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Tad's オランダ旅行記

7月8日

タクシーに午後6時にきてもらい、ワシントンの郊外のダラス空港から出発。日曜日の夕方ということで交通量も少なく、7時少し過ぎにダラス空港についてしまった。10時にロンドン(ヒースロー空港)経由でアムステルダムへ向かう。飛行機はすいていたので、真中の5つの席を全部独り占めでき、おかげで3時間くらいは横になって眠ることができた。

7月9日

ロンドン到着は出発翌日の9日の午前10時過ぎ。ロンドンの空港では1時間くらいの待ち合わせがあった。空港をぶらぶらしていたら、ただでホットメールが使えるブースみたいなものを見つけたので、早速家にメールを出してみる。ただし、そのとき初めて、日本語のネットスケープでホットメールにアクセスすると自動的に日本語のページに登録されることを発見。スクリーンに表示されている文字は全部文字化けしていて読めず、「これが送信だったかな」などとうろ覚えのボタンの位置をかんで押すしかなかった。でも、ちゃんとメールは届いた。

ロンドンの空港で同じ学会に向かう人と偶然いっしょになった。彼女はオランダで12歳くらいまで過ごしたことがあり、オランダ語もしゃべれるのでほっとした。いつもなら、最初の1日は金賞するのだが、彼女がいっしょのおかげですっかりリラックスできた。

アムステルダムの空港でいくら待っても僕のスーツケースが出てこない。係りの人に聞いたら、僕の乗ってきた便の荷物はもう全部出ているはずとのこと。仕方が無いので、事務所に行って、荷物が届いていないことを届ける。ここで困ったのが、荷物を届けてくれるというのだが、その送り先がわからない。学生寮に滞在することになっているので詳しいことは今日向こうにつかないとわからないというと、それではあとで電話してくれとのこと。

手荷物だけで、大学のあるユトレヒトという町に向かう。電車でだが、途中一回乗り換えがあるのは聞いていたが、心強い道連れがいるのでまったく安心してユトレヒトに到着。ここまでいっしょにきてくれた人はホテルに泊まっているとのことで、駅で別れる。バスで学生寮までの行き方を書いてあるものを持ってはいるものの、どこでそのバスを捕まえていいかがわからない。少し探して、やっと案内書のようなところを見つける。そこで4番のバスはどこで乗るのかを教えてもらう。次に困ったのが、料金がいくらかがわからないこと。周りの人はみんな回数券みたいなものを持っているが、僕は実際にそんなに必要なのかわからず、運転手に払えるだろうと思い、周りの人にいくらか聞くが、知らない人ばかりだった。結局バスがきたので乗り込んで、バス停の名前を運転手に見せていくらかを聞いた。ついたら教えてもらうように頼んで出発。ちゃんと忘れられずに、バス停を教えてもらい、後は徒歩で学生寮まで到着。午後5時少し前だった。

早速チェックインで、部屋のカギなどをもらう。そして、荷物が届かなかったこと、そして、飛行機会社に電話でどこに届けてもらえばいいのかを知らせなければいけないということを話すと、全部向こうで(もちろんオランダ語で)話をつけてくれた。助かった。

部屋は、7階建ての建物の最上階の部屋で、見渡しがすごくいい部屋だ。会場となる大学のキャンパスは15分くらい離れているというので、一応いってみようかと思い、まだ時間も早いので、早速探検に出発。大学は無事に見つかったが、周りに何も無いので、結局駅のある町の中心へバスで行くことにした。

町を少しぶらついて驚いたのは、自転車に乗っている人の多いことだ。歩道かと思って歩いていたら、実は車道と歩道の間にある自転車専用道だったということがしばしばあった。軽い夕食を取って、寮に戻ろうと思っていたら、インターネットカフェを発見、早速メールをチェックし、それから帰った。オランダも夏時間を使っているわけだが、やっぱり緯度が高いせいか、8時半くらいでも、まだまだ暗くなる気配が無い。でも、やはり疲れていたので9時くらいには寝てしまった。

