一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第98便

2011 9 24

 3、11のテロから10年(私たちがアメリカに来た年でした)、東日本大震災から半年が過ぎたと思っていましたら、和歌山、北海道の台風被害、その後の台風では名古屋や東京まで、本当に全国的に水びたしの様なニュースを見ることになって、ただただ驚いています。

土地の名前とともに、その地区にお住まいの方々の顔が思い出されて、祈らせていただいています。

9月7日は主人が召されて2年目でした。静かな一日をと思っていましたが、一寸した仕事が入りました。デルタ航空のパイロットのご主人(アメリカ人)と、ご自分(日本人)もスチュワーデスと言う方が、二人で数名のアメリカ人を連れて日本の教会訪問を計画したのだけど、そのオリエンテーションで「日本人の心」について30分ほどお話をしてほしい、と言うご依頼でした。特に宗教に関してとのご注文でしたので、いろいろ考えましたが宮本武蔵の言葉「神仏を敬い、神仏に頼らず、神仏の心を行う」(正確でないかもしれません)を紹介しました。聖書を中心にしたキリスト教の國アメリカの人々と一番違うところかもしれません。聖書では「どんな時にも神に信頼せよ」と教えられています。神様は私たちの創造主だから、私たちが従うだけでなく、頼りにするべきお方だと言います。日本では、「困ったときの神頼み」と言われる様に、出来るだけ神仏などには頼らない生き方が理想とされているのかもしれません。でも、「人間の限界」を知れば知る程「神に信頼する生き方」のおすすめを有り難く思う今日この頃です。

そこで、「創造論の勉強会」も10月から再開、スタートさせる事にいたしました。この年になって科学の勉強は大変ですが、近年の科学の進歩には驚くばかりです。

 

私の最近一番の事件は、8月11日、皆様にも祈っていただいて来たグレースが、天に召された事です。「もう一人の娘」でしたので、その報告をさせていただきます。

7月8日、帰って来てすぐお見舞いに行く事が出来なかったのですが、7月30日、やっと会いに行きました。これ以上痩せられないほどやせているのに、おなかは腹水で膨らみ、脇腹には卵大に膨らんだ肝臓が飛び出していました。お土産を喜んではしゃいでいましたが、かわいそうで思わず「苦しみから解放してください」と祈りました。次の週末は頼子だけが会いに行きましたが、そのときは高校時代の友人が一人来ていて、明日からまた一人になると言うので、あらためていつでも助けが必要なら連絡する様に言って帰り、翌週末はまた私も行くつもりでおりました。ところが週末を待たず、水曜日にグレースの友達シャーリーから「詳しく知りたい」と病状の問い合わせが入り、調べようとしましたが、今までは「グレース本人との連絡」でしたので困ってしまいました。グレースに聞けないとなると、誰かに英語で聞くしかありません。丁度リンが家で編み物をしていましたので、ユタ州のサラ(姉)の家に電話をしてもらいました。案の定、もうアトランタに行っているとのこと。サラの携帯を教えてもらってかけてみると、グレースはすでに昏睡状態で、あと1,2時間だと事。問い合わせてくれたアラバマのシャーリーはとても間に合わないとあきらめましたが、私の方はホスピスの番地を調べたリンがすぐに連れて行ったくれると言うので飛び出しました。途中で忠信、頼子にも電話を入れましたので、みんな揃う事が出来ました。ユタ州からサラだけでなく、兄のジョーイ、テネシー州からも兄のジョンが来ていました。もう一人の兄ハロルドは明日シカゴから到着との事でした。それから2時間あまり、一生懸命呼吸をしている、と言う様子のグレースを見守りながら、まだ暖かい手をさすり、交代にはなしかけたりしていたのですが、間では、最近の事、また50年前、青森で一緒に過ごしていた頃の懐かしい話になったりしました。2家族だけの不思議な時間でした。 母の日にはグレースからの花束をもらい、主人の葬儀では「お父さんがもう一度亡くなった感じがする」といたわってくれたグレースでした。頼子とは二人で土曜日に「お習字の練習」を楽しんでいました。一昨年のクリスマスにはストーンマウンテンのホテルに三人で一泊、ライトの飾りをみて、おいしいドイツのソーセージ屋さんで舌つづみを打ったものでした。あまり病状も良くなかったのに、どうしても行きたいと言うので、からだに響かない様に、頼子は静かに静かに運転していましたし、私は顔色を見ては宿への引き上げ時間を考えたりしていたものです。

