一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第96便

2011 1 17

 2011年初めてのアトランタ便、銀世界となっている珍しいアトランタからお送りします。2010年のクリスマス礼拝は19日に祝福のうちに終わる事ができましたが、その後は、一般の方にとっても、私個人としても、大変珍しい年末年始になりました。

 例年の様にクリスマスの「イヴ礼拝」、夜の運転をやめた私は教会に泊まり込むか、お休みするかでした。今年はお客様もあるようでしたので、私は欠席することにしていました。忠信達もインディアナ州へでかけることになっていましたので、珍しくひとりのクリスマスも良いかなと思っていたのですが、思いがけないお誘いを受けて、19日のクリスマス祝会まで終わった後出発し、フロリダのデイトナビーチへ向いました。途中で一泊、大西洋を前にした律子さんの「タイムシェア」の部屋についたのは翌日のおひるごろでした。8年前にご主人を亡くされた律子さんは、毎年この時期、「この部屋をご自分のもの」と言う契約を持っていらっしゃるのですが、そこにお誘い下さったわけです。私は海を見ながら本をよんだり、編み物をするだけで充分だと思ったのですが、誘われるままに更に南に下ったココアビーチを訪ねたり、オーランドのアプコット(ディズニーワールドみたい)まで行ってみたりしました。ここは面白そうでしたが、2、3時間遊ぶには入場料が高かったので、そのうちゆっくり、出来れば何かの割引券を手に入れてまた来る事にして帰りました。でも、フロリダの景色と空気を堪能しましたし、食事は律子さんと2人でちまちまと日本的なお惣菜を作って感激しながら食べ、テレビで英語ですがクリスマスの音楽などを楽しむ事が出来ました。帰りも24日に出発、途中で一泊しましたが、夕食はフロント嬢のお勧めに従い、アジアの店に行ってみました。「デザートは絶対に“団子”を食べるべきだ」と言われ、不思議な思いでメニューを見ますと「ザンゴー」と書いてあります。チーズケーキをクレープで巻いて揚げたものにチョコレートが飾ってありました。こちらの甘いものには参っている私たちでしたので、2人で一つを注文したのは正解でした。

  翌朝、25日アトランタは雨らしいと聞いて、早く出かけたのですが、やはり夕方になり、買い物をし、夕食を済ませ、さて明日の礼拝のために教会に泊まることになっているが、と確認の電話をしてみると、「どうも明日の礼拝は分からない」との事。それではと律子さんに家まで送ってもらうことにしました。ところが、雨は雪になり、どんどん積もり出したのです。家までも着けるかどうか、と言う時に、実は「犬のチェストナッツが一人(匹)で留守番している」事が律子さんに分かり、動物好きな律子さんは使命感に燃えて、やっとの思いで家まで運転して下さいました。でも、そこまででした。もうご自宅に帰ることは出来なくなっていましたので、それから二晩、私の部屋に泊まっていただいて三日目にやっとお帰りになりました。思いがけない二日間、何も出来ない訳でお好きな水戸黄門のDVDも沢山見ていただきましたが、勉強会で使っているDVDも二ヶ月分を見ていただく事が出来ました。26日、日曜日の礼拝は勿論、アトランタ中の教会が「キャンセル通知」をテレビで流していましたし、全く動きの止まったアトランタでした。律子さんの帰られた夜、九時頃に忠信達も帰ってきましたので、結局、私が一人の事は全然なかったのです。中一日おいて29日には予定通り、松井家の方に行き、お正月の用意にかかりました。

  実は少し前、頼子の会社が合併されていろんな事が変わって来ました。もっと大きな会社に入った訳で、今度は「ビジネス スーツ」の着用も義務づけられる事になるそうです。十人以上の人がやめたり、やめさせられたりしたそうですが、頼子はマネージャーとして昇格、もう少しやってみると言っています。CPAの会社が忙しくなるのは1月に入ってから、税金の申告時期です。30日はお休みを取ったと言うので、年末の買い物で幾つかの店を回り、楽しみにしていたジェジュ(健康ランド?)にも行きました。次の日、31日は6時頃からお客様なので、片付けやら料理やらの準備もあったのですが、テネシーからグレースが帰って来て、夜はオペラか何かのお誘いがあって、参加出来ないから、と言う事でお昼を「サークルすし」で一緒にすることになりました。元気そうで感謝でした。兄弟みんなの情報を聞きましたが、お姉ちゃんのサラには、もうすぐ孫が生まれるとか、自分の年を考えさせられました。

  さて、夜のお客様も全員無事集合。マイケルは元旦のゲーム(サッカーかラグビー?)のため集合させられていましたし、デービッドは教会のキャンプで欠席です。

  6時半頃、今年は忠信のお祈りで始まりました。幾つかのおせち料理と和洋のちらしずし、そしてキノコ鍋。朝、九時頃からの紅白歌合戦を録画したものを夕食と同時に流し、おしゃべりの間で楽しんでいただき、カウントダウンは英語のテレビでニューヨーク版です。かたち通り年越しそばを食べてお開きになりましたが、今年は元旦礼拝は無く、2日が新年礼拝になっていましたので、のんびりしたお正月でした。

  その礼拝に続いて一寸したお楽しみ会があって、教会の2011年スタートでした。

  年末最後の礼拝が出来なかった訳で、ことさら最初の礼拝が無事に守れた事を感謝しました。この日を最後に山口さんご一家と長谷川智加ちゃんが帰国でした。

  3日のお昼、田中やさんで智加ちゃんとお別れの食事をしました。すぐ誕生日だからと、ごちそうになってしまいましたが、丸一年のお導きを心から感謝しました。5月の母の日、車の中で捧げた最初のお祈りが忘れられません。これからのご祝福を祈っています。