7月10日

疲れていたけれど、深夜1時くらいに目がさめてしまった。アメリカ時間の午後7時だ。涼しかったので窓を開けっ放しにしておいたのだが、耳元で蚊の飛ぶ音で起こされた。蚊がいるんだと思ったがときすでに遅し。結局時差ぼけと蚊退治でばかばかしいと思いながら3時過ぎまで起きていた。

寮は7階建てと書いたが、昨日初めてついたときは部屋番号が153だったのでそんなに上だとは知らずに、階段でのぼり大変だった。そんなわけでそのあとはいつもエレベーターを使った。エレベーターに乗って、まず最初のカルチャーショック、番号が0から6までふってあり、一番下が0か1で迷ってしまった。結局0が一番下だとわかったが、改めて海外にきているのだなとくだらないことで感心してしまった。

今日は朝からずっと学会の理事会、夕方は他の理事の人たちと町の中央にあるレストランで食事をした。レストランは中華・インドネシア料理の店だった。最初町にいくつかのレストランが "Chin. Ind. Restaurant" とサインを出してあるのをみて中華とインド料理かと思ったのだが、実はインドネシアだった。何でインドネシアかと疑問に思っていたら、ふとした会話の中から、昔インドネシアはオランダの植民地であったからだということがわかった。これも思わぬところで歴史の勉強になった。

 

7月11日

今日も理事会の2日目、ただ予定よりスムースに話が進み、午前中で全ての議題をカバーできた。おかげで、明日は5時からの開会式まで何も予定が無くなった。今回は学会中、何も観光をする機会が無いので、もう一人の日本からの理事の人といっしょに少し観光をしようということになった。

寮に戻るとスーツケースが届いていた。一日分だけ洋服を手荷物に入れておいたので、実際には困ったことはなかったし、こちらまでスーツケースなしで来れたのは逆によかったなと思った。寮の部屋に(4つの寝室に、共同のバスとキッチンがついている)洗濯機と乾燥機があった。ただし、説明が全てオランダ語(当然でしょうが)。受付に行って使えるのかと聞いたら、よくわからないとのこと。ただし、そこのには説明が英語で書いてあった。仕方が無いので、いろいろと試してみたら、何とか動いたので、寝る前に洗濯をすませた。

 

7月12日

朝7時に日本からの理事の人ともう一人の日本からの参加者とおちあい、ヘーグへ行くことにした。ヘーグではマルドゥーラマというオランダ中の有名な建物や景色をミニチュアかした物を飾ってあるところにいった。ヘーグはユトレヒトから電車で40分くらいだった。

そのあとは、ヘーグの近くのライデンという町へ。そこには風車の博物館が古い風車小屋の中にあるということで、行ってみた。。6-7層になっているのだが、その階段が大変急で上るのもだが、降りるのにけっこう苦労した。

ユトレヒトに戻ったのは4時ごろ、開会式の前のレセプションが始まっていた。開会式はオランダでも一番古い教会(ドーム教会)で行われた。中庭でのレセプションのあと、大きな教会堂の中でオープニングの講演があった。

7月13日

今日は特に特筆すべきことなし。オランダはとにかくよく雨が降る。天気は一日の間にくるくる変わる。朝は快晴かと思うと、昼頃には夕立が降り、そのあとはなんとなくどんよりとした空模様だったかと思うと、夕方はまたいい天気になったりする。とにかくかさは必需品だ。

7月14日

週末ということでバスの本数がいつもより少ないことを知らない参加者がけっこういて、朝一番の講演会の開始が少し遅れた。昨日のうちにそのことを知らせておけばよかったのにと思っていたら、今日の午後のエクスカーション終了後、バスは大学に戻ってくるとのこと。プログラムにはそれぞれの寮またはホテルまでバスで送ってくれると書いてあるのに、しかもローカルのバスの本数が少ない日に全員を大学まで連れて帰ってくるという計画にはちょっとあきれてしまった。

