一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第97便

2011 7 29

長い旅行を守られて、7月8日無事に帰宅いたしました。4ヶ月半はいささか長過ぎた様で、こちらでの生活に戻るのに少々戸惑いを感じております。

「白内障の手術」と言う大きな問題を持っていきましたので、多くの方々がそのために案じてお祈り下さった事を感謝しております。実際、最初の手術の翌日が、あの大地震の日でしたので、ひやっとしたり、また、術後の通院が計画停電による、「交通事情」でかなり苦労いたしましたが、すべて予定通りに経過も良く終わらせていただく事が出来ました。いろんな方々から「よく見える様になりましたか」ときかれて、そのお返事には困っています。視力に関してはほとんど変化がありません。でもものがはっきり見えるようになり、全体としてあかるくなったようで、運転するときの眼鏡は必要を感じなくなりました。交差点の標識がはっきり読み取れる様になった事はありがたく思っています。勝手に期待していたのですが、読書の時には前と同じに眼鏡が無ければ読めません。白内障と老眼とは別物だと教えられました。

その他の計画は、震災のため大きく変更をいたしましたが、結果的には、ほとんどもれなく実行する事が出来ました。私としては体力的に大きい巡回旅行はこれが最後、と決めご挨拶の気持ちもあったのですが、その思いも果たすことができてほっとしております。「次は天国で」となる方も多い事でしょうが、今こうしていても、親しくお目にかかってお話出来た時の事が思い出されて、宝の様に思われます。

東北新幹線が開通しましてから、登米市に居る弟も訪ねる事が出来ました。からだも悪く一人住まいなのでいつも案じていましたが、顔を見ると同時に「教会に戻ったから」と言ってくれて本当に安心いたしました。教会と言う大きな家族の中に居てくれると言うだけでも大安心ですが、同じ希望を持って天国への残りの人生を、苦労があっても神様の助けを頂きながら生きてくれると思うと、帰り道は感謝の涙をこらえるのに苦労した程嬉しく思いました。

震災にあわれた方々を心配したり、電力不足の生活を実感したり、毎日のニュースに一喜一憂の思いを体験しましたが、この困難の時に日本に居る事が出来た事は、良かったと思っています。また健康診断の面で帰国を一ヶ月延長することになったのですが、色々な検査を受ける事が出来たのも感謝でした。と言うのも、帰宅しましてから

10日目に熱中症で倒れ、救急車で入院するはめになったのですが、この時、実にいろいろの検査が行われました。それでも、日本の検査において、「おおむね問題はなかった」と言うので、とても平静で居る事が出来たからです。どう言う訳か分かりませんが、日本に居る間、歩きすぎた所為でしょうか、足のむくみがひどくて多少心配していました。それが帰ってから10日の間にほとんどとれてすっきりとし、よろこんでいたのです。体重が4キロ減りましたが、ほとんどが水だったのかもしれません。

そこへ暑さが加わり、倒れたのだろうと診断されました。カリウムが極端に足りなくなっていました。三日間の入院で家に帰りましたが、8月末までは体調を整える事を目標に万事控えめに、と言うことで、7月末の楽しみにしていたキャンプも参加を諦めておとなしくしております。遠くの方々とお会い出来ないのが本当に残念ですが。

今回の日本でもいろいろな買い物をしてきましたが、特に役立っているのがシリコンのスチーマーです。「お野菜を蒸して、ドレッシングで頂く」を教えられて、買ってきましたが、別に買って来た、「そのためのレシピブック」によって、色々な新しい事を学んでいます。断然カロリーも低くしながら鳥の唐揚げや魚料理、肉料理まで、しかも短時間で出来てしまうのでびっくりしています。本がいろいろ出ているのは見てきましたが、一冊だけしか買ってこなかった事を残念に思っていますが、既にコンピューターでもいろいろ教えてもらえる様になっている事も分かりました。

その他に、今回の「困難の中で」実に様々な新しいものが売り出されている事を見聞きし、あらためて日本人の素晴らしい姿を知った気がしています。暫くは大変な時期が続くと思いますが、それを過ぎれば、新しい日本の製品が世界にもひろがって行き、産業ものびて行くのではないかと思わされました。「考える子供」をつくろうと、教育界で言われていた事を思い出します。学力はのびず、あまり成功したとは言えない様におもっていましたが、どうしてどうして、困難にぶつかった時に、めげずに工夫し新しいものを生み出して行く研究心に感心しています。3、11の前と後とはすべてが全く変わった、とも言われていますが、ここで一度立ち止まって、これまでの生き方、価値観、考え方を再検討し,みんなが幸せの方向に歩み出していただきたいものだと思います。教会でもいろいろ新しく学んだ事があると思います。

私が帰って来てすぐ、福島の原発から5キロ地点にある教会で「避難中の流浪している教会」から佐藤彰先生が来られてお話を伺う事が出来ました。災害,避難の記録を書かれたご本も買ってよみましたが、涙なしには読めないものでした。今でも60人あまりのメンバーが家族の様に奥多摩の避難所で帰れる当ての無い生活を続けておられる訳です。でもその中で恨み言を言う言葉はきかれず、守られた事を感謝し、祈りと礼拝の生活をしていらっしゃると言うことでした。困難の中で「助けを呼びもとめる方、相手」があることの幸せを感じています。

とりあえず帰国のご挨拶と、数々お世話になった御礼を書きたいと思って書き始めました。本当にありがとうございました。まだまだ暑さの続く事でしょうが、皆様の御健康が守られます様にお祈りいたします。

郁子

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