  8日の誕生日を迎えて76歳、信じられない様な思いがします。月末には牧実と合同の誕生会が決まっています。家では、7日の夜、私の注文する所と言う事で「のりのり」と言うレストランに連れて行ってもらいました。マイケルがお祝いのお祈りをしてくれました。ここは品数も多く、みんな大満足でした。8日のお昼は律子さんのお宅で勉強会のメンバー陽子さんと、中国人のスーさんも加わってのお誕生会を開いていただきました。スーさんとは、なかなか話す時間が取れなかったので、とても貴重な時間になりました。スーさんとは主人が時々、中国語の会話?を楽しんでいました。主人のこと、中国のこと、日本の文化、いろいろと話が弾み、時間のたつのがとても早く感じられました。

  家ではこのマイケルの休みの間にと、子供たちの成長記録のテープをビデオからDVDに移す作業がすすめられていました。台所で食器を洗っていると主人の声が聞こえてきます。のぞきに行くと、テープの中で2歳のマイケルを相手に楽しそうに楽器で遊んでいるのです。そのマイケルの誕生日には主人の母、おばあちゃまの顔も見えています。本当に懐かしい事でした。2年後にデービッドが生まれて、小さいマイケルお兄ちゃんがどんなに喜んだか、どんなに深い愛がそこにあった事かと感慨深く思わされました。それを眺めている大学生のマイケルを見ながら、良いものが出来たものとの思いを深くしました。

  次の日曜日から新しい「読書会」を始めることになっていましたので、会場などを確認するつもりで予定した所に行ってみましたら、何か変化があったのか会場が駄目とのこと。この前ちゃんと許可を得てあったのに、と文句言ってもはじまりません。

  一回目だし、少人数なので、いざとなったら車の中でもかまわない、と当日を待つことにしました。ところが当日、またもや天候が崩れ気味、礼拝後出来るだけ早く帰った方が良いとのおすすめ。でも色々あって結局2時半になりましたが、「今日だけ」この教会の中でする事にしました。前に牧実からここですれば良い、と言ってもらっていたのですが、私としてはどんな事で迷惑をかける事になってもいけないと思い、私のする事は一線をしく事にしていました。幸い何事も無く有意義な時を持つ事ができました。そのうち、良い方法がみつかることとおもいます。

  ところがその帰り、かなり危ない空模様なので、ガソリンを満タンにし、食料品を買い込んでおこうと、スーパーに寄りました。驚いた事に野菜、肉、牛乳、卵などほとんど空っぽです。いくらかのものを買って急いで帰りましたが、翌朝からは完全に缶詰状態になりました。高校も大学も休みです。郵便車もゴミ収集車もまわってきません。危なくて誰も車をうごかす人はありません。ジャスパーの恵美子さんはどうしても仕事場(歯科医院)行こうとして雪の側溝?に落ちてパトカーに助けてもらったと電話で聞きました。圭三さんは三日目に我慢出来なくなって、車を出したものの、表通りにも出る事が出来ず、その辺りで一時間ももがいて、とうとう車をおいて歩いて戻ってきたとか。マイケルの学校では学生が帰って来たけど、クラスは始められず、寮の生徒は居るのでカフェテリアは開いていますが、食器を乗せる金属のお盆は出さない事にしているとか。学生達がそり遊びのために持って行ってしまうからだそうです。とにかく、大変な記録が更新される様な新年の幕開けです。

  この96便が、日本への出発前の最後のアトランタ便になると思います。

  長い旅行になりますので結構準備が大変です。日程を完全に決めて出かけられませんので大まかなところですが、次の様に考えていますのでお祈り下さい。

  携帯電話のレンタル手続きをしますので2月半ばになれば番号が分かります。

  コンピューターは持って行きますが、何しろ重いので、国内移動の時は中野において歩くことになると思います。携帯番号は中野でも分かります。

  うまく連絡がつかない時も中野に電話してみて下さい。

 

東京都中野区南台2丁目29701  生越すみ子方

             03−3384−1603

 

  はじめに眼科で検査を受けて、その結果を待って3月10日から手術を受けるつもりでおります。検査から最初の手術までの間に一週間、九州を回ります。

  術後一週間から旅行が出来ると先生のお言葉なので、

  一回目の手術と二回目の手術の間が、三週間ありますので、その後半は比較的近い関西を考えています

  二回目の手術を終えて一週間後から本格的に遠くにも出かけられると考えています。

 

  大まかな予定では   3月1〜7(九州)

           19〜29(関西)(途中で一度診察に戻る)

           4月10〜15(長野)17〜22(山陰、四国)

           25〜29(北海道)30〜5月6日(青森、仙台)

  まだ決められないのですが、大島、千葉方面、甲府方面、新潟方面、常磐方面湘南方面もどこかに入れるつもりです。その間、連絡がつく所から関東地域は動くつもりです。

  5月後半から6月8日までは、家族とゆっくり過ごしたり、買い物を楽しんだりする予定でいます。

  メールや、電話、手紙、と「情報化時代」の恵みにあずかっていますが、顔と顔を合わせての交わりの素晴らしさをあらためて実感させられています。

  皆様どうぞお元気で。

  神様のお守りとご祝福をお祈りいたします。

郁子

郁子へメールを送る

アトランタアドベンチャーに戻る

日本語玄関に戻る