僕が参加したのはパレスエトルーという以前は皇室の避暑の宮殿を改造して作られた歴史博物館兼庭園見学。入ってすぐのところに大きな建物がコの字型にたっていて、それがそうかと思ったら、なんとそれはただの厩舎。ここに宮殿が建てられた理由の大きな一つはこのあたりが猟をするのによかったからだそうで、以前は150匹の馬が飼われていたそうだ。しかしびっくりした。庭園と宮殿の歴史博物館はなかなかだったが、ちょっと疲れ気味であんまり気が乗らなかった。

バスに戻るとおいておいた手荷物が無い。気が付くと来るときのとは違うバスだ。他のグループのバスと交換されたらしく、大学についてからそちらのバスが帰ってくるまで待たなければならない羽目になった。やっとそのバスがついたと思ったら、他のグループも帰ってきた。200人くらいの人がいっぺんに数の少ない路線バスに乗ろうというのだから大変だった。しかも、運が悪く雨も降ってきて、みんな散々な目にあった。

夜寝ようかと思うと「ドン」と大きな音、何事かとベランダに出てみると花火が上がっていた。10分くらい、花火を楽しんだ。少し心が和んだ。

7月15日

こちらにきて初めて傘を一回も使わないで一日過ごした。昼頃夕立があったが、会議中で建物の中にいた。会議が終わって外に出たときにはもう晴れていた。大学のコンピュータールームが解放されてそこでインターネットをすることができるようになった。驚いたことに、そこでは日本語のIMEもついていて、日本語のメールを読むだけでなく送ることもできた。

寮に帰ってみると、天井から水が漏れていた。ちょうどベッドの上で、シーツはびっしょり。すぐに受付に電話して変わりのシーツなどをもらったが、部屋が小さすぎて、ベッドをどう動かしても水があたってしまう。仕方が無いので共用のダイニングキッチンへベッドを動かした。結局帰るまで、そこで寝ることになってしまった。傘を使わないですんだと思った日になんとも皮肉な運命だなと感じた。

7月16日

この学会では毎年会議中にディナー・ダンスが開かれる。今日の午後のセッションが終わったあと、バスで会場まで移動。600人近い参加者が連れて行かれたのは古い大きな屋敷、ただ、もう少し大きな物を予想していたので、ちょっとがっかり。テーブルの数もちょっと少なめで、立食パーティーみたいな雰囲気になってしまった。それでもバンドが出てきて音楽が始まると、けっこうな数の人が踊ったりしてみんなそれなりに楽しんでいたようだった。僕は日本からきていた数学教育の人たちといろいろと話をした。

7月17日

今日の午前中で学会は終わり。理事の方は昼食を一緒にとったあと、締めくくりの理事会。来年の会議はイギリス、そして2003年の会議はハワイでと決まった。2004年はノルウェイになりそうだが、日程がどうなるかがまだわからない。

理事会終了後、日本人の理事の人とその他何人かの日本人と待ち合わせてユトレヒトの町で最後の夕食。荷造りもしなければいけないので、あまり遅くならないうちに寮にもどった。

7月18日

朝5時45分にタクシーを頼んだのだが、4時50分になっても来ない。そのうち、6時にタクシーを頼んだという人たちがきた。やっとタクシーがきたと思ったら6時のタクシーだった。ちょっとはやかっとのと、6時のグループが全員そろってなかったので、無線でもう一台呼んでもらい、僕ともう一人オーストラリアからきた人は先に駅まで行かせてもらった。

アムステルダムの空港にはかなり早めに着いたが、遅くなっていらいらするよりはいいだろうと思った。最後にお土産を少し買い込み、手元にあるオランダのギルダーを全部使いきり足りない分をクレジットカードで払った。

帰りもロンドン経由だが、帰りはギャトウィック空港の方。乗り換えのゲートを見つけるのに少し手間取ったが、何とか見つけた。ロンドンのお土産をとも思ったが、来年の学会でイギリスにくるかもしれないし、そのときでいいやと思いやめた。

ボルチモアにはほぼ予定通り到着。今度はスーツケースもちゃんと届いていた。面白かったけどやっぱり疲れた。帰ってきてほっとしたというのが本音。