夜、7時頃になって「あとは兄弟でみるから」と言われて帰りましたが、家に帰りついた8時ころ「今天国に行った」と連絡を受けました。天国でご両親や主人とも、また仲の良かった和子さんとも楽しく会っている事でしょう。中一日おいてビューイング(お別れのため)でした。何人かの方に連絡、アラバマからシャーリーも駆けつけてくれました。日本の久留米にあるCJの高校で一緒に寮生活をしたお仲間がいて、昨年の同窓会にはグレースも参加、みんなに会っていましたが、癌にかかっている事を内緒にしていたらしく、突然シャリーから危篤の知らせが回ってびっくりした様です。

一月後、9月9日に行われた葬儀(メモリアルサービス)にはこのお仲間も、他州の各地から集まってくれました。みんな日本育ちですから、前の晩はホテルにとまり、「日本食を食べたい」とお寿司屋さんに行ったそうです。今回の事で、このグループの「きづな」が強められた、とシャーリーが喜んでいました。さびしくなりましたが、新しい友達が出来て10月にはアラバマのシャーリーのところにいくことになりました。今度はリンが運転して行ってくれるそうです。リンも失業してながくなりましたが、その間忠信の方に思いがけない大きな仕事も与えられたとか、神様の道は仕事をすることではないのかもしれない、といっているとか、いろいろよくやってくれます。

 

すっかり涼しくなりましたので、畑仕事にも出られる様になりました。大根、春菊、チンゲンサイ、など元気にのびています。花壇の方もやっと秋の花が元気を取り戻してこれからが楽しみです。嬉しい事に、厚木の里子さんに貰って来た月下美人に小さいつぼみがついているのを見つけました。まだまだこれが咲くまで順調に行くかどうか分かりませんが、とにかくここまで来た、と喜んでいます。今年はイチジクも初なりの実を数個食べる事が出来ました。そう言えばもう一つ嬉しい事がありました。いろいろ出来ない事が増える私の生活ですが、「出来る様になった事」があるのです。日本では信じられない事でしょうが、ここの土は本当に固くて畑仕事は「くわ」では無く「つるはし」でしなければならない有様、畑の作物に「棒」をたててやったり、苗を植え付ける穴を掘ったりはどうしても必要な作業ですが、それが出来ないで、思う様にならない事を嘆いていました。ところが素晴らしいものがある事を教えてもらったのです。1メートルくらいの鉄の棒で先が尖っています。これをハンマーで打ち込むと面白い様に深く刺さります。これに添えて棒をたてればいくらでも自由に囲いもネット張りも出来る訳です。本当に私にとっては素晴らしい福音でした。

 

また機械に弱い私ですが、先日ロスアンゼルスにお住まいのチェンバレン先生から電話があり、Eメールではローマ字で面倒だからスカイプが良い、と言う話になりました。チャールストンの良子さんがお持ちだと言う事で、私の方も出来る様にしてもらってはあったのですが、まだ試していませんでした。しかし、ローマ字のやり取りよりはずっと良い、と言われて忠信に何回も指導してもらい、ついに顔を見ながらおしゃべりが出来るスカイプを楽しむ事が出来る様になりました。その後も先生からは「顔が見たくなったから」と声をかけていただいています。本当にすごいものが出来て来たものです。引退宣教師の方々は、年と共に日本語もだんだん弱くなりますので、これはありがたいと思っています。

話は変わりますが、教会に2ヶ月間インターンとして逗留しておられた柳沢さん、日本では何日もお宅にとめていただいていたことでもあり、ご帰国前にゆっくり遊びに来ていただきたいと思っていましたら、9月8日にその機会を与えられました。幸いお天気もよかったので「行きそびれた」とおっしゃっていたヘレンへ遊びに行きました。勿論、運転は柳沢さんです。GPSを使って楽しいドライブでした。 帰りには私の家によっていただき、その後日本食レストランで夕食をご一緒しました。奥様の和子さんがお仕事の都合で来られなかったのは残念でしたが、またお出かけいただきたいと思っています。

ここ数日、秋の気配が急に深まってきました。なぜだか分かりませんがハミングバードがえさ場に姿を見せる回数が極端に減っています。長い渡り旅に出発する前に「食い貯め」で無く「ダイエット」をしているのでしょうか?自然界の不思議もいっぱいです。

素晴らしい秋になります様に。ご祝福を祈りつつ。

郁子

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