえています。忙しい夏のスケジュールも一段落、いつものペースにもどります。勉強会の方が皆さんの要望でもう少し集まり易い所で、といわれ、マイケルの卒業式をした大きな教会の一室を借りることがきまりました。でも、その前に12日に一回だけ、西本幸子さんのお宅ですることになっています。ご主人が2年前に亡くなられたのですが、コカコーラの重役をしておられた方で、豪邸とのことです。そこにある「映写室」をつかわせてくださるそうでたのしみにしています。
17日には忠信が日本での学会に出発、同じ日に頼子が胆のう摘出の小さい手術をうけることになっています。私は16日から一週間ほど松井家の方にいきます。忠信の方は学会だけで帰ってきますが、小さな買い物の「運び屋」もやってもらう事にしてたのしみにしています。妹維子に買い物は頼んでいますが、一つは頼子が土曜日ごとにグレースと一緒にお習字のおけいこをしているので墨汁、そして私は、普通の便せんと秋まきの野菜の種です。グレースも今の所元気で、お刺身を食べる許可が出た時にはすぐに一緒にお寿司を食べに行きました。それでは皆様お体お大切に。
郁子