一麦:渡辺家のHP

アトランタ発第99便

2011 11 3

次々と災害のニュースが飛び込んで来て、心の痛む事の多い年ですが、目を上げて見ると美しい自然に包まれている事に気づかされます。皆様いかがお過ごしでしょうか?

私はまだお医者様のおっしゃる基準には到達できずに、血糖値や血圧の数値に一喜一憂させられていますが、気分は元気で静かな生活を楽しんでおります。手芸も洋裁も,庭仕事も料理もとやりたい事が沢山ありすぎて、忙しい思いになりますが、これは楽しい忙しさです。家の中をくるくる動いていて、これは良い運動だな、などと満足してみたり、それでも、出来るだけ外にも出なければと思って、あまり急がない買い物でも出かけてみたりする事があります。今日も、一冊の本を取りに1時間以上かかる頼子の家まで行ってきました。ここの家のまわりは本当に田舎で軽井沢の奥の方と言う感じなのですが、あちらはますます賑やかな町になって来ています。韓国人が集まって新しく便利な町をつくろうとしている様です。途中、沢山の国旗が立っている所を通りました。昔からのいろいろな戦争で亡くなった戦死者を記念し感謝するためだそうですが、旗は1メートルくらいの白い十字架に(死亡した戦争や年が書いてある)つけてあります。きれいに紅葉した木々の間にずーっと旗がひらめいていて見事でした。それにしても、この美しさを何と表現できるでしょう。色彩の見事さは春の比ではありません。真っ赤に花盛りに見える木々の間を通っている道路、まさに着物の裾模様を思わせる配色の所もあります。赤、オレンジ、ピンク、それぞれの濃淡、黄色も鮮やかなものから、引き立て役をつとめるもの、緑がかったもの、紫、茶色の濃度の違う数々、そしてはっきり目の覚める様なものも、薄くはけで掃いた様なものもあります。あらためて目が見える事を感謝しました。そして世界が墨絵の様でなく、こんなにカラフルであること、光があること、その美しさを楽しめる心が与えられている事、当たり前の事がとても幸せに思えます。

 10月は土曜日、日曜日、月曜日が5回ありました。これは823年に一回あるものと聞かされましたが、本当かどうか、確かめる式が分からず確認していません。でもそのせいではないのですが第一と第四週末、二回も頼子の家に行き、草取りと球根植え込みをすませる事が出来ました。寒くなって芝も伸びなくなりましたので、庭の芝刈り作業もあと暫くでしょう。これからは落ち葉に埋まってしまう方の問題です。私の花壇も全く土の部分が見えません。落ち葉の中に大輪の黄菊やコスモスが咲いてアネモネが元気な葉っぱを見せています。月下美人に蕾みがついて大喜びをしたのですが、何が悪かったのか、10センチ程の時に落ちてしまいました。霜を心配して場所を動かしたためかもしれません。でも、つぼみがついて、大騒ぎをしましたので、二人の方が持っていらっしゃる事が分かりました。

先週伺った所ではまだ外に置いてあって、つぼみが沢山付いていました。今年は残念でしたが、来年を楽しみにする事にします。もう本当に霜が降りそうで、昨日は忠信が車の霜取りのスプレーを買ってきました。朝早くでかけるので、これは必需品です。

畑の方は少し林から離れているので落ち葉の問題はありません。初めて黒いシートを張って植え込みをしてみたのですが、やはり随分違うみたいです。今は毎日菜っ葉類や、お豆がとれて楽しんでいます。聖護院大根が見事に太ってきました。白菜も初めてですがそろそろ巻き始めるみたいです。

 10月は二回勉強会を開きました。久しぶりだった一回目は、終わってから近くの陽子ファーガソンさんのお宅でお昼をご一緒しました。のりを頂いたから手巻きをしましょうと言われ、私もいろいろ持って行くお約束をしたのですが、何と前の日の朝、リンがちょっと車を使いたいと、銀行まで乗って行ったのですが、帰って来て「エンジンが危ない」とのこと、すぐに自動車屋さんに持って行かなければならなくなり、翌日は送り迎えしてもらうはめになりました。そう言えば、その前の日、少し変な匂いがしたのですが、勝手に外からの匂いだと気にもしなかったのです。危い所でしたが丁度良くリンが乗ってくれたものです。またもや、神様に守られている事を実感、感謝したことでした。

15日にはウェストミンスターの教会で震災応援のバザーがありました。私は、何もお手伝いらしい事はしませんでしたが、頼子のところで出してくれたものをとどけ、後は当日、ジュース類を冷やすために「氷を持って早く行く」事をたのまれました。といっても、やっと明るくなった7時半に出かけましたので、もう皆さん働いておられました。お天気にも恵まれ、庭に品物を並べて片隅では食べ物まで売りましたが、1500jの売り上げがありました。なにしろ、安いのです。私もお豆を一晩ふやかすための小型ポットを1jで買いました。大豆、黒豆等やってみましたが、とても効果があり喜んでいます。頼子の出したパン焼き器は、もともと、10年前に亡くなられた朝子バーンさんが使っておられたものですが、長い間、ただ物置にねむっていたものです。それを、子供三人抱えて頑張っている板谷まみさんが手に入れ、大活躍をしていると喜ばれました。いろんなものが活かされて行くのは本当に良い事だと嬉しく思います。

 次の週は、前からの約束でアラバマに出かけました。日本から帰って来ている四国のステラ カックスさんに会うのが目的でしたが、4年前まで二年間毎月、主人と通った所ですから、お友達もあり、まず、水曜日のお昼に日本食のレストランで会食をしました。その日は、秀子チャップマンさんのお宅に泊めていただきました。二人のお嬢さんはすっかり大きくなっていましたし、ご主人はアフガニスタンに出征を目前にしておられました。でも、夜遅くまで秀子さんと語り合い、大変有益な時間を過ごす事が出来ました。今回はリンが運転を引き受けてくれて、本当に感謝でした。翌日はまたお昼に今度はギリシャ料理の店で、ステラさんと娘のシェリと待ち合わせでした。今度はリンも加わり,英語と日本語がメチャメチャに飛び交い、1時間半あまりでしたがよく食べ、よくしゃべりました。ステラさんは二年前、ご主人が亡くなられた時、帰国されるのかと思ったのですが、どうしてどうして80歳を越していますが、元気に頑張っておられます。何しろ長いおつきあいです。私の高校生の時からです。今更ながら、父達の最後の仕事、あのマッカーサーの依頼でおくられて来た「40家族の宣教師たちを各地に送り出すまで」の手助けと言う仕事の意義の大きさを思わされました。あの若かった宣教師達が、学校をつくり、出版社(いのちのことば)、放送局(太平洋)松原湖のバイブルキャンプ場などをつくり、天幕伝道その他、今キリスト教界の土台に繋がる様な仕事をしたのです。シェリ本人は知らないのですが「みんながパスターオゴシを知っている」と不思議がっていました。確かに60年と言うのは時代を遡って考えられる年である事を思います。みんな私より少し年上ですから、もう多くの方が天国に帰りました。いろんな懐かしい方々の近況が聞けたのですが、病気の方も多く皆さん最後の行程を頑張っておられる事を知りました。やはり私たちはあの頃から宣教師グループの中で育ったのだなと思います。

 23日の日曜日は、日本の聖学院で長年働かれたタヒューン先生をお迎えしての講演会、それに続いて秋の「さんまパーティー」がありました。庭に二つのかまど?を用意、男性達はエプロン姿も勇ましく、奉仕をしてくれました。私がさんまを食べるのは一年に一回、この日だけです。大々的に宣伝していますので外部からのお客様も沢山見えました。食事はタヒューン先生と同じテーブルにつきましたので、日本の話に花が咲きました。

 いよいよ11月、今年もあと二ヶ月です。6日の日曜日は召天者記念礼拝が多くもたれる日曜日です。土浦恵み教会から渡辺の両親と主人が納骨されていますので、案内状が来ています。主人の納骨した翌日がその日にあたっていましたので、出席する事が出来たのですが、天国をイメージした講壇の飾り付け、スライドで大写しに出された写真、その間流された生のバイオリンの演奏、思い出しています。もし元気でいられたら2013年の帰国はこの日に合わせて計画したいと思っています。前に出席した三島の教会では、明治15年創立当時からの召天者の名前が朗々と読み上げられていました。私の曾祖父の妹、その義弟達、親戚に当たる何人かの方々の名前も読み上げられました。まさに天上と地上の合同礼拝で、「やがての日」を思い胸が熱くなりました。

 ところで、今年の私の最大の喜びは、暫く教会から離れていた、仙台近くに住んでいる弟が、震災津波の後、訪ねて行った時に「教会に帰ったから」と言ってくれた事です。障害者になって不自由な生活を強いられていますが、心はしっかり自立している事も、とても嬉しく思っています。また今年の帰国中に訪問した古い古い友人の猪和子さんとの文通が復活した事、信じられない様な試練の中で人をうらまず、自分も痛めずに神様が守っていて下さった事です。昨日届いた手紙には、「三谷先生に自分のために歌う事を教えられ、それに励まされて、今台所でゴスペルを歌う事を楽しんでいる」とありました。本当に嬉しく思いました。

もっともっと嬉しいニュースが聞かれる様に、祈って行きたいと思っています。皆様お風邪に気をつけてお元気でお過ごし下さい。           

郁子

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